第12話婚礼の夜

文字数 3,220文字

「なぁにしてんだおまえぇえええええええええええええ!」

 犬千代は呆然としながらも見た――自分に刃を振り下ろそうとした野武士の背中を、槍で突いた内蔵助を。野武士の背中を突き抜けて腹から槍先が見える。見開く目。痙攣する身体。呻き声をあげて、野武士はうつ伏せに倒れた。

 内蔵助は犬千代を見つめた。呼吸が荒い。いや犬千代も荒かった。目の前で繰り広げられた殺人。さっき殺したときの感触。それらが呼吸と鼓動を荒くする。

「な、なんで、俺を――」
「…………」

 助けたと言う前に内蔵助は野武士から槍を引き抜いた。血飛沫が顔にかかっても内蔵助は何も言わずに次の相手を探す。去りゆく背中を見つめながら、犬千代は唇を噛み締めた。そして手放してしまった槍を掴んで――立ち上がった。

「やるしかねえんだ……やらなきゃ、俺が死ぬ……」

 ぶつぶつと呟きながら、犬千代は二対一で戦っていた服部小平太の加勢に向かった。顔つきは少年のものではなく、戦場の兵士そのものだった――

「皆の者! 帰蝶は討ち取った! 各々退却せよ!」

 信長は乱戦の中、自身の大声で虚報を言った。このまま戦えば自分たちは全滅すると踏んでの策略だった。それは効果覿面で、野武士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。後に残されたのは護衛の兵と野武士、数人の小姓の死体だけだった。

「帰蝶はどこにいる?」

 信長は生き残った護衛の兵に訊ねる。疲労困憊だった兵は言葉にできず、輿を指差した。信長は輿へと向かい、いつもの大声で「織田三郎信長である」と言って輿を開けた。

 そこには一人の女性が座っていた。信長よりも一個か二個下ぐらいの年齢。目元は涼やかで顔立ちも整っている。まむしの娘とは思えないほどの美人だった。しかし自分の命が狙われたせいか、顔が引きつっていた。

「お前が帰蝶か」
「あ、あなた様は……?」

 いきなり輿を開けた、返り血を浴びている男を見て帰蝶はたじろぎながらも訊ねた。口の利き方からして護衛の者ではない。しかし敵とも思えない。

「聞こえなかったのか? 織田三郎信長である」
「……まさか、助けに来てくださったのですか?」
「そういうことになるな」

 帰蝶は目を伏せながら「まむしの娘であるから、助けたのですか?」と小さな声で言う。自分にはそれしか価値が無いと思っている口調だった。

「違うな。お前が俺の妻になる女だからだ」
「……えっ?」

 信長はさっと帰蝶の手を取った。そのまま強引に輿から引きずり出す。帰蝶は辺り一面に広がる死体の山を見て「こ、こんなに、死んでしまったのですね……」と口元を手で押さえた。

「まあな。野武士はともかく、お前を守るために死んだ者が多い」
「……祈ってもよろしいですか?」

 その言葉に信長は頷くと帰蝶は静かに手を合わせた。遠くから様子を見ていた内蔵助は、帰蝶は案外、肝が据わっているなと感じた。普通の女なら死体の山を見て気絶してしまう。もしくは泣き出して祈るどころではない。

「……気に入った! 俺の馬の背に乗れ!」

 信長も同じようなことを思ったのか、帰蝶の手を引いて自分が乗ってきた馬に乗せた。戸惑う帰蝶を余所に自分も馬にまたがって「那古野城に戻るぞ!」と大声で命じた。

「婚礼を行なう! 皆の者、続け!」

 帰蝶を抱きかかえながら那古野城へ駆け出す信長。帰蝶はそんな夫になる男を見つめながら、この人父上に似ているわと思った。だから身をそっと寄せてしまう。
 それを追う小姓たち。その中で内蔵助は犬千代を見た。何か思い詰めているような表情。そんな顔をする犬千代が、内蔵助は何だか気に入らなかった。


