第154話可成の兄い

文字数 3,102文字

「何故、ここに来たのですか……利家!」

 宇佐山城を守るため、三千の兵を率いていた森可成。
 三万の浅井家と朝倉家の軍勢を防いだものの、風前の灯火となっていた。
 そこへ現れたのは、五百の赤母衣衆を率いた利家だった。

「何故? 決まっているじゃあねえか、可成の兄い」

 彼はどこか覚悟を決めた顔をしていた。
 それも当然だろう。
 利家は死ぬつもりで宇佐山城へ援軍に来たのだ。

「一人きりで死ぬのは、寂しいよな」

 宇佐山城の城内で、利家は可成と話し合っていた。
 このまま籠城しても三万の兵は防げない。
 だからこそ、街道に出て軍勢に大打撃を与えなければならない。

 つまり、可成はここで玉砕してしまう。
 それに付き合うと利家は言っているのだ。

「馬鹿な。まつ殿や子供たちはどうするのですか?」
「殿が面倒見てくれるんじゃねえか?」
「利家が死んだら、まつ殿に恨まれます」
「はは。そいつは怖えな」

 軽口を叩いている利家。
 可成は困ったように「俺はあなたを死なせたくない」と打ち明けた。

「できるならこのまま、赤母衣衆と共に殿の元へ退いてほしい」
「無理な相談だな。俺はここで死に花咲かせてやろうって、腹くくってんだ」
「野暮なことを言います。その覚悟を撤回してもらえませんか?」

 利家は「兄いでも野暮なことを言うんだな」と軽く笑った。

「男の覚悟を無碍にするなよ」
「分かっています。それでも俺は、利家に生きてもらいたいんです」
「つれねえなあ……」

 利家は疑問に思っていた。
 普通の武将なら共に死んでくれる者を歓迎してくれる。
 しかし、一廉の武将である可成がこうも拒絶するのは、何か理由があるのだろうか。

「可成の兄いは俺にとって恩人そのものだ。だからよ、あんたの役に立ちたいんだ」
「ならば俺が死んだ後、この城を守ってもらえませんか?」

 それが落としどころだと可成は提案した。
 利家は「ふざけんなよ」と逆に困った顔になった。

「あんた城主だろう。最後の最後まで生き残るのが務めだろうが」
「違いますね。俺の務めは――生き残ることではありません」

 可成は少しだけ疲れた顔になった。
 もしくは重い荷物を下ろしたような顔になる。

「この城を守り、浅井家と朝倉家の進攻を防いで、京まで向かわせないことです。そのためには野戦を挑むしかありません」
「だから、俺もそれに参戦すると――」
「まだ分かりませんか? 俺は利家に――生きてほしいんですよ」

 飾り気のない本音に、利家は何も言えなくなってしまった。
 照れながら「俺は、利家という男を買っているんですよ」と可成は続けた。

「生きて、俺の息子の勝蔵に、俺の生きざまを教えてほしいんですよ。かつて、俺があなたに教えたように」
「可成の兄い……」
「俺が野戦で死ねば、敵は躍起になってこの城を落とそうとします。大将がいないのですから、士気が落ちていると思い込むでしょう。そのとき、利家が奮闘してくれれば敵は城に釘付けになります。十分な足止めになるでしょう」

 そして可成は頭を下げた。
 一生の頼みを超えた、懸命を込めた懇願だった。

「お願いします。この城を死守してください。そして生きてください。殿のためにも」
「殿のため……?」
「ええ。これから殿は多くの敵と戦うでしょう。それらから身を守れるのは、利家しかいません」

 可成は「お願いします」と頭を下げ続けている。
 再三に渡る頼みに、利家は頷くしかなかった。

「……ここで断ったら、恥をかくのは俺だな」

 宙を見上げて大きく息を吐く利家。
 顔を上にあげているのは、そうしないと涙が零れそうだったからだ。

「分かったよ。可成の兄い、あんたは十分に務めを果たしてくれ」
「利家、分かってくれましたか」
「俺は馬鹿だな。兄いがこんなにも覚悟を決めているのに、余計なことをしちまった」

