第105話急がば回れ!

文字数 3,062文字

 竹中半兵衛の謀反がひと段落した頃、尾張国の犬山城の城主、織田信清が斉藤家に寝返った。尾張国と美濃国の境にある犬山城が敵方になったことは、織田家家中に激震を走らせる。

 美濃国は大きく三つに分けられる。西から、斉藤龍興の居城である稲葉山城や西美濃三人衆らの拠点が存在する西美濃、木曾川の恩恵を受けた豊かな土地で、古くからの豪族が結束して守っている中美濃、信濃国に接しており険しい山々に囲まれている東美濃だ。

 そもそも犬山城は中美濃への監視を目的としていた。織田家が西美濃へ進攻するときの見張り役である。しかしそれが敵方となると、今度は逆に中美濃から進攻されてしまう恐れがあった。

「であるか。ならば犬山城を攻略せねばならぬな」

 信長は言葉こそ冷静さを保っているが、その実、苛立っていた。
 なかなか進まない美濃国攻略。せっかく松平家と同盟を結び、向後の憂いを取り除いたというのに、成果はまるでない。

「何か意見はあるか?」

 評定の間で家臣一同に訊ねる信長。
 ここで求められるのは『良い意見』である。平凡な案など信長は望んでいなかった。
 だが咄嗟に良い意見など思いつくわけがない――

「そうですな。目先を変えてみるのはいかがでしょうか」

 誰もが黙る中、織田家筆頭家老である佐久間信盛が話し出す。
 信長は「目先を変える、だと?」と佐久間を見つめる。

「どういうことだ?」
「犬山城は我らが西美濃を攻めるとき、中美濃から攻められないようにするための防衛拠点。それを獲り返すのは必須。されどそれだけのために軍を動かすのは少々もったいない気がします」

 家臣たちがざわめく。
 侍大将としてこの場にいる利家は、佐久間が何を言いたいのか分からなかった。

「具体的に申せ」
「ははっ。わしが言いたいのは、犬山城を攻略した勢いのまま、中美濃へ進攻するということです」

 佐久間の大胆な発想に「西美濃ではなく、中美濃を攻めるのですか?」と丹羽長秀が聞き返した。

「そうだ丹羽殿。ま、具体的な方策は考えておらん。殿が採用するか不明だったからな」
「相変わらず大雑把だな……」

 柴田は呆れているが信長は「良き案だ」と頷いた。

「では中美濃をどう攻略するかだが……可成、主だった城を挙げてくれ」
「かしこまりました。美濃国の地図に書き込みます」

 筆をとった可成はすらすらと達筆な字で城の場所を書く。
 元々、美濃国出身であるため、土地勘はあるのだ。

「木曽川の北沿いに鵜沼城と猿啄城がございます。そこは中美濃の入り口と言えるでしょう。それから中美濃の中心には堂洞城、加治田城、関城の三城。一番の難敵は関城の長井道利ですね」
「ふむふむ。であるか」
「一応、中美濃の東部に鳥峰城がありますが、大したことはありませんね」

 信長は数回頷いて「急がば回れ、という奴だな」と言う。

「西美濃を攻略するのが早道だと思ったが、中美濃を攻略することで斉藤家の力を削ぎ、東美濃との分断もできる。信盛、良く思いついた」
「ありがたきお言葉」
「勝家。お前は我らが中美濃を攻めている間、西美濃の抑えをしてくれ」
「承知しました」
「だが決して無理攻めするなよ」