◆◇◆◇


「おい、内蔵助!」

 信長と帰蝶の婚礼の最中、犬千代は隙を見て、手の空いた内蔵助に食ってかかった。おそらく先ほどの戦いのことだろうと思いつつ「なんだ犬千代」と応じた。彼らは真夜中の那古野城の庭で睨みあう形になった。

「てめえ……なんで俺を助けた? お前は俺が嫌いじゃねえのか?」

 犬千代はいくら考えても分からなかった疑問を内蔵助にぶつけた。内蔵助はふうっと溜息をして、庭に置かれた岩に腰掛けた。

「理由などない。身体が動いてしまった」
「嘘言うなよ。そんなわけねえだろ」
「本当だ。気づいたら野武士を突いていた」

 嘘偽りなく、内蔵助は真実を話していた。ほとんど考える間もなく、犬千代を助けてしまった。

「それでも理由を探すなら――死ぬのは惜しいと思ってしまった」
「惜しい? 俺を惜しんだのか?」

 これこそまったく理解できないという顔になる犬千代に、内蔵助は言葉を選びながら答えた。

「史書にも残らない小競り合いのような戦で、お前が死ぬのは嫌だったんだ」
「……言っている意味が分からねえ」

 歴史に疎い犬千代には分からないが、歴史オタクの内蔵助は名も残らない戦で、あの前田利家が死ぬのは、言葉を選ばず単純に言えば――嫌だった。もちろん、いずれ歴史を変えるつもりであるのは違いないが、それでも有名な武将をあの場で見殺しにするのは、何か違う気がしたのだ。たとえいがみ合っている間柄だとしても。

「分からなくていい。だが、私からも一つだけ訊いていいか?」
「なんだ? 言ってみろ」

 内蔵助は犬千代と目を合わせた。その瞳に映るのは、自分だけだった。
 内蔵助は犬千代の真っ直ぐな目が嫌いだった。前世を知っている自分がずるしていると咎めているような目をしている気がしてならなかった。

 一方、内蔵助の目を犬千代はあまり良い感情を持っていなかった。高慢で人を見下していると本能的に思っていた。ヤンキーだった頃、自分を見つめる教師を思い出してならなかった。

「お前は――私が同じ状況だったら、助けずに見殺しにするのか?」

 だが、内蔵助は犬千代のことを真っ直ぐな人間として認めていた。戦国乱世では珍しい、人を裏切らない男だと思っていた。だから投げかけた問いにどう答えるのか、分かりきっていた。

「……見殺しになんてしねえよ。お前は嫌な奴だけど、一応仲間だからな」

 犬千代も内蔵助は嫌いだが仲間だと思っていた。単なる仕事仲間ではなく、一人の強い男として認めていた。無論、信用はしていないが、いざというときは役立つ男だと分かっていた。

「もしかすると、それが助けた理由なのかもな」
「……自分で分かってねえのか?」
「ああそうだ。それに初めて――私は人を殺した」

 内蔵助は自分の手を眺めた。綺麗で汚れ一つないが、内蔵助には血塗れに写っていた。

「お前が殺されそうになったから殺した。それは傍目から見ると正しい行ないかもしれないが、実際のところは間違っているんだろうな」
「その気持ち、分かるぜ」

 犬千代もあの後三人殺した。全て小姓たちを守るためだったが、それでも自分が人を殺した事実を正当化できないと思っていた。

「覚悟はしていた。だけど揺らいでいる。人を殺すというのは、こんなにも重かったなんて夢にも思わなかった」

 引きこもってゲームばかりしていた自分には想像もできない、心にずっしりと来る負担だった。重荷と言ってもいい。
 一生背負っていく罪。
 これからも続ける罪。

「なあ犬千代。お前は耐えられるのか?」

 彼らは知らない。互いが現代人の価値観を持つことを。
 彼らは知らない。互いが同じ悩みを背負ってることを
 だから――犬千代が答えることはそれらを内包していた。
 誰も心を覗けないし、通じ合えない。それゆえに起こってしまう齟齬。
 それを犬千代は声に出して内蔵助に伝える。

「……分からねえよ、そんなこと」

 夜空に煌く星たち。
 輝くその下でいくつもの命が失われていく。
 それが彼らが生きる戦国乱世だった。
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