第15話人生の転機

文字数 3,205文字

「内蔵助。私は信長殿の考えが途方も無さ過ぎて、理解できぬ」

 その日はすっきりとしない曇り空だった。

「長槍を考案したのを皮切りに、あまり役に立たぬ鉄砲を大量に注文したり、この間は商業政策のために座を無くすという。考えが追いつかぬ」

 那古野城の一室で、竹千代は内蔵助に胸中の思いを吐露していた。難問を目の前にした子供のような顔つきだった。内蔵助は正座のまま、俯いた竹千代に「私も若様のことはよく分かりません」と答えた。

「内蔵助は、よく分からない者に付き従うのか?」
「理解できぬとも、付き従うのが武士のあり方だと存じます」

 竹千代は爪を噛みながら「優等生のような模範解答だな」と言う。責める口調になったのは、親しい内蔵助が信長の家臣であるのに起因する。簡単に言ってしまえば嫉妬であった。

「失礼しました。しかしながら、家臣は仕える主を理解せずとも良いのです」
「何故だ? それでは主君は孤独になってしまう」
「主君とは孤独であるべきものです。強い権力を持ち、いざとなれば失策した家臣を切り捨てる覚悟がなければ務まりません」

 内蔵助は前世で少し覚えていた君主論を引用した。うろ覚えで本格的に学んでいないので、正しくはないが竹千代はなんとなく理解できていた。

「まるで韓非子だな。だが参考にした始皇帝の秦は滅んだぞ」
「ええ。ですから理解できないのであれば、若様を真似る必要はございませんよ」

 竹千代は上手く諭されていることを不快に思わなかった。むしろ教え導かれている気分が心地良かった。また内蔵助のことを信長と違った意味で慕っていた。信長は遠い存在の兄だったが、内蔵助は近しい友のように感じていた。

「……内蔵助。私は、いつまで人質として生きねばならぬのかな」

 何度目かの問いに内蔵助は「……なんとも言えません」と応じた。竹千代が人質から解放されるのは桶狭間の後だと彼は知っている。今、教えると歴史が変わってしまう可能性があったので、そう答えるしかなかった。

「竹千代様。もし人質ではなく、岡崎城の主となられましたら、いかがしますか?」
「決まっている。三河国を統一するのだ」

 素早く答えた竹千代。その目には野望と野心が渦巻いていた。内蔵助は「あなたならできます」と応じてから居ずまいと正して言う。

「では統一した後、いかがしますか?」
「……は? 統一した後?」
「ええ。東を攻めますか? それとも西を攻めますか?」

 竹千代はその問いになんと答えれば良いのか判断に困った。つまり親が従っている今川家を攻めるのか、それとも内蔵助の主家を攻めるのか。
 そんな迷っている竹千代に内蔵助は満面の笑みを見せた。

「やはり、あなたは格が違う。素晴らしい」
「な、何を言っている?」
「あなたは、攻めないという選択を選ばなかった。いや、頭になかったのですね」

 そう言われて気づく竹千代。攻めるかどうかを問われていたが、攻めないという選択肢があったことは確かだ。それを意識的に無視していた自分がいる。

「それでいいのです。そうでなければ戦国大名とは言えない」

 内蔵助は自分を穴が開くまで見つめている竹千代を褒めて、それから茶を用意する。まず、自分で毒味してから、竹千代に差し出した。湯飲みを震える手で受け取って、一口飲んでから、竹千代は「……試したのか?」と軽く睨んだ。

