第107話鵜沼城攻め

文字数 3,102文字

 織田家の大軍の進攻を聞いた、犬山城城主の織田信清は城を捨てて逃げ出した。
 織田伊勢守家との戦では援軍に加わった、いわば味方だったのに、どうして斉藤家側に寝返ったのか。その理由は定かではないが、信長は「捨てておけ」とだけ言い残して見逃した。

 犬山城を取り戻したことで西美濃の武将たちは自らの領土の守りを固めた。それは柴田勝家が進攻の構えを見せていたからだ。無論、柴田は窺うだけで攻め込んだりしない。牽制しておくことで西美濃が攻め込んでくるのを防ぐのが目的である。

「利家。お前、面白そうなことを考えたな」
「……誤魔化しても無駄だと思いますので、ここは素直に認めましょう」

 鵜沼城近くに陣を張った織田家。
 本陣にて信長は利家と和やかに会話をしていた。
 犬山城の攻略があっさりと終わったことで上機嫌なのだろう。

「家中のことを知らぬ君主などおらん……まあ家臣の心変わりは分からんがな」
「心までは読めないってやつですね」
「そうだ。それで城内に一番乗りしたらと聞いたが、一応二の丸まで攻め入ったら、交渉しようと思っている」

 曲輪が一の丸から三の丸まで造られている鵜沼城。
 堅城であるのは、尾張国との国境だからだろう。
 利家は「そこまで落としたら一気呵成に攻め立てようとは思いませんか?」と疑問を呈する。

「無理攻めしたらこちらの被害が多くなる。城方も必死で抵抗してくるだろう。なるべく楽に落としたい」
「ああ。沢彦のじじいが言っていましたね。孫子か呉子か忘れましたが……」
「孫子曰く『軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ』か?」
「それです。軍団はそのまま自分の戦力にするのが上策ですよね?」
「よく覚えているな。沢彦に鍛えられたか」

 利家は「俺も殿のお役に立ちたいですからね」と屈託なく笑った。
 それから真面目な顔に切り替える。

「それに俺はまだ若いですけど、いずれ年老いて戦えなくなります」
「寂しいがそのとおりだ。つまり、お前はそれに備えていると?」
「俺は柴田様や可成の兄いみたいな武将になりたいんです。ま、侍大将だから兵を率いらなければならないのもありますが」

 信長は利家がそこまで考えているとは思わなかった。
 単純明快だが少し繊細な面を持っている。そう判断したが、今は周りを見て自分の立ち位置を考えられる視野を持っていた。

「であるか。頼もしいぞ、利家」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
「だから、今回の競争を考えたのか?」

 信長は利家をの心中を見抜くように、淡々と語る。

「己の力を示して、筆頭の地位に就く。さすれば佐脇は嫌々でも従う。そしてお前が軍団を持つとき、後継者を指名しやすい」
「あ! 後継者は考えていませんでした! 良き考え、ありがたく頂戴いたします」

 利家の馬鹿みたいな明るい声と仕草に、信長は目を丸くして、それから大笑いした。

「ふははは! 根本は変わらんか!」


◆◇◆◇


 鵜沼城の攻略は日中に行なわれた。
 周辺に鬨の声が上がり、兵は己の声帯の限界を超えるように叫ぶ。
 城方は恐慌しているが、周りをぐるりと囲まれてしまったら逃げ場はない。
 必死になって矢を放ち上から岩や石を投げる。

 赤母衣衆の筆頭に就く競争――それに参加した者は、戦の始めは力を抑えようと考えていた。いくら何でも敵の体力が有り余っているときに攻めても城内に乗り込めるとは思えない。それに運良く乗り込んでも城方に討ち取られるのが落ちである。

 だから後方からゆるりと己の安全を確保して、戦の終わり時に本気を出そうと、佐脇たちは企んでいた――その思いあがった考えが打ち破れることになる。

「うおりゃああああああああ!」

 兵の先頭を走り、真っ先に城壁へと辿り着き、矢や岩をものともせず、勇猛果敢に這い上がっていく男――利家。

「な、なんだこいつ! 信じられねえ!」
「おい、そいつなんとかしろ!」

 ただでさえ大軍に囲まれているのに、一人だけ元気が有り余っている男が、もの凄い勢いで迫ってくる。兵たちは利家を狙うが、何故か矢が当たらない。岩すらすり抜けるように下へと落ちる。

