第144話俺たちの時代は終わらねえ
文字数 3,079文字
「織田家がどうなる、か……おそらく浅井家と朝倉家との戦になる」
「そんぐらい、俺にだって分かるさ。それより知りたいのは、いつまで続くかってことだ」
「……それこそ神のみぞ知るってやつだ」
未来知識のある成政はその期間を知っているのだが、もちろん言えるわけがない。
しかし利家は「予想だとどのくらいだ?」と食い下がった。
「俺が死ぬ前には終わってほしいんだが」
「そこまで年数はかからないだろう。お前が討ち死にしなければな」
「ふん。俺がしぶといことはお前が誰より知っているだろう」
成政はここで「どうしてそんなことを知りたがる?」と問う。
死期を意識する年齢でもない利家が気にすることではないからだ。
すると「殿がここまで負ける戦をしたのは初めてだ」とため息交じりに言う。
「油断や軽率もあったけどよ。こんな決定的な敗北なんて俺は知らない。尾張国の統一や美濃攻めでも無かっただろう」
「まあ美濃攻めのときは意味のある敗北もあったと聞く……お前、不安になったのか?」
成政はいつも自信満々な利家からそんな弱気なことを聞きたくなかった。
けれど利家は肯定するように「そうだよ」と短く答えた。
「もしも藤吉郎がしくじっていたら、殿を守れなかった。お前だってこんな重傷を負った。認めたくねえけど、俺と同じくらいの強さを持っているお前が――」
「……言い訳になるがな。家老となって槍働きをしなくなったのも負けた原因だ」
ここで今まで黙っていた可児才蔵を成政は指さした。
「この才蔵みたいな若者じゃあない。もう私たちはいい歳になっている。動きも鈍るし思った通りに動けなくなるかもしれない」
「けっ。嫌なことをはっきり言いやがる」
「そのほうが馬鹿なお前にも伝わりやすいだろう」
わざと癪に障ることを言う成政だったが、利家は甘んじて受け止めるように「かもしれねえな」と返した。
「俺たちの時代は、終わりに差し掛かっているのか」
「……本当にどうしたんだ? いつもなら殴りかかってくるか、否定するところだろう?」
今まで話を黙って聞いていた才蔵は、成政がかなり動揺しているのに気づいた。
利家という男を買っていて、そんな人が弱っているのを見たくないように思えた。
話に聞いていた、仲の悪さなどどこか行ってしまったみたいだった。
「前に柴田様も言っていたんだがな。老いた兵はさっさと戦場から去るべきかもしれねえ」
「ふん。お前のことだから、どうせ『老兵は死なず』とか言って励ましたんだろう?」
「やっぱり、てめえには分かるか」
利家はにやつきながら「今になって柴田様の気持ちが分かるよ」と言う。
「自分の身体が老いていくと、気持ちも老いていくんだなって」
「利家、お前……」
「正直言うとな。お前が怪我したって聞いて、落ち込んでいるんだ――」
そこまで言った瞬間。
成政は素早い動きで立ち上がり、利家の顔面を――蹴った。
才蔵が止める間もない、一瞬の出来事だった。
利家は襖をぶち破って外に出された。
成政は荒い息のまま、立っている。
「いってえなあ! 何しやがる!」
利家は口から血を吐き出し、成政と向かいあう――そして気づいた。
激しい痛みをこらえながら、成政が猛烈に怒っていることに。
「情けないことを――お前が私に言うな!」
先ほどの蹴りであばらが折れてしまったのにも関わらず、成政は利家に迫り、その胸倉を掴んだ。周りの小姓たちは上役を呼ぼうか迷っている。才蔵もどうして自分の主君が怒っているのか分からなかった。
「老いたからなんだ! たった一度の敗北がなんだ! そんなんで落ち込むじゃねえ! そんな弱い男だったのかよ、前田利家は!」
「な、成政……」
