第三話、湖
文字数 1,484文字
男が一人、湖の淵で地面に這いつくばり、筒状の器具を水の中に差し込んでいた。
シャベルトは興奮を抑え気味につぶやいた。筒は水中で折れ曲がっており、筒の間に鏡があり、水中の筒の先端にはレンズがついている。この器具で水中をのぞき見ることができるのだ。
水の中には縦に長い楕円形の大きな気泡があった。その気泡の下には、動物の舌がのびていた。
長舌泡トカゲの舌である。
長舌泡トカゲは非常に長い舌を持っており、その舌を水の中で筒状に丸め、水中で人の胴体ほどの気泡を作る。気泡は長舌泡トカゲの魔力の力場によって固定されており、気泡にぶつかった魚は、気泡の中で落下し、舌の上に落ちる。長舌泡トカゲは落ちてきた魚を舌で巻き取って捕食する。
この気泡をどうやって作り維持しているのか、実は全くわかっていない。シャベルト自身、水中で空気の泡を作り魔法で固定しようと試みてみたが、一秒と持たず、破裂するか、浮き上がる。泡をすっぽり覆うような力場を作り、それを微力な魔力で固定する。現代の魔法力学では不可能なことであった。
シャベルトは生物学者である。ここギリム山周辺を中心に様々な動物や植物の生態を調べ記録している。それだけでは、生活ができないので、薬草の採取や狩りを行い生活の糧にしていた。また、生物魔法応用といって生物固有の魔法を解析し、魔法道具の作成を行っている。
シャベルトは薬草の採取と狩りの帰り、湖に寄り長舌泡トカゲの気泡を観察していた。
頭の上で、ノコギリリスのパン吉が鳴き声を上げていた。パン吉はシャベルトのペットである。森の中で食事をしている時、寄ってきて、シャベルトが落としたパンくずを食べて以来、勝手についてくるようになった。
ノコギリリスはしっぽの先端にノコギリ状の骨を持っており、そのノコギリ状の骨を使って木の枝を切り、木の上に巣を作る性質を持っている。
シャベルトは頭を上げ辺りを見渡した。ノコギリリスは高い感知能力を持っている。湖の周りを見渡したが何もいない。長舌泡トカゲはいつの間にか消えていた。
パン吉はシャベルトの襟首に入り込み丸まって震えている。
シャベルトは優しく語りかけた。
とても静かだった。
鳥の鳴き声一つせず、虫の羽音もしなかった。まるですべての生物が息を潜めているようであった。
湖から、じゅるじゅると、すするような音がした。
水が揺れている。
風は吹いていない。
揺れが徐々におおきくなり、うねりだした。
湖全体がうねりだした。
不自然なほど落差の大きい隆起と沈下を繰り返す。
水しぶきが悲鳴のように聞こえた。
水が、割れた。
湖の中央付近、液体であるはずの水にひびが入った。
ひびが入った水は崩れだした。水が一つ一つの塊に分解され、宙に浮いた。さらに切れ目が入り、ばらばらになり、やがて消えた。
湖の中央に馬車が一台入りそうなサイズのぎざぎざの穴があいていた。シャベルトは背伸びして穴の中をのぞこうとした。
なにか、見えたような気がした。
ユズズルリユズルリリ、何か、何かと、ホフヒヒヒ、いつのまにかシャベルトは笑っていた。湖の中に足を進めた。
パン吉がシャベルトの耳を噛んだ。
シャベルトは我に返って足を止めた。
湖の穴は轟音とともに閉じた。水しぶきが飛んだ。
呆然と立ち尽くした。
湖はしばらく揺れていた。揺れが収まると、腹が割けた魚や、体がねじれた魚や蛙が無数に浮いてきた。湖はどす黒く変色した。