第93話仲良しじゃねえよ

文字数 3,295文字

 織田家と松平家の同盟が結ばれる当日、利家は清州城近くの茶屋にいた。
 浪人となっても城下町の出入りは禁じられていない。しかし毛利新介や服部小平太などの同輩と遭遇してしまうので、なんとなく気が引けたのだった。元傾奇者の彼でも気恥ずかしさぐらいは持ち合わせていた。

 だが何故、茶屋でお茶と団子を食しているのかと言うと、前述したとおり織田家と松平家が同盟を組むからだ。追放されたとはいえ、織田家の動向が気にはなる。それに彼の好敵手である成政の様子も知りたい。

「前田様。お待たせしました」

 利家がちょうど団子を食い終わったとき、織田家家臣、木下藤吉郎が茶屋に訪れた。
 身なりが普段より整っている。おそらく同盟の場を整える何らかの役目に就いたのだと、利家は推測した。

「おう。悪かったな藤吉郎。それで、松平家の殿様は来たのか?」
「ええ。既に家臣たちと共に、清州城に入城しました」
「そうか。だったら成政も来ているな」

 温くなったお茶を一気に飲み干して「これからどうするかな」と考える利家。
 どうやら無計画らしい。

「浪人の俺が清州城に入るのも土台無理な話だ……」
「そのことなのですが、先ほど佐々様から預かったものがあります」

 藤吉郎は懐から書状を取り出した。
 利家は怪訝な顔で「成政が?」と言う。そして書状を受け取った。

「……あの野郎。意外と気が回るんだな。いや、そういう奴だった」
「何と書かれていましたか?」

 藤吉郎の問いに利家は「会う場所を指定してきやがった」と笑って答えた。
 藤吉郎は少しだけ、利家が嬉しそうに見えた。

「長ったらしいが、要は政秀寺で会おうってことだ。沢彦のじじいには話をつけているらしい。そこで俺に説教してやるってよ」
「説教、ですか? 佐々様は一体何をお考えなんでしょうか?」

 困惑する藤吉郎に利家は「仕方ねえな」と笑う。
 心底愉快だと言わんばかりの笑みだった。

「せっかく来やがったんだ。怒られに行ってやるか」


◆◇◆◇


「久しぶりだな。竹千代――いや、松平元康殿」
「ええ。織田殿も息災で何よりだ」

 信長と元康は互いに向かい合って話していた。
 傍には各々の家臣がいるが、それを気にせず昔のような態度を取っていた。
 その家臣の中には、成政もいた。松平家の家老として、上位の席にいて、織田家の家臣からは驚きの目で見られていた。

「それで、同盟の条件は俺の娘であるおごとくと、お前の嫡男の竹千代が婚姻すること。それでいいな?」
「それでいい。それから私は東国を攻略し、織田殿は上洛を目指す」

 他にも細やかな決まりがあったが、主だったのはこの二つだった。
 それから二人は思い出話に花を咲かせた。
 珍しく表情を緩ませた信長に対し、驚く者も多かったが、成政は昔を思い出して懐かしく思えた。

「それでは、誓紙を燃やしてその灰を飲もう」
「ああ。我らの誓いは我らの心中にある」

 そうして同盟――後に清州同盟と呼ばれた――は無事に締結した。
 その後、信長は元康と少し話したいと申し出た。元康は快諾し、二人は別室に向かった。
 成政は何とか無事に終わったと肩を撫でおろした。

「成政。随分と出世したではないか」

 清州城の廊下を歩いていると、後ろから柴田勝家に話しかけられた。
 成政は「ご無沙汰しております」と頭を下げた。

「よせよせ。仕える家は違えども、同じ家老だ。そのようにかしこまるな」
「そうは言っても、柴田様にはお世話になりましたから」

 柴田は口ひげを撫でながら「相変わらず謙虚な奴だ」と感心した。
 それから「すぐに岡崎城に帰参するのか?」と訊ねる。

「もし良ければ、お前の元同輩や可成を呼んで、宴会でもしようと思うのだが」
「お気持ちは嬉しいのですが、松平家の家臣はそれを好ましく思わないでしょう」

 遠まわしに言ったが、ただでさえ外様なのに家老になったのを疎まれているのに、前の主家の者と仲良くしていたら、間者だと思われる可能性があった。
 いや、酒井や大久保あたりは既に疑っていると成政は勘づいていた。