「お前は私が認めた唯一の男だ! 私が目標とした、私と張り合える強い男なんだ! そんな男が弱音なんか吐くな! いつも堂々といろ、不敵でいろ! そしてこれ以上、私をがっかりさせるな! 分かったか、この馬鹿野郎!」
利家はこんなに自分に対して怒ってくれる成政を見たことがなかった。
自分と張り合うときは冷静ではなく、むしろ意地になっていた。だから芯は熱い男だと分かっていた。
それでも心情を吐露したことはなかった。
前田利家という男をここまで買ってくれるとは思ってもみなかった。
自分を見下しているとさえ思っていた。
しかし今は違う。
成政の性格上、過度に熱くなることを嫌う。
それなのに、今は利家のために――怒ってくれている。
「なあ! なんとか言えよ、利家!」
「……一発は一発だぜ、成政」
そう言って利家は成政を遠慮なく殴った。
顔面を拳で思いっきり殴ったのだ。
成政は部屋の中に吹き飛び、布団を巻き込んで横たわる。
「ああ、そうだったな。うじうじ悩むなんて俺らしくねえ」
利家は晴れやかな表情のまま、倒れている成政に言う。
「怪我しているからって殴らねえ俺でもねえしな。感謝するぜ、成政」
「……何に感謝しているんだ?」
「てめえの心意気にだ。そうだよな、俺たちの時代が終わっても、俺たちは生きているんだ」
利家の悩みは吹き飛んだようだった。
その様子に成政は笑った。
「殿の天下統一を助ける。どんなに年月がかかってもな。忘れていたぜ、そんな簡単なことを」
「ふん。お前は馬鹿だからな」
「頭でっかちなてめえに言われたくねえ」
利家と成政は奇妙な友情を互いに感じていた。
相手が自分より上回るのを許さない。
だけど、下回るのを見ていられない。
だからこその好敵手だった。
「それじゃあ、俺は帰るぜ。またな、成政」
「さっさと帰れ。二度と感傷的になるなよ」
利家が去った後、才蔵が「あんた、あばら完璧に折れているけど」と呆れた様子で言う。
「よくもまあ、あんなのと付き合えるよな。俺なら勘弁だぜ」
「私だって嫌だよ。だけど、ほっとけない馬鹿なんだよな」
才蔵は頬を掻きながら「あんたは冷たい人だろうと思っていたけど」と呟く。
「本当は熱い人だったんだな」
「がっかりしたか?」
「いや。むしろ安心したよ。俺が仕えるべき人だって分かったんだから」
◆◇◆◇
浅井家が敵に回ったことで、北近江国を経由して岐阜城に帰還するのが困難になった。
しかも、今後京との行き来も回り道しなくてはならない。
そこで信長は家臣と相談し、甲賀方面の千草峠から戻ることにした。
信長は次の一手を考えていた。
岐阜城に戻り次第、藤吉郎に命じて浅井家の武将を調略し、攻めやすくした後に野戦を仕掛ける。
「北近江国で、野戦がしやすい場所と言えば……」
一人、大広間で北近江国の地図を広げる信長。
そして指し示したのは大きな川を挟んだ土地――
「姉川ならば、大軍を動かせる……」
信長は浅井長政のことを考える。
あの者は自分を本気で殺そうとするだろう。
かつての弟、信勝のように――
「弟に裏切られるのは、二回目だな」
あまり愉快なことではないのに、信長は笑みを抑えきれなかった。
自分の星の巡り合わせがあまりに悪いことに。
そして弟に恵まれない運命に。
さて、一応信長の耳には入っているが、さしたる問題ではないと考えられた事柄がある。
甲賀には元南近江国の大名、六角承禎が潜伏していること――
「あの信長に一泡吹かせてやる……」
そう決意しているのは、かつて利家と戦った忍び――杉谷善住坊だ。
彼は六角の命を受けて、信長を殺そうとしていた。
信長の兵は金ヶ崎の戦いを経て、弛緩しきっている。
それが――狙い目だった。
「今に見ていろ、織田信長、そして前田利家……!」
