第117話友人記念日

文字数 3,103文字

「藤吉郎が墨俣城を築城した祝いで――乾杯!」

 利家が乾杯の音頭を取ると、藤吉郎とその家来たちが一斉に「乾杯!」と杯を合わせた。
 ほとんどは蜂須賀小六の子分たちなので、荒くれ者が多かった。大声で騒ぐ者、一気飲みする者、下品な冗談を言い合う者など。しかし自身の屋敷を宴の場として提供している利家は嫌な顔をしない。むしろ「皆、たくさん食って飲め!」と煽っている。

「藤吉郎、お前も飲め!」
「あ、ありがとう……利家」

 とくとくと藤吉郎の盃に酒を注ぐ利家。
 慣れない対等な口ぶりに戸惑いつつ、藤吉郎はごくごくと飲み干した。

「いやあ。侍大将に出世して良かったじゃねえか! これで俺と同じだ! というより俺ちよりも出世するんじゃあないか?」
「あはは。気が早いぞ?」
「遅いよりいいだろ! 墨俣城は物凄く早くできたじゃねえか!」

 利家の言葉に「そうだ、藤吉郎!」と頷くのは美濃国で名を轟かせた野武士の頭領、蜂須賀小六だった。髭っ面で筋肉粒々で、それでいて凛々しい顔つきをしている。もう少し身なりに気を使えば武将として見られるだろう。

「その前田殿の言うとおりだぜ! 俺が仕える以上、さっさと出世してもらわねえと!」
「小六殿、分かっておる、分かっておるぞ」

 そう答える藤吉郎の顔は赤い。酔っているようだった。
 次々と料理が運ばれてくる。侍女や下男たちは野武士の集団に恐れを抱きながら、お膳の準備をした。

 それらを取り仕切っているのはまつとねねだった。夫の無事と出世を喜ぶねねとは対照的に、後片付けのことを考えると頭が痛くなるまつ。けれど楽しそうな利家を見て仕方ないなと思い直した。

「まつ殿、義姉さん。料理の細かな味付けはいいです。とにかく味の濃いものをたくさん持ってきましょう」

 二人を手伝っている律義者、あるいは苦労人の木下小一郎。藤吉郎の父違いの弟で、おそらく手が足りないだろうと名乗り出たのだ。

「小一郎殿。あなたは宴に参加しないのですか?」
「私は裏方でいいのですよ。ああ、料理を少しつまみ食いしているので、ご安心を」

 まつは出来た弟だと思う反面、気苦労が絶えないわねと感じた。
 徐々に飲み食いの速度は落ちてきた。このまま進めばひと段落着くだろう。食材が残り少なくなってきた頃合いなので助かった――

「おおい、利家の兄さん! 遊びに来たぜ!」

 ぴきりとまつの表情と動きが止まった。
 ねねも不味いという顔になる。
 事情と人間関係を知らない小一郎は「どうなさいました?」と訊ねる。

「何やら客人のようですが……」
「いえ客人ではなく厄介者です無視してくださいさっさと料理を運びましょう」
「や、やけに早口ですね……?」

 というより自棄になりたいくらいの訪問者だった。
 まつは存在を無視して料理作りを再開しようとした。

「あん? なんだ、まつさんいるじゃねえか」

 誰も出迎えなかったのに勝手に入ってきた、酒瓶を数本持った前田慶次郎。
 いや、出迎えが無かったから勝手に入ってきたのだろう。

「ちっ。何の用ですか?」

 舌打ちが聞こえたので、小一郎は思わずまつの顔を見た。
 無理やり笑っているが明らかに怒っている。
 ねねははらはらしながら様子を窺っていた。

「遊びに来たんだよ。暇だったから」
「私たちは忙しいのですが」
「うん? どうしてだ?」
「…………」

 皮肉が一切通じない無邪気な男だと、まつは分かっていたが、それでもこの反応は癪に障った。

「なんか楽しそうな声がしているな。宴でもしているのか?」
「……そうです」
「じゃあ俺も参加するよ。酒と肴用意してくれ」

 あまりに傍若無人な物言いにまつは「この……!」と罵倒しかけたが、後で利家に言うかもしれないと思い直して「……いいですよ」と言う。

「ありがとうな、まつさん……あれ? あんたは初顔だな? でも下男のようには見えない」
「え、あ、その。木下藤吉郎の弟で、小一郎といいます」
「ああ! あの墨俣城の! ということはその祝宴だな? 兄さんと木下って人は仲が良いから」

