第143話成政と真柄の一騎打ち
文字数 3,100文字
木下藤吉郎率いるしんがりは、多大な犠牲を出しながら朝倉家の軍勢を防いでいた。
無論、藤吉郎の統率力だけではなく不世出の天才軍師――竹中半兵衛の策のおかげでもある。
しかしながら――彼らの力でも限界はあった。
「殿、いかがしますか?」
短く問うのは半兵衛だった。彼は信長が無事に京まで退けられるまであと一日はかかると計算していた。藤吉郎も分かっていた。けれども兵たちは連日の戦いで疲れ切っている。このままでは――全滅もあり得た。
「半兵衛、分かっているだろう――死守だ。決して退いてはならん」
そう語る藤吉郎の眼からは涙が流れている。
ここで死ぬことの無念さを噛み締めているような表情。
それでも利家との約束を守り、信長のために戦うことを決意した。
「ええ、そうでしょうね――今、後方の部隊を火計で押さえています。火を消されて進軍を開始されれば、我が軍は……」
半兵衛はそれ以上言わなかった。
藤吉郎には十分伝わっていたからだ。
いや、藤吉郎のほうが半兵衛よりも分かっていたのかもしれない。
くたびれた顔、ところどころ壊れた鎧姿のまま、藤吉郎は兵たちの元へ向かう。
兵たちも藤吉郎と同じ――それ以上に酷い状態だった。
怪我や返り血で汚れている。
そんな彼らに藤吉郎は鼓舞する言葉をかけた。
「皆の者! 今日一日凌げば生き残れる! 全員、生きて帰ろう!」
大将は常に希望を持たせないといけない。
それを心得ていた藤吉郎の言葉。
兵たちは一斉に大声で喚いた。
藤吉郎が嘘をついたのは分かっていた。しかし、それを信じなければ己が生き残れないとも理解していた。目の前の現実逃避に騙されてやろうと思ったのだ。
そのとき、伝令が藤吉郎の元に駆けてきた。
かなり息を切らしている。余程の悪い報告なのだろうか。
藤吉郎は「何があった!?」と険しい表情で伝令に問う。
「ま、真柄直隆が、ここまで迫ってきております!」
「なんだと!? あの猛将が!?」
ほとんど悲鳴のように藤吉郎が叫ぶと、離れた場所で兵たちが騒ぐ声がした。
何事か半兵衛が目を細める――ただでさえ顔色の悪い彼が青ざめた。
「山崎様の言っていたとおりだ……全員、疲れ切った顔してやがる」
太郎太刀と呼ばれる大刀を振り回しながら、朝倉家随一の猛将、真柄直隆が兵を引き連れてやってきた。
おそらく山崎率いる朝倉家の本隊と分けて、少数で回り込んだのだと半兵衛は悟った。
「さーて、楽しませてくれよ――なあ!」
次々と兵たちを斬殺していく真柄。
もはやこれまでと藤吉郎は覚悟した。
ならばせめて、真柄だけは――
「――っ!? また別の兵が!?」
半兵衛の叫びに藤吉郎は反応する。
まさか、朝倉家の本隊が到着したのか――
「……まさか、織田家の兵と合流できるとはな」
そう呟いた大将の元には、葵の家紋、そして厭離穢土、欣求浄土と書かれた旗印。
彼らも相当疲れているが、数は多い。
「と、徳川家か! 味方の兵だ!」
藤吉郎が喜色満面となった。これなら一日は防げると考えた。
すぐさま真柄の兵と交戦する徳川家の兵。
そこには成政の姿があった。
「……結局は助けることになるのか。まあ仕方あるまい」
馬上から槍を振るって兵たちを討ち取る成政。
歩兵ながらその助けをする可児才蔵もいる。
突如として現れた徳川家に真柄直隆は「ここいらが潮時か」と笑った。
「山崎様としては信長を討ち取りたかっただろうに……仕方ねえ、退くぞ」
真柄の軍勢は少数だった。急ぐ回り道のため、そのほうがいいだろうと判断したが、どうやら詰めが甘かったようだ。
「あばよ。今度は堂々と戦いてえな――」
そう言い残して去ろうとしたとき、真柄に「待て!」と声をかける者がいた。
真柄が振り返ると、そこには成政が馬上から睨みつけていた。
「真柄直隆だな? 貴様は今後、厄介になりそうだ……ここで討ちとっておく」
「へっ。誰だか知らねえが……やれるもんならやってみろよ」
森の中を回り道したので、真柄は徒歩だった。
騎兵である成政のほうが有利だと思われるが、兵たちが大勢いて混戦となっている。
だから成政は馬を下りた。そして長槍を構える。
「真柄直隆、参る」
「佐々成政、行くぞ」
成政は先手必勝とばかりに、真柄を突く――その動きは常人には見えないほど速かった。
けれど常人ではない真柄はいとも簡単に刀で捌く。それどころか、槍の柄を斬り落とそうともする。
成政は、真柄が噂通りの強者だと考えていた。
油断をすればこちらが殺される。
だから敢えて――隙を見せる!