「ああ、そうであったな。気の利かぬことを言ってしまった」

 柴田は素直に詫びた。そういう真っすぐな性根が、利家が尊敬するところなのだろうと成政は思った。

「それに、柴田様は禁酒しているらしいではないですか」
「うん? 利家から聞いたのか?」
「森殿からです。私が松平家に仕える前に、こっそりと教えてもらいました」
「口が軽い奴め。ま、わしなりのけじめだ」

 その後、少し会話を交わして二人は別れた。
 成政はすぐに政秀寺に向かおうとしたが、元康の小姓に「殿がお呼びです」と声をかけられた。

「殿と織田様がいらっしゃる部屋に向かおうようにとのことです」
「承知した。案内してくれ」

 成政が二人のいる部屋に訪れると、彼らは将棋を指していた。
 そういえば、囲碁や将棋を二人は嗜んでいて、昔はよく指していたなと思い出した。

「佐々成政。参上いたしました」
「おう、成政。久しいな。近くに寄れ」

 盤上から目を離した信長は笑顔で命じた。
 成政は元康に近い距離で正座した。
 見る限り信長のほうが優勢である。しかし一手間違えばすぐに逆転してしまいそうな局面だった。

「利家には、もう会ったか?」
「いえ、まだでございます」
「であるか」
「……織田殿。どうして成政が、利家なる者に会おうとしているのが分かる?」

 元康が桂馬を信長の玉に寄せて打つ。
 信長は「何年、この者たちの主君をやっていたと思うのだ?」と笑った。

「表面的には、互いに嫌いあっているが、二人の本質は同じだ」
「あの馬鹿と一緒にされるのは心外です」
「頭の良さではない。性根が一緒なのだ」

 それも一緒にされるのは成政にとって本意ではなかったが、否定するのは失礼だと思い、無言を貫いた。
 元康は「そう言った友がいるのは羨ましいな」と口元を歪めた。

「家は違うとはいえ、これからも仲良くせよ」
「……仲良くはやっていませんが、努力はします」
「ふふふ。相変わらずだな。それとお前を呼んだのには理由がある」

 信長の声が真面目なものになる。
 成政は居住まいを正して「なんでしょうか」と応じた。

「元康と相談して決めたことだ。だから元康の命令でもある」

 そう前置きして、信長は成政に言う。

「武田家を攻略する手立てを考えろ」
「…………」
「何年かかってもいい。必ず滅ぼせ」


◆◇◆◇


 政秀寺の門の前で、利家は待っていた。
 傍には藤吉郎がいた。その後ろには沢彦宋恩も面倒そうに立っていた。

「……まったく。この寺はお前たちの待ち合わせ場所に作られたわけではないのだぞ」
「分かっているよ、じじい。俺だってここに来るときは、それなりに敬意を込めている」
「わしへの敬意は見当たらんが」
「はっ。俺が敬意を示すのは平手様だよ」
「ああそうだな。お前はそういう奴だった」

 浪人の利家はともかく、位の高い僧侶の言葉ではないなと藤吉郎は考えていた。
 書状に書かれた時刻はもうすぐである。藤吉郎は自分が場違いな感覚がしたが、利家に居てくれと言われたので、仕方なく留まっていた。

「お、来たな」

 利家が静かに言った。
 藤吉郎がはっとして前を向く。

 松平家の家老となった成政は、綺麗な身なりをしていた。
 一方、利家はまるで山賊のような恰好をしている。
 二人はまるで対極だった。

「元気そうだな、利家」

 息災を問う言葉とは裏腹に、成政の表情は悪そうだった。
 まるで同じ悪事を働いた悪友との再会のようだった。

「おう。てめえも顔色がいいじゃねえか」

 対する利家も同じように、悪戯小僧のような顔をしていた。

「てっきり私は、とっくに死んでいたと思っていた」
「奇遇だな。俺も過労でくたばっていたと信じていたよ」
「ふん。互いに予想が外れて残念だったな」
「そうだ。今から叶えるってのはどうだ?」
「馬鹿なお前にしては良い提案だ。褒めてやる」
「けっ。頭でっかちなてめえに褒められても嬉しかねえな」

 徐々に高まる殺気に藤吉郎は慌てて「ご両人! 落ち着きなされ!」と喚いた。

「お二人は仲良しではないのですか!」

 藤吉郎の必死な声に、二人は声を揃えて言った。
 仲良しじゃねえよ、と――
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