第115話墨俣一夜城

文字数 3,460文字

 木下藤吉郎が墨俣に城を築いたという知らせが届いたとき、利家は人目もはばからず喝采を叫んだ。やはりあいつはやるときはやる男だと嬉しくて仕方がなかった。

 一体、どのようにして城を築いたのかは分からない。
 早馬で駆け込んで伝えてきた藤吉郎の弟、木下小一郎は「急いで援軍を……」と言って気絶してしまった。昼夜問わず動き続けて証である。

 利家は森可成と共に軍をまとめて墨俣へと進攻した。手勢は少ないが、後で信長の本軍が来る手筈となっている。その行軍の中、可成は「大した者ですね、木下殿は」と感心していた。

「佐久間様や柴田様ができなかった主命を成し遂げるとは。前々から器用で目端の利く人とは思っておりましたが……」
「兄いも予想できなかったのか。ま、あいつの凄さは分かるには時間がかかるからな」
「ええ。あなただけですよ。木下殿の真価に気づいていたのは」

 馬をやや駆け足にして二人は並んでいた。早すぎると徒歩の兵が疲れてしまう。だからこれが限度の行軍速度だった。

「真価ってほどじゃねえよ。藤吉郎は昔から凄かった。馬屋番をやらせたら綺麗に毛繕いするんだ。しかも殿の馬だけじゃねえ、全部の馬のだ。前に壁修理したときも三日で終わらせやがった。人を上手く使ってな」
「そうでしたね。あの頃は佐々殿もいましたっけ」
「そうそう。よく分からねえが成政の野郎、藤吉郎を避けていたな。嫌っているわけじゃないけど、苦手っぽかった」

 成政と喧嘩している割に、随分と彼のことを見ていたんだなと可成は思った。
 微笑ましい気持ちになったが口には出さない。
 代わりに藤吉郎の話を続ける。

「こたびの成功で木下殿は出世するでしょうね。あなたと同じ、侍大将になるかもしれません」
「お。そりゃあいいや。あいつも喜ぶだろうぜ」
「利家はそれでいいのですか? 下の者だった木下殿が同輩になるんですよ?」

 可成が心配しているのはそこである。
 今は仲が良くても出世によって関係がぎくしゃくする可能性があった。
 ただでさえ、藤吉郎の出世を家中の者で面白く思わない者が多い。もし親友である利家が藤吉郎を疎んじてしまったら――

「良いに決まっているだろ。これであいつは俺を様付けで呼ばず、敬語も無しに喋ってくれる」
「……ふふ。そうですか」

 男らしいさっぱりとした返答に可成は利家らしいなと笑った。
 杞憂で良かったと思う反面、どうして利家は藤吉郎に甘いのだろうか?
 可成は「木下殿を買っているんですね」と言う。

「買っている……いや、俺はあいつに恩があるんだ」
「恩? それは浪人のときの話ですか?」
「可成の兄いもそうだけど、俺ぁあんときに世話になった人に返しきれない恩ができちまったんだ」

 別に恩知らずというわけではないが、一見、大雑把に思える利家が細やかなことを覚えているとは思っていなかった可成。

「藤吉郎は時々、俺の様子を見に来てくれた。この戦なら出られるとか、この戦なら手柄を立てられるとか、いろいろ考えてくれたんだ。一緒に酒も飲んでくれた。語り明かしたこともある。普通ならさ、浪人で落ち目になった俺なんか、見捨てるだろ?」
「…………」
「藤吉郎だけじゃねえ。兄いのことも、柴田様のことも、あの野郎のことも恩に思っている。苦しいときに助けてくれた人は信用できるって言うけど、俺は助けてくれた人には命を懸けて恩を返すぜ」

 受けた恩は返す。言葉にしてみれば単純で、利家の思考にぴったりと嵌るものだけど、実際にできる男はそうはいない。
 可成は改めて利家の男気に惚れ惚れとした。

「では、俺に恩を感じているなら――」

 可成は珍しくおどけたように言う。

「この援軍から帰ったら、木下殿と一緒に飲みましょう。利家の奢りで。それでチャラです」
「馬鹿言うなよ兄い。その程度で返した気分にならねえよ」


◆◇◆◇


 藤吉郎が築いた城は、短い期間で作ったとは思えないほど外観がしっかりとしていた。
 利家は素直に凄いと思い、可成は内側の作りはどうなんでしょうかと考えた。

 斉藤家の軍が遠巻きから矢を放っているが、強固な板壁に刺さるだけで効果は無かった。
 近づこうにも辺りは長良川の支流に囲まれており、さほど近づくことができなかった。
 しかも城を守っている兵がやたらと強いのも原因だった。どてらを着て髭っ面で、兵士というより山賊のようだった。

