第62話野心の理由

文字数 4,114文字

「……説明してくれるんだよな? 成政」
「この光景以上の説明はないだろう?」

 溜息をついた成政は血ぶるいしてから刀を鞘に納める。
 弾みで斬ってしまうことを恐れたからだった。
 そして問いを発した利家に肩を竦めてみせる。

「殿が信勝様を殺せと命じた。それを私たちは実行している。ただそれだけのことだ」
「単純明快すぎる説明だな。それで納得すると思っているのか?」
「じゃあどう言えば良かったんだよ」

 成政は利家を嘲笑いながら逆に問い返した。

「うん? お前を騙していたことを謝れば良いのか? だったら後でいくらでも頭を下げてやるよ」
「てめえに頭を下げられてもしょうがねえんだよ」
「はっ。じゃあ殿に頭を下げさせるつもりなのか?」

 利家はじりじりと柴田のほうに近づく。
 柴田は信勝を庇いながら、それに気づいた。

「場合によっては、そうだな」
「……お前はいつだって、そうだよな。そういう真っ直ぐなところが――腹立たしいんだよ!」

 最後は怒鳴って、成政は利家に飛びかかった。
 警戒していたが、柴田が首を振ったのに気を取られて、虚を突かれてしまい、利家は倒れこんでしまう。
 すかさず馬乗りになった成政。

「お前のそういう馬鹿に真っ直ぐなところが大嫌いだったんだよお!」
「俺だって、てめえの腹黒いところが嫌いだ、馬鹿野郎!」

 まるで初めて出会った頃と同じように、もみくちゃになりながら殴り合う二人。
 周りの者は手を出せないでいた。柴田がいるからだ。
 柴田のほうも警戒している馬廻り衆たちを押しのけることはできないと考えた。

「どうして、本当のこと言わなかったんだ!」
「そんなことしたら、殿に逆らっただろう!」
「当たり前だ! 弟を殺すなんて、どうかしているぞ!」

 成政を殴りながら利家は兄の利玄のことを思い出していた。
 利玄は『弟を助けるのは、兄の役目』だと言った。
 あの飄々としている利玄がそう言ったのだ。

「兄が弟を殺すなんて、間違っているだろう!」

 成政は利家の言葉を聞いて、殴る手を止めてしまう。

「家臣だったら、主君の間違いを正せよ!」

 もはや利家の拳を受け止めるだけしかできない成政。
 馬廻り衆も刀を下げてしまう。
 彼ら自身、迷いが無かったと言えば嘘になる。

「成政ぁああああ!」

 殴るのをやめて、胸ぐらを掴んで、目と目を無理矢理合わせる利家。
 成政は黙って睨み返す。

「……なんで、だよ! お前だったら止められただろう!?」
「…………」
「何とか言えよ! お前だったら――」

 言葉は続けられなかった。
 利家の肩が掴まれて、思いっきり後ろに引っ張られて、成政から引き剥がされたからだ。

「なんだ!? ――あんたは!?」
「……もうやめろ」

 利家を引き剥がしたのは――信長だった。
 病で伏せているはずの、信長。

「なんで、殿が……」
「勝家。すまなかったな。嘘をついた」

 利家を半ば無視して、信長は言う。
 柴田は険しい顔で信勝を守っていた。

「信勝は野心が強すぎた。追放しても僧侶にしても、いずれ織田家に対し牙を向くと思ったんだ」

 まるで今日の天気を話すような口調で、信長は気楽そうに語った。
 柴田は「偽りを述べられたのは、正直悲しく思います」と心情を吐露した。

「しかし、これはあまりにも……」
「勝家。お前、信勝と一緒に死にたいか?」

 信長の問いに柴田は硬直した。
 周りの者にも緊張感が漂う。

「信勝を守ると言うのなら、お前を殺すしかない。だが、俺は殺したくはない」
「……主君を見殺しにせよとおっしゃるのですか?」
「いいや、違う」

 信長は自分の腰に差していた刀を柴田の足元に投げる。
 怪訝な表情をする彼に、信長は告げた。

「それで信勝を殺せ」
「なん、ですと……?」
「聞こえなかったのか? 忠誠を示せと言っているんだ」

 信長の目は真剣そのものである。
 まるで触れる者を切り裂くほどだった。

「信勝の家老だったお前が、俺の家臣になるには、信用が必要だ」
「…………」
「俺はお前を――信用したい」

 柴田は震える手で刀を取った。

「もちろん、自害することもできる。その場合は信勝も同じように殺す」
「……あ、ああ、ああああ!」
「さあ、どうする?」

 このやりとりを見ていた利家が「そんなこと、させねえ!」と立ち上がった。
 しかし信長との間に、成政が立ちふさがる。

「どけよ!」
「剣呑な顔しやがって。殿に何するつもりだ?」
「決まっているだろうが! やめさすんだよ!」
「馬鹿が。私がそんなことさせるか」

 睨みあう利家と成政。

「てめえはそれでいいのか!? 殿が弟殺しするの、止めなくていいのかよ!」

 その言葉を聞いて、成政は逆に吹っ切ってしまった。

「良いんだ!」

 成政は利家に引導を渡した。

「殿が白と言えば、黒いものでも白になるんだ! それが主従関係ってもんだろうが!」
「開き直りやがって! てめえ自身の気持ちはどうなるんだよ!」
「そんなもん、どうだっていい!」

