第54話身内

文字数 3,348文字

 稲生原での戦は混迷を極めていた。
 陣形もなく、指示も命じることもできないほど、荒れた戦場。
 信長も自ら槍を持って戦っていた。

 成政も手傷を負いながら、戦い続ける。
 服部小平太や毛利新介らと協力して、一人一人討ち取っていく。

 林美作守の軍が来たら、私たちは負ける――
 成政は敵の胸元を突き刺しながら、ぼんやりと考えていた。
 どのくらい、味方の軍勢が残っているのか、分からない。
 それでも多くないことは彼にも分かる。

 せめて柴田の軍勢さえ撃破できればと成政は考えた。
 そのために槍を振るっているが、倒しても倒しても――きりが無い。
 気力や体力に限りはある。
 さて、どうするか――

「こんの――大馬鹿野郎共ぉぉぉおおおおおおおお!」

 そのとき、信長の大声がした。
 動きを止めたのは、味方だけではなく、敵も同様だった。

「俺たちは身内同士だぞ! 何故戦う必要がある!」

 信長がこの期に及んで――説得を試みている?
 成政ははっとして思い出した。
 確か、この戦は――

「この織田三郎信長に逆らう謀反人共! 貴様ら全員、子々孫々に至るまで、地の底まで落としてくれるわぁあああああああああああああ!」

 殿の堪忍袋が切れたと長年傍に付き従っている成政は思った。
 きっと池田殿が必死に止めているのだろうと思うと――

「ははは。流石、殿だ!」

 戦場というのに、笑みが零れて仕方なかった。
 だが、それ以上に笑える事態が起こる。

「ひいいい!? もう戦いたくねえ!」
「殿様に逆らうなんて、嫌だったんだ!」

 農兵――農民と思われる者たちが武器を投げ出して、次々と逃亡していく。
 いくら歴戦の武将と言っても、これでは戦にならない――

「逃げる者は追うな! 戦う者――逆賊のみ、討ち取れ!」

 信長の大音声が再び鳴り響く。
 まるで蜘蛛の子を散らすように逃げる柴田の兵。
 成政は、これが道三様の言っていたことかと驚愕した。
 身内同士の戦の弊害とも言える。
 しかし、何はともあれ、これで決着がついた――

「おい成政! 新手が来たぞ!」

 新介の声と指差す方角を見ると、新しい軍勢がこちらにやって来る。
 旗印を見れば――林美作守のものだった。

「くそ! そういえば、七百の軍勢だったな!」
「こっちは三百か四百しかいねえぞ!」

 小平太と新介が喚く中、成政は「うろたえるな!」と二人を叱咤した。

「一人で二人倒せばなんとかなる! それに柴田殿と違って、林美作守は戦巧者ではない!」

 成政は自分でも無茶なことを言っていると分かっていたが、小平太や新介、そして周りの者たちは、互いに頷きあった。

「ああ。確かにそうだ!」
「一人でも多く倒してやる!」

 はっきり言えば、狂奔と言うべき激励だけれど、皆の士気は高まったようだった。
 これなら戦える。少なくとも私たちだけは。
 そう決意を新たにして、成政は二度目の戦に臨んだ。


◆◇◆◇


 林美作守の軍勢との死闘は続いた。
 林の軍は数の利があり、名塚砦の攻略をしていたものの、戦に臨む上では心身ともに充実していた。

 だが信長が率いる馬廻り衆の勢いは凄まじかった。
 数や体力では不利なはずなのに、どうしても押し切ることができない。

「何故だ? 何故信長を倒せぬ!?」

 林美作守には理解できなかった。
 主家であることや実力を示し続けてきたのは分かる。
 自身の主、信行とは違って、戦い続けてきたのも分かる。

 だが、ここまで粘る理由が分からない。
 兵力に劣り、周りを囲まれている状況で、どうして負けを認めない?
 そこまでして、信長は仕えるに値する主君なのか?