「よっしゃ。斉藤家を蹴散らしてくるか。兄いは城に入っててくれ」
「おや? 利家も手柄を望みますか?」
「そうじゃねえけど、血が騒いで仕方ねえんだ」

 利家はにやりと笑って言う。

「友達が俺に見事な仕事ぶりを魅せたんだ。だったら俺も励まねえとな!」

 利家は槍を携えて、兵と共に斉藤家の軍勢に突撃する。
 唖然と城を見ていた斉藤家の兵は、猛然と迫ってくる利家を見て戦意を失ってしまった。
 今までは城を建てている最中に攻撃すれば良かった。逃げ惑う敵を後ろから追い回すだけだった。
 しかしいつの間にか完成している城と駆けつけてきた織田家の兵を見てすっかり恐慌状態になってしまった。

 利家が戦っている間、可成が城に入った。
 中はまだ出来上がっておらず、山賊か野盗か分からない荒くれ者が作業していた。

「これは森様! 来てくださるとは!」

 身体中土と埃だらけで汚く、目の下の隈が酷い猿顔の男、藤吉郎が嬉しそうにやってきた。疲れ切っているはずだが、微塵も感じさせない。

「ご苦労様です。今、利家が斉藤家と戦っています」
「なんと! 前田様まで!」
「もうすぐこちらに来ますよ。それと殿もやってきます」

 藤吉郎は「それなら安心ですな」とため息をついた。
 けれど腰を下ろしたりしない。指揮官である自分が腑抜けた態度を取れば士気が下がると分かっているようだった。

「おう藤吉郎! お前よくやったじゃあないか!」

 しばらくして敵を追い払った利家が城へと入った。
 身体中、返り血だらけだが傷は負っていないようだった。
 藤吉郎は「ありがとうございます!」と喜色満面で頷いた。

「どうやったのかは知らねえけど、すげえことしたな!」
「それがしだけの力ではございません。あそこにいる蜂須賀小六殿と仲間たちのおかげで墨俣城が建てられたのです」

 藤吉郎が指さす先には筋肉隆々とした髭が逞しい男がいた。
 おそらく休みなく働いているはずなのに、疲れを知らない様子で指示を出している。

「やっぱりお前は人使いが上手いなあ」
「そ、それほどでも……」
「謙遜するなって。これで俺たちは対等の立場だな」

 利家が当たり前に言った言葉に、藤吉郎は「恐れ多いですよ!」と首を振った。

「何度も言いますが、それがしは前田様を尊敬しています! 対等などと……」
「俺だって何度も言っているぜ。お前はできる奴だ。俺なんかより出世するってよ」

 急に真面目な顔になって、利家は「なあ藤吉郎」と呼びかけた。
 藤吉郎も姿勢を正す。

「俺は俺の認めた奴にしか従わねえ。殿や柴田様、可成の兄いとかな」

 可成は自身の名が出ても反応しなかった。利家が何を言うか分かっていたからだ。

「その認めた奴の中には、お前も含まれているんだぜ」
「えっ? そ、それがしも……?」
「さっさと出世しろ。その人使いの上手さで俺を使ってくれや」

 藤吉郎は改めて利家の度量の深さに驚いていた。
 下の人間だった自分の出世を喜び、追い抜かれることさえ厭わない。
 しかもこんな百姓上がりの自分の指示を聞くとも言ってくれる。

 そこまで自分を高く評価してくれる人はいなかった。
 今川家の松下嘉兵衛の下で働いていたときは見下されていた。
 織田家でも侮られることが多かった。
 だけど、最も尊敬している男が、認めてくれている――

「……前田様。それがしは出世します」

 自然と溢れる涙を止められなかった。
 藤吉郎は頭を下げて利家に誓う。

「前田様に認めてもらったことを糧に、懸命に励みます。いつか城持ち大名となり、前田様が間違っていなかったことを証明します」
「ああ。なれよ、藤吉郎。成り上がってくれ」

 利家は嬉しい気分になっていた。
 やっと藤吉郎が覚悟を決めてくれたこと。
 そして一人前の男になったこと。
 これで少しだけ恩が返せたと思えた。

 その様子を見ていた可成は微笑ましい気持ちとは裏腹に、少しだけ不穏な空気を感じ取っていた。
 何か歯車がずれたような感覚。
 武人である可成でしか分からない奇妙な予感。

 だが気のせいだと振り払うことにした。
 二人の友情を邪魔するほど野暮なことはない。
 そんな森可成の気遣いで、狂ったまま歯車は動いていく。
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