第60話それぞれの覚悟

文字数 3,101文字

 尾張国の浮野での戦いは熾烈を極めた。
 数で劣る信長の軍は信賢に一時押されていた。
 だが信長が当主となった日から、彼らは戦い続けている。
 精強さにおいては信賢を圧倒していた。

 また、援軍である信清の軍も戦の後半から加わり、一気に戦況は信長有利となる。
 総崩れとなった信賢の軍は、居城の岩倉城で篭城戦に入る。
 蟻の穴も通さぬ包囲により、もはや織田伊勢守家は風前の灯となる――

「……おかしいな。できすぎている」

 本陣にて信長は怪訝そうに呟いた。
 すかさず傍らにいた成政が「いかがなさいましたか?」と問う。

「信賢は俺の首を狙っていたはずだ。しかし……」
「敵方の思惑より我らのほうが強かった……というわけではないと?」
「ああ。あいつは暗躍を好む。正面から戦うほど潔くはない」

 尾張国を統一する最後の敵として想定していた信賢が、まさかここまで歯ごたえもない者であるとは、信長は思えなかった。
 だからこそ、違和感が多すぎたのだった。

「成政。お前はどう思う?」
「……おそらく、何かを狙っているのでしょう」

 成政はそう言いながらも、半分くらいは信賢の誤算だったのではないかと考えた。
 一千以上の兵を死なせたことも、篭城を強いられていることも、敵にしてみれば計算外だった。

 であるならば、信賢は切羽詰っている。
 何をしても信長の首を狙おうとする。

「俺の首以外に何を狙う?」
「弟君では?」
「…………」

 未来の知識を知っている成政には自明だった。
 しかし信長の落胆する顔は予想できなかった。

「この期に及んで、俺を殺すのか」
「その可能性はあります」
「俺が憎いのか?」
「……それは分かりませぬ」

 信長は天を仰いで「一度、許してやったではないか」と呟く。

「戦に勝った。度量の深さを見せた。それでも――不満があるのか?」
「それほど、当主の座は惜しいのでしょう」
「であるか……」

 信長は「清洲城に戻る」と短く告げた。

「後は家臣に任せる」
「皆には、お身体の調子が悪いと伝えます」
「ふん。お前の察しの良いところは素晴らしいな。そういうところ好きだぞ」
「ありがたきお言葉」

 信長は「利家にもう一度柴田を探らせろ」と成政に言った。

「信勝から遠ざけられているらしいが、何も知らぬことはないだろう」
「……かしこまりました」
「なあ。成政」

 信長は疲れた表情を見せた。
 それは成政だけではなく、見る者全ての胸を締め付けるものだった。

「俺は――弟を殺さないといけないのか?」


◆◇◆◇


「はあ? 柴田様を探れ?」

 清洲城に戻った信長が病で伏せている。
 それを聞いた利家はどうしたものかと頭を悩ませていた。
 しかし成政の口から出た主命で、すっかり吹き飛んでしまった。

 利家と成政は信長に従って清洲城に帰還していた。
 他にも戻った者は大勢いる。
 それは服部小平太や毛利新介など、馬廻り衆の中でも腕利きの者ばかりである。

「ああ。殿からの命令だ」
「なんでだよ。この前行ったときは何も話さなかったぞ?」
「状況が変わったんだ」

 成政は仔細を言わずに利家に「さっさと行け」と言う。
 そんな上から物を言うのような、偉そうな物言いに利家は苛立ちを見せた。

「てめえ、なんだその言い方は。馬鹿にしているのか?」
「私はいつだって、お前を馬鹿にしている」
「なんだと!」
「いいから行け。殿のことは心配ないから」

 やけに冷たい言い方だなと利家は疑問に思ったが、柴田とは会いたかったので「分かった」と短く応じた。
 浮野の戦いで手柄を立てたことも褒めてもらいたかったのもある。

「ちゃんと仕事しろよ」
「お前に言われたくない」

 いつも通りの憎まれ口で背を向けた利家。
 そのとき成政は思わず「気をつけろよ」と付け加えてしまった。
 利家は一瞬、おかしいなと思ったが、振り返ることなく馬屋へと向かった。