成政は大振りで長槍を上から叩きつけた。
真柄は好機とばかりに避けて、下に沈んだ長槍を踏んで――斬り落とした。
その一連の動作を見越していたのか、成政は素早く近づいて、刀を抜いて真柄に斬りかかった。名刀村正の切れ味は鋭く、のけ反った真柄の額を斬った。
成政はしまったと思い、真柄は助かったと思った。
真柄は太郎太刀を横に薙いだ――斬ろうとは思っていない。
成政はまともに当たってしまい、あばらにひびが入ったのを感じた。
「こんの……馬鹿力が……」
よろよろとたたらを踏む成政。
真柄は顔中血まみれになっていた。
脳までは達していないものの、相当深い傷らしい。
「真柄様! 退却しましょう! このままではこちらが――」
朝倉家の兵たちが真柄を担いで退却しようとする。
それを抑えて「てめえ、佐々成政って言ったか」と問う真柄。
「その通りだ。佐々成政という」
「てめえは必ず、俺が殺す……覚えておけよ」
真柄は不敵に笑いながら、兵たちに連れられて行く。
才蔵が「大丈夫か、殿!」と寄ってきた。
「この場で討ち取れなかったのは、痛かったな……」
「まあそうだけど……怪我しているんだろう? 馬に乗ってくれ」
◆◇◆◇
藤吉郎と徳川家の兵が犠牲を払いながら、京へ帰ってこられたのはほとんど奇跡だった。
ひとえに藤吉郎とその配下の力が優秀だったこともあるが、徳川家が朝倉家の軍勢を防いでいた功績も大きい。
成政は藤吉郎が死ななかったことを悔しがったが、自分たちだけでこの窮地を脱せたとは思えなかった。藤吉郎のしんがりが本隊を引き付けてくれたから、自分たちは助かったとも考えた。
あばらの治療のため、部屋で休んでいる成政。
そこへどたどたと利家が入ってきた。
傍には可児才蔵もいて「誰だあんた」と訊ねる。
「俺は織田家の前田利家だ」
「へえ。あんたが。いろいろと噂を聞いているよ。俺は可児才蔵ってんだ」
「見たところ、成政の家臣か」
「お前、何しに来たんだ……あいたたた」
起き上がろうとしてあばらが痛んだ成政。
利家は「無理して起きなくていい」と手で制した。
「てめえのおかげで藤吉郎が助かったって聞いてな」
「誰だ? そんな虚言を言ったのは」
「藤吉郎本人だよ。なんだ、違うのか?」
「……違うと言えば嘘になるな」
「相変わらず、まどろっこしい言い方しやがるな。昔を思い出すぜ」
笑う利家に「それで、何の用で来たんだ?」と成政は不機嫌そうに言う。
「礼を言いに来たんだよ。藤吉郎の代わりにな。お前、あいつのこと苦手だろう?」
「…………」
「ま、俺なりの気遣いってやつだよ」
才蔵は聞いていた話と違ってずいぶんと優しい人だなと思った。
成政から聞いていた、野蛮で粗暴な印象とは異なっていた。
「要らん気遣いだ……と言いたいがな。まあ受け取ってやる」
「素直じゃねえのは変わらねえな。あ、そうだ。一つ訊きたいことがある」
利家は神妙な顔で成政に問う。
成政はどんな問いかと身構えた。
「これから、織田家はどうなっちまうんだ? 教えてくれよ」
無論、藤吉郎の統率力だけではなく不世出の天才軍師――竹中半兵衛の策のおかげでもある。
しかしながら――彼らの力でも限界はあった。
「殿、いかがしますか?」
短く問うのは半兵衛だった。彼は信長が無事に京まで退けられるまであと一日はかかると計算していた。藤吉郎も分かっていた。けれども兵たちは連日の戦いで疲れ切っている。このままでは――全滅もあり得た。
「半兵衛、分かっているだろう――死守だ。決して退いてはならん」
そう語る藤吉郎の眼からは涙が流れている。
ここで死ぬことの無念さを噛み締めているような表情。
それでも利家との約束を守り、信長のために戦うことを決意した。