 利家は「小難しい話はもう終わりだ」と笑った。

「酒でも飲もうぜ。これでお別れなんだからな」
「ええ。今生の別れですから」


◆◇◆◇


 森可成は全ての覚悟と全ての思いを込めて、宇佐山城から出撃した。
 馬にまたがるその姿は、古今東西の武将の中でも眉目秀麗で輝いていた。
 馬と共に一千の兵を率いて――浅井家と朝倉家の軍に突撃する。

「全員、ここを死地とせよ!」

 兵たちを鼓舞しながら、彼は戦場を駆ける。
 真っすぐ、それでいて先頭を駆けていく。
 浅井家と朝倉家の軍勢により、雨のような矢が降り注ぐ。
 けれど得意の槍で打ち払っていく。

 まだだ、まだ行ける。
 可成はすれ違いざまに馬上の将を討っていく。
 その姿は古の英雄の如く、神代の英霊の如く――美しい。

 左肩に矢が突き刺さる。
 それでも手綱を握りしめ、まだ馬を走らせる。
 雑兵を討ち取りながら、一心不乱に前へ進む。

 敵が恐れをなして下がっていく。
 兵たちに好機だと知らせる――振り返ると残り僅かになっていた。
 可成は口元を歪ませた――まだまだ行ける。

 槍が血に濡れても、鎧に矢が刺さっても、雑兵の槍を受けても。
 付随する兵たちが次々と討たれてしまっても。
 可成は――止まらない。

 そのうち、馬が矢でやられてしまった。
 下りて徒歩で前へ進む。
 兵たちに囲まれても、戦うことをやめない。

 あと少し、もう少しだけ戦おう。
 一人でも倒せば、利家が楽になる。
 だから――戦う。
 戦う理由となる以上、戦うのをやめない。

 不意に、後ろから槍を受けた。
 身体の中心を槍が突き抜けた。
 足が、止まってしまう――堪えた。

「うおおおおおおお!」

 身体中、自ら流れ出る血と倒した敵の血で汚れている。
 それでも、歩みを止めず、ただひたすら敵を倒そうとする。
 ――攻めの三左、森可成。

 次々と身体を突き抜ける槍。
 足を止めた――崩れ落ちる。

「ふ、ふふ。これまで、ですか」

 仰向けに倒れる可成。
 死にゆく身でありながら、不思議と気分は悪くない。
 織田家のため、そして信長のための死ねたのだから――悔いはない。

「利家……後は頼みましたよ……」

 可成は静かに目を閉じた。
 その瞼の裏に映ったのは、彼の家族だった。


◆◇◆◇


「……可成の兄いぃいいいいい!」

 城の最上階から見ていた利家。
 その立派過ぎる最期に、彼は涙していた。

「ああ、分かったよ。可成の兄い。俺たちはもう止まれないってことだよな」

 利家は涙を拭った。

「殿が天下を見据えてから、俺たちは走り始めた。もう止められねえ。俺も止まる気がしねえ。ただ突っ走るしかねえんだ」

 そして城内に響き渡る声で、織田家の兵たちと赤母衣衆たちに命じた。

「森可成殿の死に報いるため、この城を死守するぞ!」

 その叫びに、全員が「応!」と頷いた。
 そして口々に戦意を明らかにする。
 これにより、宇佐山城は強固な守りと化した。
 いくら三万の兵でも簡単には落とせない――

 その後、信長は野田と福島の戦場から撤退した。
 本願寺の攻勢が弱まった隙を突けたからだ。
 同時に浅井家と朝倉家は宇佐山城の攻略を諦め、比叡山延暦寺に立てこもることとなる。

 もし、可成が宇佐山城を守り切れなかったら、信長の命運は尽きていた。
 この戦いにおいて、可成の成したことは大きかったのだ。
 利家は天を見上げて可成に言う。

「可成の兄い、あんたのおかげで、織田家は助かったぜ! ありがとうよ!」

 しかしそれでも本願寺の優位は変わらない。
 一向宗の蜂起などを含めて信長を追い詰めていく。
 そして信長は決断することになる。
 彼にとって屈辱とも言える方法を取った。

「俺は、浅井家と朝倉家に和睦を申し出る」

 その決定に誰もが驚いた。
 続けて信長は言う。

「俺が頭を下げて、非を認めよう。すぐに朝廷と公方様に仲立ちをお願いせよ」
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