第91話複雑な関係

文字数 3,248文字

「利家の兄さん! 遊びに来たぜ!」
「おう。まあそこに座れや」

 どかどかと居間に入ってきた前田家次期当主、前田慶次郎利益に対し、浪人の利家は鷹揚に応じた。そして慶次郎が座ると「あまり上等なもんじゃねえが」と酒瓶を差し出した。

「悪いな。ではいただくぜ」

 盃に注ぐことなく、酒瓶ごと飲みだす慶次郎。その豪快さに利家は惚れ惚れとしながら、自分の手元にある茶碗の酒をぐいっと一口含める。そもそも盃など貧乏暮らしの彼の家には無かった。

「あらあら。また来たんですか。慶次郎さん」

 台所から酒のアテを一人分だけ持ってきたまつは、慶次郎に不快な表情を見せた。
 しかし慶次郎は気にせず「ああ。また来たよまつさん」と笑った。

「こう何度も来られたら、お酒がいくらあっても足りませんね」
「そうか? 利家の兄さんは気にしないって言ったけど。なあ兄さん」
「……それにどっぷりと甘えるのですか?」
「いけないのか?」

 にこにこと無邪気な笑みを見せる慶次郎に、まつは皮肉を言っても無駄だと思った。
 しかし利家のいるまえで「迷惑だから帰れ」とは言えない。

「…………」
「そんな恐い目をしないでくれよ。今度手土産持ってくるから」
「それも気にしなくていいぞ、慶次郎。俺は浪人だが物乞いじゃねえ。自分の食い扶持ぐらい自分で稼げる」

 茶碗の酒を飲み干す利家。まつは彼の隣に座って、酒瓶を持って注ぐ。
 利家にそう言われてしまったら返す言葉が無かった。

 慶次郎が利家の家にやってくるようになったのは、前田家の屋敷で喧嘩して次の日のことだった。利家は初め、また喧嘩しに来たのかと思ったが、慶次郎は酒瓶を二本持って「家から盗ってきた」と笑っていた。

 それからいろいろと話しているうちに、利家はすっかり慶次郎のことを気に入ってしまった。元々、利家は前世からの筋金入りの不良である。慶次郎とは似た者同士なのだろう。慶次郎のほうも己に勝った利家のことを兄さんと慕うようになった。

 以来、慶次郎はふらりと利家の元を訪れる。利家も邪険にせず受け入れるのだが、まつは慶次郎のことを嫌っていた。夫を怪我させたのもあるが、傍若無人に振る舞う彼のことを生意気だと思っていたのだ。

「まつ。慶次郎にも肴をやってくれ」
「……生憎、これしか用意しておりません。突然来られては準備もできません」
「ええ? なんだよ。気遣いないなあ」
「……はい?」

 慶次郎自身は悪気がないのだが、不手際を咎める言葉だったので、まつは怒りを覚えた。
 利家が隣にいなければ、怒鳴り散らしていただろう。

「そうか。じゃあ俺の分を分けてやるから。それで我慢しろ、慶次郎」
「おう。悪いな利家の兄さん」

 慶次郎は遠慮なく、利家の御膳から料理を掴んで食べる。

「こりゃ美味いなあ! まつさんは料理上手だ!」
「ああ。三国一の出来た妻だよ」
「……私は、幸の世話がありますので」

 慶次郎の無礼な態度に腹が立つのと、利家に褒められた喜びとで、感情がぐちゃぐちゃになったまつは、いつか慶次郎に不幸が訪れますようにと心の中で祈りつつ、そそくさと二人の前から去った。

 それからしばらく世間話をしていた利家と慶次郎。
 ふいに「そういえば、兄さんに言っておくことがあった」と慶次郎が切り出した。

「織田家が松平家と同盟を結ぶらしいぜ」
「……ま、そうだろうな」

 何の反応も見せなかった利家に「誰かに聞いていたのか?」と慶次郎は訝しげに問う。
 利家は首を横に振りながら「聞いていない」と答えた。

「昔、いずれそうするつもりだって、聞いていたからな」
「へえ。織田の殿様にかい?」
「違う。俺の……なんて言ったらいいかな。友人か仲間か。はたまた好敵手と言うべきか……」
「ああ。佐々成政か」