 末森城の武家屋敷にある、柴田の屋敷に向かうと、玄関に下人と侍女が立ち尽くしている。
 利家は「何かあったのか?」と下人に訊ねる。

「ええっと、あなた様は?」
「織田家家臣、前田利家だ」
「ご無礼しました。実は御主人様が屋敷からしばらく出ろと」

 利家は嫌な予感がした。
 それは平手政秀が死んだときと同じ胸騒ぎだった。

「お前たちは入るな! 俺が確かめる!」

 下人と侍女にそう告げると、早足で屋敷の中に入る利家。
 中の襖や障子を乱雑に開けて、柴田を探す――

「柴田様! どこにいるんですか!?」

 喚きながら開けた先に――柴田がいた。
 白装束で短刀を持ち、呆然とした表情で利家を見つめていた。

「柴田様! 何をしているのですか!」

 利家が近づき、短刀を取り上げる。
 柴田はばつの悪い顔で「間が悪かったな」と呟いた。

「下人たちには誰も近づかせるなと言っておいたのだが」
「……どうして、自害をなさろうとしたんですか?」

 柴田の悲しげな顔を見て、逆に冷静になれた利家。
 短刀を投げつつ「理由を聞かせてください」と座って目線を合わす。

「……信勝様が、また謀叛を起こそうとしてな」
「なっ!? それは本当ですか!?」
「ああ、間違いない。側近の津々木と企んでいた」
「だから死のうとしていたんですか?」

 柴田は小さく頷いた。
 利家は拳を強く握り締めた。

「わしの死で諌めようとしたのだ。信長様がそれで許してくれるとは思わぬが」
「どうして、ですか。なんでそこまで、信勝様を……」
「わしの主君だからだ」

 利家自身、信長に高い忠誠心を持っていた。
 だが自分の死をもって諌めようとは考えたことはない。
 信長は筋道を立てて説明すれば、考えを改めることがあるからだ。

「そんなの、間違っていますよ! 死んで諌めようなんて――」
「ま、わしが死んでも信勝様は考えを改めないだろうがな」
「尚更、おかしいじゃないですか! なんで死ぬんですか!」
「…………」

 柴田は利家に微笑んだ。
 利家の何かがぶちりと切れる音がした。
 握り締めた拳を振り上げた。

「こんの――大馬鹿野郎が!」

 利家が柴田の頬を殴りつける。
 まるで貫く勢いで思いっきり殴ったものだから、柴田は部屋の隅まで倒れこんだ。

「ふざけるなよ! 簡単に――死ぬんじゃねえ!」
「…………」
「諦めるんじゃねえよ! 馬鹿じゃねえのか!」

 柴田は仰向けに倒れたまま、起き上がろうとせず、利家の言葉を聞いていた。

「どいつもこいつも、死ぬことばかり考えやがって! 平手様もそうだ! あの人やあんたは俺に生き様を見せてくれたじゃねえか! だったらもっと生きろよ! 生きてくれよ! なんであっさり死ねるんだよ!」
「…………」
「俺はそんな格好悪いところ見たくねえんだよ! 馬鹿野郎が! 俺はな、あんたを尊敬しているんだよ! 俺にこんなことを言わせるなよ! もっと格好良いところ見せてくれよ! 大嫌いにさせるんじゃねえよ!」

 支離滅裂で何にも筋は通っていなかった。
 馬鹿がただ喚いているだけの言葉だった。
 でも、心が弱っているときは、こんな熱い馬鹿の言葉がすうっと身に染みる。

「……格好悪いか」

 柴田はゆっくりと起き上がった。
 頬には青痣ができている。

「わしはどうしたらいい?」
「……そんなの知らねえよ。でも自害よりきっと、やるべきことあるだろ」

 利家の真っ直ぐな言葉。
 正道を往く前向きな言葉。
 柴田は口元を歪めた。どうやら笑ったようだった。

「そうだな。信長様に信勝様の助命を乞おう。己にできることをやってみよう」

 柴田は利家に頭を下げた。

「引き合わせてくれ、信長様に。覚悟は決めた」

 利家はしばらくじっと柴田の顔を見つめた後――

「――ええ、喜んで」

 安心したようににっこりと笑った。

「そっちのほうが、柴田様らしいですよ」
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