 まつの皮肉が通じないのに、どうしてそういうところは鋭く頭が回るのか。
 まつの身体が怒りで震える。
 ねねはそれを見て恐怖で震える。

「小一郎殿は宴に参加しないのか?」
「いえ、私はお手伝いを……」
「何遠慮してんだよ。兄を支える賢弟だって聞いているぜ? 一緒に飲もうぜ」

 小一郎を無理やり引っ張って台所から出る慶次郎。
 残されたまつとねねは、これから大変になるのに人手が足りなくなったことに遅れて気づいた。

「ま、まつ……」
「……いつか、必ず」

 その後の言葉は続かなかった。自制したのだろう。
 ねねと遠巻きから見ていた侍女と下男が固唾を飲む中、まつは「……ふっ」と笑った。それまでの間、まつが何を考え、何を想像したのかは定かではない。

「料理を作りましょう。ねね、皆さん。よろしいですね?」
「は、はい!」

 ここから先、一切の失敗は許されない。
 張り詰めた緊張感の中、ねねたちは作業を再開した。


◆◇◆◇


「慶次郎! なんだお前来てたのか! こっち来て飲めよ!」

 慶次郎が宴の場に現れると、利家は嬉しそうに隣へと誘った。
 慶次郎は小一郎と一緒に利家の正面に座った。

「へへ。また酒持ってきたぜ」
「この前の酒、まだ残っているがいいのか?」
「遠慮すんなよ。それで、あんたが木下藤吉郎か」

 慶次郎が水を向けると「そうだ。それがしは木下藤吉郎である」と自慢げに胸を張った。かなり酔っている証だった。

「利家の兄さんから話を聞いているぜ。いい人らしいな」
「ふふふ。ありがたい話だ」
「まずは一献!」

 慶次郎が持参した酒を差し出すと、藤吉郎は盃を掲げた。
 そして酒を口に含むと「美味しい!」と言う。

「かなり上物だな……」
「味が分かる人で良かったぜ。兄さんもどうぞ!」
「ありがとうな、慶次郎」

 その後、慶次郎は踊りを見せたり歌を歌ったりして場を盛り上げた。
 盛り上がったことで、宴席にいた男たちは大いに飲み食いをした。
 結果としてまつたちの負担は大きくなってしまった。

「藤吉郎、ちょっといいか?」

 慶次郎と小六が意気投合して、腕相撲を取って場を熱狂させている中、利家は藤吉郎を外に誘った。
 何か大事な話だと悟った藤吉郎は「分かった」と応じた。

 庭に出た利家は井戸の水を桶で汲んで、近くに置いてあった柄杓で飲んだ。
 藤吉郎も同じようにする。酔い覚ましだ。

「藤吉郎。お前には散々世話になったな」
「……世話になったのは、それがしのほうだ。右も左も分からない百姓上がりの男を助けてくれた恩は忘れない」
「それを言えば、浪人のときに色々助けてくれただろう」

 藤吉郎は「何度も言うが」と笑った。

「それがしは利家を尊敬している。殿と同じくらいにな。だから当然の行ないだ」
「じゃあ貸し借りなしだな」

 気がつけば昼から始まった宴が夜中まで続いている。
 空を見上げると星が瞬いていた。

「これからは同僚として力を貸すぜ」
「それがしも気持ちは同じだ。やっと恩返しが終わって、対等になれたんだから」
「互いに助け合っていこうや」

 藤吉郎は「利家は出世に興味ないのか?」と訊ねた。
 利家は「あんまない」と答える。

「殿のために戦う。それで天下泰平になれば御の字だ」
「天下泰平、か……」
「おかしな話だと思うか?」

 藤吉郎は首を横に振った。
 そして日輪のような笑みを見せる。
 人を惹きつける笑顔だった。

「絶対叶う。いや、一緒に叶えよう!」

 利家は藤吉郎の屈託のない表情に、少し止まって、それから笑った。

「ふふふ。やっぱりお前には敵わねえな。藤吉郎」

 利家と藤吉郎。
 二人の友情が真になったのは、この夜のことだった。
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