 成政は利家の両肩を掴んだ。

「よく聞けよお前! 私がどうして止めているのか、その理由が分からないのか!?」
「はあ!? 何を――」
「もしお前が信勝様を助けてしまったら、私はお前を殺さないといけないんだよ!」

 凄みを利かせた顔と言葉に利家は黙ってしまう。

「お前が信勝様を助けたら、謀反人として扱われる! 清洲城から逃げ出す前に、私か馬廻り衆に殺される! もし逃げ出せても、戦で死ぬことになるんだ!」
「……てめえ」
「私を殴るぐらいなら、庇えるけど……それ以上のことをしたら、もう庇えないよ……」

 成政の目から涙が零れるが、利家から目を逸らさない。
 絶対に逸らさなかった。

「だから、もう諦めてくれよ。頼むから……」

 好敵手に泣いて懇願されて、我を通そうとするのなら、それは武士でもなければ、男でもない。
 利家は力無く、膝をついて崩れ落ちた。

「利家は決断したようだ。今度はお前の番だな、勝家」

 柴田は信勝のほうを見た。
 痛みに喘いでいるが、生きている。
 刀傷は相当酷いが……治療すれば生き延びられるだろう。

「……助命はできぬようですね」
「ああ。もうその段階は過ぎた」

 柴田は刀を信長の足元に投げ返した。
 そして「短刀を所望します」と静かに言った。
 切腹すると言ったのだ。

「……いいのか?」
「ええ。既に覚悟はできております」

 信長は「短刀を渡してやれ」と馬廻り衆に言う。
 柴田を殺してから、信勝を殺すことにしようと決めたのだ。

「だ、駄目だ……兄上、それは……」

 信勝が傷を負いながらも待ったをかけた。

「勝家は、死なせないでください。私は死にますから」

 その申し出を信長は怪訝に思った。
 柴田は信勝から遠ざけられていたはずだった。

「どうか、勝家を、今後とも織田家家臣として、使ってやってください」

 柴田を押しのけて、頭を畳に擦り付ける信勝。

「お前……」
「信長! どうか、二人を許してあげてください!」

 ようやく口を利けるようになった土田御前が信長の足元に擦り寄った。
 信長は「もう遅いですよ」と鬱陶しそうに言う。

「信勝は死なねばなりません。勝家も、信勝を殺さなければ織田家家臣として仕えさせません」
「お願いします! それだけはさせないでください!」

 土田御前は唇をわなわなと震わせる。
 柴田は「奥方! もう良いのです!」と叫んだ。

「言うことはありません! 信勝様は知らない!」
「いいえ、勝家。信勝は知っております」

 ぎょっとして柴田は信勝を見る。
 信勝は痛みに喘ぎながら「ええ、知っている」と言った。

「私は、この私は――」
「信勝様……?」

「私は、柴田勝家の子です――」

 この場にいる者全ての時間が止まった。
 誰もが衝撃の事実に動くことができない。
 土田御前が声にならない悲鳴を上げて、顔を手で覆った。

「……それは、本当なのか? 勝家」
「…………」

 いち早く衝撃から立ち直った信長が訊ねたが、柴田は何も答えなかった。

「――答えろ!」

 ほとんど恫喝に近い物言いに柴田は「ええ、本当です」と答えた。

 利家は過去の柴田の言葉を思い返していた。
 だから守るべき者の中に、信勝がいたのだと納得した。

 成政は未来知職にそんな事実は無かったと思っていた。
 この場にいる者の中で、一番衝撃を覚えたのは彼かもしれない。

「……私がいけないのです」
「よしてください、奥方」
「いいえ。私が勝家を、権六を誘ったのです」

 土田御前ははらはらと涙を流しながら告白した。

「信秀様は側室を多く作り、正室である私をないがしろにした。長庶子の信広殿がいるのが、その証拠。でも信長を産んだときは嬉しかった。これで見てもらえると思った。でも信長は幼き頃からうつけだった。そのせいで散々なじられた。だから権六を誘ったのです」

 信長は黙って母親の話を聞いていた。
 利家と成政も、柴田も信勝も、馬廻り衆も口を挟まなかった。

「権六との間に子ができたときは嬉しかった。この子を当主にしたいと思った。そういう風に育てた。私が生涯唯一愛した男、権六の子を、織田弾正忠家の当主にしたかった。でも、それは浅ましい願いだったのですね」

 すると信長は「だから俺を邪険に扱っていたのか」と納得した顔で言う。

「理由があって、嫌っていたのですね」
「ええ。あなたには申し訳ないと思いました。でも、あなたを見るたびに、信秀様のことを思い出してしまう。不義を行なったことを責められているようだった」

 信長はふうっと溜息をついた。

「それを聞かされてしまったら、信勝を勝家に殺させるわけにはいかなくなったな。それは畜生のやることだ」
「……信長」
「ああ、だから信勝という名前に変えたのか。勝家の勝の字を拝領したんだな」

 信長は黙ったまま、弟を見つめた。
 半分しかつながっていないと分かっていても、弟だと思えたのは自分でも不思議だった。

「信勝。お前のことを愛おしいと思ったのは、これが初めてだ。ようやくお前を認められそうだよ」
「兄上……」
「だが、俺は織田家当主として、お前を処断しなければならない」

 信長は柴田を押しのけて、自分の短刀を渡した。

「柴田は――お前の父は俺の家老として使ってやる」

 信長は無表情で言う。

「だから安心して――死ね」
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