 ぽんと手を叩いた慶次郎に対し、利家は「話したことあったか?」と不思議そうに言う。

「一回、兄さんが泥酔したときに、話したことがある。俺も酔っていたからあんまり覚えていないけど」
「ふうん。どんな感じだった?」

 曖昧な言い方だったが、慶次郎には伝わったらしく「基本的に悪口だった」と苦笑した。

「嫌味な奴だとか、偉そうな奴だとか。後は生意気な野郎だって言っていた」
「まあ事実だしな。成政は――」
「でも、憎んでいる感じは無かった」

 慶次郎は酒をごくごくと飲んで、それから利家に言う。

「悪口言っても、陰険な感じはしなかった。むしろ大好きな人の愚痴を言っているみたいだった。それに最後は褒めていたしな。聞いていて不快じゃなかった」
「…………」
「おいおい。何照れているんだよ、兄さん」

 利家は顔を背けながら「照れてねえよ」と呟いた。
 慶次郎は「その佐々成政って人のこと、話してくれ」と頼んだ。

「少し興味が湧いてきた。兄さんがえらく買っている、すげえ人なんだろ?」
「買ってもいねえし、凄くもない野郎だよ。でもな――」

 利家は微笑を浮かべた。成政との思い出を振り返るのは、愉快で仕方がないという表情だった。

「成政のことを話すのは、嫌いじゃない」

 慶次郎は頬を掻きながら、利家に言う。

「素直に認めればいいのに」
「うるせえ。野暮なこと言うな」


◆◇◆◇


 慶次郎が帰った後、まつが神妙な顔で「話があります」と利家に切り出した。

「なんだ? 今後のことか?」
「……二人目ができました」

 利家は一瞬だけ黙って、それからまつのことを優しく抱きしめた。

「よくやった! 嬉しいぞ、まつ!」
「……ありがとう、利家。でも、ごめんなさい」

 利家はまつの顔を覗き込んだ。
 嬉しいけど、申し訳なさそうな表情。

「こんな状況なのに、負担になることを……」
「子供ができることを負担に思わねえ。それに、俺が不甲斐ないから、お前に良い暮らしをさせてやれない」

 利家はふうっとため息をついて、それから「謝るのは俺のほうだ」と頭を下げた。

「でもな、子供ができたことは、嬉しいんだ」
「利家……」
「俺も、頑張らないとな」

 利家はにかっと笑った。
 まつは改めてこの人についてきて良かったと感じた。

「斉藤家との戦が近いし、手柄を立てる機会もある」
「松平家と同盟を組みますからね」
「そうだな……うん? どうしてそれを知っているんだ?」

 まだまつには話していないと利家は思っていたところに、まつが「お義母様が文で知らせてくれたのです」と言う。

「ですので、知っておりました」
「そうなのか。おふくろも耳が早いな」

 実を言えば慶次郎との会話をずっと盗み聞きしていたのだが、まつはそんなことをおくびにも出さない。

「まつ。俺は絶対、織田家に戻るよ」

 利家はまつと目を合わせて誓った。

「お前や幸、そして生まれてくる子供のために。恥ずかしくない夫と父親でありたいんだ」
「…………」
「それにさ、死んだ親父のためにも、立派な武士になりたい」

 利家の決意を聞いて、まつは頷いた。
 利家を支え続けると、彼女もまた覚悟していた。


◆◇◆◇


 それからしばらく経って、利家の元に木下藤吉郎がやってきた。

「前田様。二日後に松平家が清州城に来るそうです」
「ああ。同盟を結ぶためだろう」

 藤吉郎は「流石ですね。既に分かっておられましたか」と感心した。

「当主の元康殿が直々に来られるそうです」
「へえ。そりゃ珍しい」
「それに伴って、佐々殿も来られるそうですよ」
「成政も?」

 藤吉郎は「ご存じかどうか分かりませんが」と前置きした。

「今、佐々様は松平家の家老です」
「…………」
「凄い出世ですよね。外様なのに……」

 利家は自分の口元が緩むのを抑えられなかった。
 藤吉郎はなんとなく、利家が嬉しそうなのが分かった。

「あいつ、やるじゃねえか!」

 藤吉郎は利家と成政の関係がよく分からなかった。
 でも利家は他人の出世を妬ましく思う人間ではないことは知っていた。

「俺も、頑張らないとな……それで、その会見は二日後に行なわれるんだな」
「ええ。そうです……何かするつもりですか?」

 利家はにっこりと笑った。

「遠くから成政の様子でも見てくる。あの野郎、どんだけ立派になったのか、確かめてやりたい」
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