「林様! 敵の勢いは異常です! 一度下がられてはいかがですか!?」

 進言してきた家臣の顔に焦りを感じる――焦りだと?
 数では有利なのだ。退く道理など見当たらない。
 内心、ふざけるなと怒鳴りつけたい気分だった。

「わしも出るぞ! 将が先頭に立てば、士気も上がる!」
「し、しかし――」

 諌めようとする家臣を払い除け、馬にまたがり、戦場へと駆け出す林。
 彼の脳裏には、兄の林秀貞が戦の前に言った言葉が浮かんでいた。

『確実に信長様を討ち取れ。でなければ信行様への忠誠が疑われる』

 元々、林秀貞は信長の家老であった。
 だからこそ、同じ家老である柴田はおろか、側近の津々木よりも信頼されていなかった。
 そしてそれは、林美作守も一緒だった。

 だからこの戦で結果を残さなければ、信行に信頼されないし重用されない。
 那古野城の城主であるから、味方に付く利点を感じられているだけで、実際はこれっぽっちも信頼されていないのだ。

 この戦に負ければおしまいなのは、信長だけではなく、林兄弟も同じなのだ。
 したがって、この状況は非常に不味かった――

「ええい、何をしとるか! 信行様が当主になれば、国は豊かになるのだぞ!」

 林美作守は槍を振り回しながら、己に襲い掛かる者に説く。

「信行様は品行方正、真面目で実直、堅実な方だ! 乱暴狼藉、不真面目で狡猾、危険極まりない信長様に任せておけば、織田弾正忠家は滅ぶぞ!」

 しかし馬廻り衆は怯まない。
 何故ならば、彼らは知っているからだ。
 信長が魅力ある当主であることを――

「林美作守! この謀反人めが!」

 林美作守の目の前に、信長が現れた。
 それは唐突に思われたが、林美作守は好機とばかり、馬を走らせる――

「――撃て」

 信長の合図で、滝川一益が林美作守の馬目がけて、銃弾を放った。
 馬はその場に倒れ、落馬してしまった林美作守だったが、槍を離すことなく、そのまま駆け出した。

「信長ぁああああああ!」

 林美作守の突進を、馬周り衆は止めようとするが、間に合わなかった。
 信長に槍を繰り出す林美作守。
 しかし信長は持っていた槍で捌いてしまう。

「……ふん。ここまで気概のあった男だとは、思わなかったぞ」
「黙れぇえええええ!」

 信長は林美作守に「どうだ。俺の家臣に戻れば、許してやるぞ」と言った。

「お前の兄も不問にしてやる」
「ふざけるなぁ! お前の甘言など乗るか!」

 信長は少し淋しそうな顔をして「そうか。残念だ」と呟いた。

「信行のことだ。俺の家老だったお前たちを信用せぬと思っていたがな」
「――っ!?」
「本当に残念だ」

 信長は槍を振り回して、動揺した林美作守の槍を叩き落とし――そのまま腹部を突き刺した。

「ご、ふ……」
「さらばだ、林」

 林美作守の命が無くなる瞬間、思ったことは――これで良かったのかという後悔だった。
 これから兄は大変だなと思って、林美作守の意識は無くなり――絶命した。

「林美作守、討ち取ったり!」

 信長の大声で、林美作守の軍は恐慌しながら退却してしまった。
 これにて、稲生の戦いは終わったのだった――


◆◇◆◇


 成政はほっと溜息をついた。
 激戦に生き残れたこともあったが、何より信長の勝利で終わったことに安堵していたのだ。

 本陣に戻るため、戦場を歩いていると、利家の姿が見えた。
 膝をついて呆然としている。
 余程疲れているのだろうと成政は思った。

「おい利家。お前大丈夫か?」

 声をかけたのは何の意図もなかった。
 心配などしていなかった。

「――っ!? お前、どうしたんだ! その顔!」

 矢傷を顔に負ったと見て分かった成政は、地面に転がった死体を避けつつ近づいた。

「傷が深いのか? おい、何とか言えよ」
「……傷なんざどうでもいい」
「はあ? お前、どうかしたのか?」

 成政は、利家が死体の手を握っているのに気づいた。
 穏やかな表情。
 口元が歪んでいて、まるで笑っているようだった。
 しかし特筆すべきは、その顔が利家に似ているということだった。

「……親類か何かか?」
「兄貴だよ。利玄兄」

 息を飲んだ成政。
 利家が虚ろな目で言う。

「利玄兄、俺を庇って死んだんだよ」
「…………」
「最後の言葉、聞き取れなかった。俺のことを言っていたけど、周りがうるさくて、声も小さくて……」

 成政は小さく溜息をついて「遺体を運ぼう」と申し出た。

「ほら。肩を貸してやるから」
「…………」
「利家、聞いているのか?」

 利家の顔を覗きこむと、泣いていた。
 大声で喚くことなく、静かに涙を流していた。

「…………」
「……待っていて、やるよ」

 成政は利家から目を背けた。
 彼にできることは、それしかなかった。
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