「私に野望と野心があることを、試したのか?」
「ええ。試しました。いや、確かめたというべきでしょうか」

 内蔵助は憮然としている竹千代に向かって頭を下げた。竹千代は文句を言いたかったが、内蔵助の次の言葉を待った。

「あなたというお人は、私が思っていた以上に、器が大きい」
「…………」
「それを確認できたのは、僥倖でした」

 竹千代は内蔵助を一瞥してから庭側の障子を開けた。ぼつぼつと雨が降り出し始めている。

「内蔵助。私は信長殿以上に、そなたのことは分からぬ」
「……私は私でしかありませんよ」
「賢いのは確かだが、どこか底の見えない賢さを感じる。末恐ろしいと思う」

 前世の知識があるわけではないが、見抜かれた気分がしたのは事実だった。内蔵助はうっすらと冷や汗をかいた。

「だが同時に、そなたを信じたい私もいる」

 徐々に強くなる雨音。竹千代は障子を閉めて内蔵助に近づいて向かい合った。

「なあ。私の家臣になってくれないか?」

 内蔵助は思わず目を見開いた。まさか佐々成政になろうとするこの自分が、将来の徳川家康に勧誘されるとは夢にも思わなかったからだ。

「今はまだ禄を払えぬ人質の身だが、いずれ私は三河国の主となり、大きな国を作り上げる。その手伝いをそなたにしてもらいたいのだ」
「……しかし、若様がなんとおっしゃるか」
「確かにそうだ。私が懇願してもきっと首を縦に振らぬ」

 竹千代は熱のこもった声で「だが必ず説得する」と断言した。

「頼む。私の家臣になってくれ」

 子供のように――いや子供なのだが――何度も懇願する竹千代。
 困惑していた内蔵助だが、ふうっと溜息を吐いて、それから「分かりました」と言う。

「竹千代様にそこまで乞われたら、断るのは野暮の極みですね」
「おお! ならば家臣になってくれるのか!?」
「いえ。二つ条件があります」

 内蔵助は指を二本立てて言う。竹千代は怪訝な顔で「二つの条件?」と繰り返した。

「一つは岡崎城主となること。もう一つは織田弾正忠家と同盟を組むこと」
「……すまぬ。少し説明してくれないか?」

 未来を知らない竹千代からすれば、かなり奇妙な条件に思えるだろう。しかし内蔵助はこれが成就することを知っていた。

「一つ目の条件は、家臣となるからには、城主になって迎え入れてほしいのです」
「まあその気持ちは分かるが」
「二つ目は、義理の問題です。竹千代様の家臣となるにしても、元の主家を裏切ることはできません」

 竹千代はしばらく爪を噛んで考えていたが「……今川家から独立して、織田家と同盟を組むということだな」と簡単にまとめた。

「しかしそうなると、今川家と敵対することになる」
「そうでしょうな」
「東へ勢力を伸ばすこととなる……まあ背後を守る形となる同盟だから、悪くはないが」

 内蔵助は「いろいろ考えていると思いますが」と竹千代に言う。

「それらの条件を完遂してくだされば、天地神明に懸けて竹千代様の家臣になることを誓います」
「もし、織田家が滅びたとしたら、どうするつもりだ?」
「それはありえません」

 はっきりと断言する内蔵助に「何故だ?」と鋭く問う竹千代。

「どうして滅びないと分かる? 斉藤家と同盟を結んだとはいえ、敵が多いのだぞ?」
「若様がいる限り、織田弾正忠家は滅びたりしません」

 織田信長という男がいる。たったそれだけの根拠のない言葉だった。
 竹千代もきょとんとして、はたして内蔵助が本気なのか図りかねた。

「……内蔵助。お前は本当に、面白い男だな」

 そのとき、竹千代は子供相応に純真無垢な笑顔を見せた。
 背伸びしない、大人びいていない、そんな笑顔だった。

「分かった。その二つの条件、飲もう。その代わり、約束守ってくれよ」
「ははっ。かしこまりました」

 内蔵助は内心、とんでもないことをしたと思っていた。これで佐々成政の人生が大きく変わる――


◆◇◆◇


 その数日後、三河国で大事件が起こる。
 おそらく竹千代の人生の中で最も衝撃的で、最も重大な岐路となった大事件だった。
 それを知らせたのは内蔵助だった。信長の命令だった。

「……ち、父上が、殺された?」

 ――竹千代の父、松平広忠の殺害。
 これによって、大きく歴史が――変わる。
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