「ええ、そうでしょうね――今、後方の部隊を火計で押さえています。火を消されて進軍を開始されれば、我が軍は……」
半兵衛はそれ以上言わなかった。
藤吉郎には十分伝わっていたからだ。
いや、藤吉郎のほうが半兵衛よりも分かっていたのかもしれない。
くたびれた顔、ところどころ壊れた鎧姿のまま、藤吉郎は兵たちの元へ向かう。
兵たちも藤吉郎と同じ――それ以上に酷い状態だった。
怪我や返り血で汚れている。
そんな彼らに藤吉郎は鼓舞する言葉をかけた。
「皆の者! 今日一日凌げば生き残れる! 全員、生きて帰ろう!」
大将は常に希望を持たせないといけない。
それを心得ていた藤吉郎の言葉。
兵たちは一斉に大声で喚いた。
藤吉郎が嘘をついたのは分かっていた。しかし、それを信じなければ己が生き残れないとも理解していた。目の前の現実逃避に騙されてやろうと思ったのだ。
そのとき、伝令が藤吉郎の元に駆けてきた。
かなり息を切らしている。余程の悪い報告なのだろうか。
藤吉郎は「何があった!?」と険しい表情で伝令に問う。
「ま、真柄直隆が、ここまで迫ってきております!」
「なんだと!? あの猛将が!?」
ほとんど悲鳴のように藤吉郎が叫ぶと、離れた場所で兵たちが騒ぐ声がした。
何事か半兵衛が目を細める――ただでさえ顔色の悪い彼が青ざめた。
「山崎様の言っていたとおりだ……全員、疲れ切った顔してやがる」
太郎太刀と呼ばれる大刀を振り回しながら、朝倉家随一の猛将、真柄直隆が兵を引き連れてやってきた。
おそらく山崎率いる朝倉家の本隊と分けて、少数で回り込んだのだと半兵衛は悟った。
「さーて、楽しませてくれよ――なあ!」
次々と兵たちを斬殺していく真柄。
もはやこれまでと藤吉郎は覚悟した。
ならばせめて、真柄だけは――
「――っ!? また別の兵が!?」
半兵衛の叫びに藤吉郎は反応する。
まさか、朝倉家の本隊が到着したのか――
「……まさか、織田家の兵と合流できるとはな」
そう呟いた大将の元には、葵の家紋、そして厭離穢土、欣求浄土と書かれた旗印。
彼らも相当疲れているが、数は多い。
「と、徳川家か! 味方の兵だ!」
藤吉郎が喜色満面となった。これなら一日は防げると考えた。
すぐさま真柄の兵と交戦する徳川家の兵。
そこには成政の姿があった。
「……結局は助けることになるのか。まあ仕方あるまい」
馬上から槍を振るって兵たちを討ち取る成政。
歩兵ながらその助けをする可児才蔵もいる。
突如として現れた徳川家に真柄直隆は「ここいらが潮時か」と笑った。
「山崎様としては信長を討ち取りたかっただろうに……仕方ねえ、退くぞ」
真柄の軍勢は少数だった。急ぐ回り道のため、そのほうがいいだろうと判断したが、どうやら詰めが甘かったようだ。
「あばよ。今度は堂々と戦いてえな――」
そう言い残して去ろうとしたとき、真柄に「待て!」と声をかける者がいた。
真柄が振り返ると、そこには成政が馬上から睨みつけていた。
「真柄直隆だな? 貴様は今後、厄介になりそうだ……ここで討ちとっておく」
「へっ。誰だか知らねえが……やれるもんならやってみろよ」
森の中を回り道したので、真柄は徒歩だった。
騎兵である成政のほうが有利だと思われるが、兵たちが大勢いて混戦となっている。
だから成政は馬を下りた。そして長槍を構える。
「真柄直隆、参る」
「佐々成政、行くぞ」
成政は先手必勝とばかりに、真柄を突く――その動きは常人には見えないほど速かった。
けれど常人ではない真柄はいとも簡単に刀で捌く。それどころか、槍の柄を斬り落とそうともする。
成政は、真柄が噂通りの強者だと考えていた。
油断をすればこちらが殺される。
だから敢えて――隙を見せる!