 理由は利家の鬼気迫る表情にある。背丈が尋常より大きい利家が一心不乱に城壁を越えようとしている様は、まるで絵物語の鬼のようだった。そんな男を狙うとなると、震えが止まらなくなる。要するに――ただの気迫で怯えてしまったのだ。

「佐脇……あいつ、一番乗りしそうだぜ?」

 佐脇の隣で呆然としている加藤弥三郎の声。
 悔しさで奥歯を噛み締めている佐脇。

 あんたはいつもそうだった。昔から変わりはしない。
 親父に怒られても自分を曲げなかった。
 それを上の兄たちは困ったように喜んでいた。
 あんたを反面教師として見て、真面目に育った俺は養子に出された。
 俺のほうが強いはずだ、。俺のほうが優秀なはずだ。
 でもどうして、みんながあんたを認めるんだ。
 どうして今、馬鹿やっているあんたが、成果を上げようとしているんだ――

「くそ! 俺も行くぞ!」
「佐脇! 無茶するな!」

 加藤の言葉を無視して走り出す佐脇。
 それを見た赤母衣衆たちも急いで駆け出す。

「あの馬鹿たちを死なせるな! 馬廻り衆、出撃せよ!」

 暴走と言うべき赤母衣衆の進軍を見て、仮の筆頭に就いていた毛利新介が馬廻り衆に命ずる。その勢いを見て他の兵たちも後に続いた。

「――ああ? なんか勢い無くなったな。今のうちか」

 利家は気づいていない。勢いが無くなったのは鬼気迫るように赤母衣衆たちが攻め立てたからだと。そしてその原因が自分にあると。
 のん気な利家はそのまま城壁を昇って――三の丸へと進入した。

「前田又左衛門利家、推参! さあ、槍の又左の首を討ち取って、名を上げるのはどいつだ!」

 背中に担いだ長槍を振り回しながら、兵たちに見得を切る利家。
 槍先を向ける兵の一人が「槍の又左だってえ!?」と素っ頓狂な声を出した。

「あの頸取六兵衛を討ち取った奴かあ!?」
「なんだと!? 猛将じゃねえか!」

 利家は「なんだなんだ、知っているじゃあねえか」と笑った。
 そして頭の上で槍を回して――下して格好良く構え直す。

「さっさと来い。それとも俺から行ったほうがいいか?」

 たった一人なのに、大勢の人間を相手にしているような存在感。
 度肝を抜かれた兵たちは動くことができず――

「この馬鹿野郎! 死にてえのか!」

 大声と共に城壁を乗り越えて、利家の後ろに着地したのは、佐脇良之だった。
 利家は振り返ることなく「遅かったじゃねえか」と不敵に笑った。

「後の赤母衣衆たちはまだか?」
「もうすぐ来る! それよりなんだそれは! いくら何でも無茶しやがって!」
「なんだお前。俺が死んだほうが良かったんじゃねえか?」

 その言葉に、佐脇は。
 今まで抱えていたものを――爆発させた。

「ふざけんな! 兄貴に、俺のことを認めてもらってないのに、死ぬなんて許さねえよ!」
「…………」
「俺は兄貴に負けたくないんだよ! でもそれ以上に認めてもらいたいんだよ! そんぐらい、兄弟だったら分かれよ、馬鹿兄貴!」

 利家は今まで自分に懐いていないと思っていた弟から、考えてもみなかった本音をぶつけられて――

「はっ。面白いこと言いやがる」

 戦場だというのに、笑った。
 城方の兵は不気味に思い、後ずさりした。

「認めてほしかったら、手柄挙げてみろ、阿呆な弟」
「――望むところだよ、馬鹿兄貴!」

 利家と佐脇は自然と背中合わせになる。
 兵たちは既に飲まれていた。
 互いには見えないが、二人は――笑っていた。
 利家は城どころか戦場全体に響き渡るように叫ぶ。

「どっからでもかかってこいや! 今の俺ぁ無敵だぞ!」
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