 矢継ぎ早に指示を飛ばす信長を見て、まるで手が二本とは思えないなと利家は感心した。
 すると信長の視線が利家のほうを向いた。

「利家。お前は赤母衣衆及び馬廻り衆を率いて、長秀と可成と共に中美濃を攻めよ」
「……本当ですか? この俺が一軍の将として?」

 信長は不敵に笑って「なんだ、自信がないのか?」と言う。
 昔の面白いことが好きだった彼を思い出す眼。
 利家は背筋を正して応じた。

「あるに決まっているじゃあないですか。大手柄立ててみせますよ!」

 その男らしい宣言に、柴田や可成は感嘆の声をあげた。
 信長も満足そうに「であるか」と頷いた。

 皆が評定の間を去った後、信長は一人笑った。
 愉快でたまらないといった感じだった。

「利家の奴め、俺が赤母衣衆の不仲を知らないとでも思っていたのか?」

 それなのに、あの余裕はなんだろうか。
 何か面白いことでもするのかもしれない。
 この信長でも予想できない何かを。

「ふふふ。楽しみだぞ、利家」


◆◇◆◇


「中美濃を攻略するにあたってだ。良之、お前と決着をつけてえ。何をすれば納得するんだ?」
「……いきなり過ぎて何が何だか分からねえよ、利家さん」

 赤母衣衆一同を集めて、評定でのやりとりを報告した――とは言っても詳細に言っていない――利家は佐脇良之に話しかけた。しかしその言い方は一方的かつ上からの物言いだったので、佐脇の心をざわつかせた。

「はじめっから言っているけどよ。俺たちはあんたが筆頭なのが気に食わねえんだ」
「じゃあお前が筆頭をやるか? はっきり言って格も実力も足らねえだろ」

 見下した言い方に佐脇は立ち上がって「だったらあんたにはあるのか!」と怒鳴る。
 利家は冷静に「殿が俺を筆頭に選んだんだ」と答えた。

「殿はできると思う者しか任じない。それはお前だって分かるだろう」
「…………」
「それにだ。いくら気に入らなくても、殿の決定に逆らうのは良くねえ」

 利家にしては正論を言っているなと友人である毛利新介は思った。
 そして珍しく感情じゃなくて建前で話しているのも気にかかった。

「お前は筆頭になりたいわけじゃない。そして赤母衣衆の看板を守りたいわけじゃない。単に俺が気に入らないだけだろう。まったく、どっちが餓鬼だって話だよ」
「……あんたはいつでもそうだ。俺が手に入れたものより、ずっと大きなものを手に入れる!」

 佐脇は悔しそうな顔のまま、利家に迫る。
 応じるように利家も立ち上がった。
 二人が向かい合うと、やはり兄弟だなと他の八人は感じた。

「男の嫉妬ほど見苦しいもんはねえな」
「なんだと……!」
「お前を力で屈服するのは容易い。でもよ、それじゃあ本当に認めたってことにはならねえよな」

 利家は「新介、少し頼まれてほしいことがある」と唐突に言った。
 今まで黙って見守っていた新介は姿勢を正した。

「お前じゃねえとできねえことだ。頼む」
「ああ、いいぜ。何でも言えよ」

 どんな頼み事でも易々と受けるのが、戦国時代に生きる男の粋である。ましてや友人の申し出なら即答するのが当たり前だった。
 佐脇は何のつもりだと訝しげに利家を見る。

「筆頭の地位をお前に預ける。次の戦だけだが」
「なっ!? どういうつもりだ!」

 驚愕する佐脇を無視して「承知した」と新介は頷いた。
 利家は「犬山城を落としたらすぐに鵜沼城攻めが始まる」と言う。

「鵜沼城攻めで城内に一番乗りしたほうが、筆頭になるのはどうだ?」
「…………」
「もちろん、お前だけじゃねえ。この場にいる新介以外の九人で競争だ」

 これには他の者も度肝を抜いた。
 それほど自信があるのだろうか。

「ただし、味方の妨害はなしだ。一番の目的は城を落とすことだからな」
「本気で言っているのなら、一つ確認したい」

 佐脇は利家がこの手のことに嘘を言わないと分かっていた。

「もしあんたが負けたらどうする?」

 だけど筆頭を下りた後、どうするかは聞かなければならなかった。

「赤母衣衆に残って、筆頭の命令には絶対服従する。不服じゃねえよな?」

 不服どころか、むしろ好都合だった。
 目の上のたんこぶである利家に命令できるのは、佐脇にしてみれば魅力的だ。

「了解した。俺は異存ない。他の者は?」

 反対の声が上がるわけもなく、こうして鵜沼城攻めでの競争が決まった。
 赤母衣衆たちがどよめく中、利家は心の中で呟く。
 これもまた、急がば回れだよな――
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