一介の忍びだったが、その決意は固く、その殺意は揺るぎないものだった――
「そんぐらい、俺にだって分かるさ。それより知りたいのは、いつまで続くかってことだ」
「……それこそ神のみぞ知るってやつだ」
未来知識のある成政はその期間を知っているのだが、もちろん言えるわけがない。
しかし利家は「予想だとどのくらいだ?」と食い下がった。
「俺が死ぬ前には終わってほしいんだが」
「そこまで年数はかからないだろう。お前が討ち死にしなければな」
「ふん。俺がしぶといことはお前が誰より知っているだろう」
成政はここで「どうしてそんなことを知りたがる?」と問う。
死期を意識する年齢でもない利家が気にすることではないからだ。
すると「殿がここまで負ける戦をしたのは初めてだ」とため息交じりに言う。
「油断や軽率もあったけどよ。こんな決定的な敗北なんて俺は知らない。尾張国の統一や美濃攻めでも無かっただろう」
「まあ美濃攻めのときは意味のある敗北もあったと聞く……お前、不安になったのか?」
成政はいつも自信満々な利家からそんな弱気なことを聞きたくなかった。
けれど利家は肯定するように「そうだよ」と短く答えた。
「もしも藤吉郎がしくじっていたら、殿を守れなかった。お前だってこんな重傷を負った。認めたくねえけど、俺と同じくらいの強さを持っているお前が――」
「……言い訳になるがな。家老となって槍働きをしなくなったのも負けた原因だ」
ここで今まで黙っていた可児才蔵を成政は指さした。
「この才蔵みたいな若者じゃあない。もう私たちはいい歳になっている。動きも鈍るし思った通りに動けなくなるかもしれない」
「けっ。嫌なことをはっきり言いやがる」
「そのほうが馬鹿なお前にも伝わりやすいだろう」
わざと癪に障ることを言う成政だったが、利家は甘んじて受け止めるように「かもしれねえな」と返した。
「俺たちの時代は、終わりに差し掛かっているのか」
「……本当にどうしたんだ? いつもなら殴りかかってくるか、否定するところだろう?」
今まで話を黙って聞いていた才蔵は、成政がかなり動揺しているのに気づいた。
利家という男を買っていて、そんな人が弱っているのを見たくないように思えた。
話に聞いていた、仲の悪さなどどこか行ってしまったみたいだった。
「前に柴田様も言っていたんだがな。老いた兵はさっさと戦場から去るべきかもしれねえ」
「ふん。お前のことだから、どうせ『老兵は死なず』とか言って励ましたんだろう?」
「やっぱり、てめえには分かるか」
利家はにやつきながら「今になって柴田様の気持ちが分かるよ」と言う。
「自分の身体が老いていくと、気持ちも老いていくんだなって」
「利家、お前……」
「正直言うとな。お前が怪我したって聞いて、落ち込んでいるんだ――」
そこまで言った瞬間。
成政は素早い動きで立ち上がり、利家の顔面を――蹴った。
才蔵が止める間もない、一瞬の出来事だった。
利家は襖をぶち破って外に出された。
成政は荒い息のまま、立っている。
「いってえなあ! 何しやがる!」
利家は口から血を吐き出し、成政と向かいあう――そして気づいた。
激しい痛みをこらえながら、成政が猛烈に怒っていることに。
「情けないことを――お前が私に言うな!」
先ほどの蹴りであばらが折れてしまったのにも関わらず、成政は利家に迫り、その胸倉を掴んだ。周りの小姓たちは上役を呼ぼうか迷っている。才蔵もどうして自分の主君が怒っているのか分からなかった。
「老いたからなんだ! たった一度の敗北がなんだ! そんなんで落ち込むじゃねえ! そんな弱い男だったのかよ、前田利家は!」
「な、成政……」