成政は大振りで長槍を上から叩きつけた。
真柄は好機とばかりに避けて、下に沈んだ長槍を踏んで――斬り落とした。
その一連の動作を見越していたのか、成政は素早く近づいて、刀を抜いて真柄に斬りかかった。名刀村正の切れ味は鋭く、のけ反った真柄の額を斬った。
成政はしまったと思い、真柄は助かったと思った。
真柄は太郎太刀を横に薙いだ――斬ろうとは思っていない。
成政はまともに当たってしまい、あばらにひびが入ったのを感じた。
「こんの……馬鹿力が……」
よろよろとたたらを踏む成政。
真柄は顔中血まみれになっていた。
脳までは達していないものの、相当深い傷らしい。
「真柄様! 退却しましょう! このままではこちらが――」
朝倉家の兵たちが真柄を担いで退却しようとする。
それを抑えて「てめえ、佐々成政って言ったか」と問う真柄。
「その通りだ。佐々成政という」
「てめえは必ず、俺が殺す……覚えておけよ」
真柄は不敵に笑いながら、兵たちに連れられて行く。
才蔵が「大丈夫か、殿!」と寄ってきた。
「この場で討ち取れなかったのは、痛かったな……」
「まあそうだけど……怪我しているんだろう? 馬に乗ってくれ」
◆◇◆◇
藤吉郎と徳川家の兵が犠牲を払いながら、京へ帰ってこられたのはほとんど奇跡だった。
ひとえに藤吉郎とその配下の力が優秀だったこともあるが、徳川家が朝倉家の軍勢を防いでいた功績も大きい。
成政は藤吉郎が死ななかったことを悔しがったが、自分たちだけでこの窮地を脱せたとは思えなかった。藤吉郎のしんがりが本隊を引き付けてくれたから、自分たちは助かったとも考えた。
あばらの治療のため、部屋で休んでいる成政。
そこへどたどたと利家が入ってきた。
傍には可児才蔵もいて「誰だあんた」と訊ねる。
「俺は織田家の前田利家だ」
「へえ。あんたが。いろいろと噂を聞いているよ。俺は可児才蔵ってんだ」
「見たところ、成政の家臣か」
「お前、何しに来たんだ……あいたたた」
起き上がろうとしてあばらが痛んだ成政。
利家は「無理して起きなくていい」と手で制した。
「てめえのおかげで藤吉郎が助かったって聞いてな」
「誰だ? そんな虚言を言ったのは」
「藤吉郎本人だよ。なんだ、違うのか?」
「……違うと言えば嘘になるな」
「相変わらず、まどろっこしい言い方しやがるな。昔を思い出すぜ」
笑う利家に「それで、何の用で来たんだ?」と成政は不機嫌そうに言う。
「礼を言いに来たんだよ。藤吉郎の代わりにな。お前、あいつのこと苦手だろう?」
「…………」
「ま、俺なりの気遣いってやつだよ」
才蔵は聞いていた話と違ってずいぶんと優しい人だなと思った。
成政から聞いていた、野蛮で粗暴な印象とは異なっていた。
「要らん気遣いだ……と言いたいがな。まあ受け取ってやる」
「素直じゃねえのは変わらねえな。あ、そうだ。一つ訊きたいことがある」
利家は神妙な顔で成政に問う。
成政はどんな問いかと身構えた。
「これから、織田家はどうなっちまうんだ? 教えてくれよ」