「お前は私が認めた唯一の男だ! 私が目標とした、私と張り合える強い男なんだ! そんな男が弱音なんか吐くな! いつも堂々といろ、不敵でいろ! そしてこれ以上、私をがっかりさせるな! 分かったか、この馬鹿野郎!」
利家はこんなに自分に対して怒ってくれる成政を見たことがなかった。
自分と張り合うときは冷静ではなく、むしろ意地になっていた。だから芯は熱い男だと分かっていた。
それでも心情を吐露したことはなかった。
前田利家という男をここまで買ってくれるとは思ってもみなかった。
自分を見下しているとさえ思っていた。
しかし今は違う。
成政の性格上、過度に熱くなることを嫌う。
それなのに、今は利家のために――怒ってくれている。
「なあ! なんとか言えよ、利家!」
「……一発は一発だぜ、成政」
そう言って利家は成政を遠慮なく殴った。
顔面を拳で思いっきり殴ったのだ。
成政は部屋の中に吹き飛び、布団を巻き込んで横たわる。
「ああ、そうだったな。うじうじ悩むなんて俺らしくねえ」
利家は晴れやかな表情のまま、倒れている成政に言う。
「怪我しているからって殴らねえ俺でもねえしな。感謝するぜ、成政」
「……何に感謝しているんだ?」
「てめえの心意気にだ。そうだよな、俺たちの時代が終わっても、俺たちは生きているんだ」
利家の悩みは吹き飛んだようだった。
その様子に成政は笑った。
「殿の天下統一を助ける。どんなに年月がかかってもな。忘れていたぜ、そんな簡単なことを」
「ふん。お前は馬鹿だからな」
「頭でっかちなてめえに言われたくねえ」
利家と成政は奇妙な友情を互いに感じていた。
相手が自分より上回るのを許さない。
だけど、下回るのを見ていられない。
だからこその好敵手だった。
「それじゃあ、俺は帰るぜ。またな、成政」
「さっさと帰れ。二度と感傷的になるなよ」
利家が去った後、才蔵が「あんた、あばら完璧に折れているけど」と呆れた様子で言う。
「よくもまあ、あんなのと付き合えるよな。俺なら勘弁だぜ」
「私だって嫌だよ。だけど、ほっとけない馬鹿なんだよな」
才蔵は頬を掻きながら「あんたは冷たい人だろうと思っていたけど」と呟く。
「本当は熱い人だったんだな」
「がっかりしたか?」
「いや。むしろ安心したよ。俺が仕えるべき人だって分かったんだから」
◆◇◆◇
浅井家が敵に回ったことで、北近江国を経由して岐阜城に帰還するのが困難になった。
しかも、今後京との行き来も回り道しなくてはならない。
そこで信長は家臣と相談し、甲賀方面の千草峠から戻ることにした。
信長は次の一手を考えていた。
岐阜城に戻り次第、藤吉郎に命じて浅井家の武将を調略し、攻めやすくした後に野戦を仕掛ける。
「北近江国で、野戦がしやすい場所と言えば……」
一人、大広間で北近江国の地図を広げる信長。
そして指し示したのは大きな川を挟んだ土地――
「姉川ならば、大軍を動かせる……」
信長は浅井長政のことを考える。
あの者は自分を本気で殺そうとするだろう。
かつての弟、信勝のように――
「弟に裏切られるのは、二回目だな」
あまり愉快なことではないのに、信長は笑みを抑えきれなかった。
自分の星の巡り合わせがあまりに悪いことに。
そして弟に恵まれない運命に。
さて、一応信長の耳には入っているが、さしたる問題ではないと考えられた事柄がある。
甲賀には元南近江国の大名、六角承禎が潜伏していること――
「あの信長に一泡吹かせてやる……」
そう決意しているのは、かつて利家と戦った忍び――杉谷善住坊だ。
彼は六角の命を受けて、信長を殺そうとしていた。
信長の兵は金ヶ崎の戦いを経て、弛緩しきっている。
それが――狙い目だった。
「今に見ていろ、織田信長、そして前田利家……!」
一介の忍びだったが、その決意は固く、その殺意は揺るぎないものだった――