第125話二人の邂逅、二人の勝負

文字数 3,261文字

 徳川家康が織田信長に美濃国攻略の祝いのため、岐阜城に入城した頃。
 成政は一人、墓参りをしていた。
 岐阜城と城下町を一望できる、山の上に置かれた小さな墓。
 『円覚院殿一翁道三日抬大居士神儀』の戒名だけ書かれている。

「ま、道三様を恨む者も多い。隠すためだろうな」

 斉藤道三は政秀寺に葬られているが、分骨をこちらにするように、信長が命じたのだ。
 手を合わせて拝む成政。心の中で道三様、私はあなたの教えを全うできていますかと祈る。

「佐々殿。あなたも来ていたのですね」

 後ろから声をかけられた成政が振りかえる。
 そこには信長の正室、帰蝶が花を持って佇んでいた。その後ろには護衛の武士が数人いる。彼らは織田家にいたときの顔見知りなので、成政に会釈した。

「これは奥方様。ええ、私も一応、道三様に薫陶を受けた身ですから」
「そう言ってくださると、父も浮かばれます」

 成政は横にずれて帰蝶に譲る。
 花を手向けて、目を閉じ、手を合わせて静かに冥福を祈る。

「奥方様。美濃国攻略、おめでとうございます」
「……めでたいと思うべきなのでしょうね。多くの血が流れたのを鑑みなければ」

 皮肉ではなく、事実をありのまま言っているような帰蝶。

「しかし、故郷に帰れたのは喜ばしく思えます」
「そうでしょうね。奥方様が羨ましい」
「佐々殿は、一生戻らないつもりですか?」
「それが織田家を離れるということです」

 帰蝶は目を伏せて「こたびのことで、佐々殿が不憫だと思いました」と言う。

「望郷の念は消えないものです。どんなに楽しく思えても、どんなに幸せに思えても」
「ええ。身に染みております」
「ならば、織田家に帰参するつもりは――」
「ありませんね。私は、徳川家家臣なのですから」

 少しだけ残念そうに言ってから、目の前に広がる光景を見る成政。

「良い景色ですね。人々の活気あふれる姿が見える。きっと道三様も嬉しいと思います」
「殿が自ら選んでくださったんです。ここならば、父も満足するだろうと」

 しばらく黙ってしまった二人。
 成政は「それでは、御免」と立ち去ろうとする。

「どこへ行かれますか?」
「ちょっと会わなければならない男がいましたね」

 帰蝶は「その方について、殿から聞いております」と成政の後ろ姿に投げかける。

「あなたとは、浅からぬ因縁があると」
「ふふふ。流石に評するのが上手ですね」

 成政は爽やかでありながら、ほんの少しだけ暗いものを含んだ笑みを見せた。

「あいつとは――友人であり、好敵手でもあるんですよ」


◆◇◆◇


「まつ、俺どうしたらいいんだろう?」
「私に聞かれましても……」
「慶次郎、俺どうしたらいいんだろう?」
「いや、それこそ俺に聞かれても」

 利家は悩んでいた。岐阜城の城下町の屋敷の縁側で、腕組みをして胡坐をかいている。
 その後ろにはまつがいた。そして隣には慶次郎がいた。

「はっきり言えば、俺は別に継がなくてもいいんだ。ていうか元々、養子だもんな」
「気持ちのいい男だな、慶次郎。だが俺の気が済まねえ」

 信長は今すぐ当主になれと言った。
 つまり、現当主の利久を排してしまえと言ったのだ。

「利久兄に申し訳ねえ……」
「親父殿だって気にしねえよ。あの人病弱だから、逆に楽になったと思っているんじゃねえか?」
「いっそ、幸を慶次郎の嫁に――」
「嫌です。したら私、死にます」

 まつの底冷えする声に慶次郎は「そんなに嫌わなくてもいいじゃんか」と笑った。

「ちゃんと大切にするし。俺、女には優しいんだぜ?」
「不快です。不愉快です。二度と言わないでください」
「まつ。そんな風に言うんじゃない。俺は本気で言っている――」
「私も本気で言っているんです」

 利家はまつの凍えた声と暗すぎる目を振り返って見て「分かった」と応じた。

「だけど、殿の命令じゃ仕方ねえ……と割り切れない俺もいるんだけどな」
「利家の兄さん。気にすんなって。俺と親父はなんとかするから」
「……ちょっと出かけてくる」

 利家が立ち上がったとき「やはりここか」と庭先から声がした。

「て、てめえ……なんでここに?」
「お前に会いに来たんだよ」

 成政だった。手には土産らしきものが掲げてある。
 初対面だった慶次郎は「あんた誰?」と訊ねる。

「徳川家家臣、佐々成政だ」
「えっ? あの佐々成政? 兄さんがよく話していた?」
「兄さん? 失礼だが、あなたは?」
「前田慶次郎だ。あんたに会えて光栄だぜ」

 あの有名な前田慶次郎か! と成政は内心喜びながら「こちらこそ、光栄だ」と応じた。

「兄さんが話していたより、誠実そうじゃないか。驚いたぜ」
「利家。お前私のことをどんな風に話した?」
「陰険で悪巧みの好きな大馬鹿野郎って言った」
「てめえ……というより、何故私の話をするんだ? 寂しいのか? うん?」

 成政の思わぬ反撃に利家は顔を赤くして「ば、馬鹿じゃねえか!?」と怒鳴る。

「むかつく野郎だから、酒の席で悪口言っただけだ!」
「あれ? 最後には『悪い奴じゃない』とか言うじゃんか」
「慶次郎!」
「ふふふ。素直になれば可愛げがあるのに」
「あ? てめえ、殺されたいのか?」
「ちなみに、私はお前の話題を出すことは一切ない」
「……ぶっ殺す!」

 一触即発の雰囲気になりそうだったが、まつが「佐々様。お茶が入りました」と湯飲みを二つ持ってきた。成政が「あ、どうも」と受け取り、慶次郎も当然のように「ありがとう」と受け取った。

「……あなたに用意した覚えはありませんが」
「えっ? なんで? 俺は客だぜ?」
「湯飲みが二つあることに気づきませんでしたか?」
「あ。気づかなかった。なんだよー。兄さんの分も持ってくればいいのに」

 まつが顔が真っ青になった。
 つまり激怒している。
 よく分からない成政は、利家に「まつ殿、慶次郎殿を嫌っているのか?」と問う。

「実はそうなんだ。初対面のときやらかしてな」
「ううむ……奥方、お茶美味しくいただきました」

 まつに空になった湯飲みを見せると「お粗末様でした」と慶次郎を睨みながら答えた。

「そんでさ。佐々さんはどうして兄さんに会いに来たんだ?」
「織田様から馬鹿が家督を継ぐのに悩んでいると聞いたんだ。馬鹿にくせに」
「馬鹿って二回言ったな? ああこら?」
「だから私は馬鹿に大人しく家督を馬鹿みたいに継げと言いに来たんだ。馬鹿なんだから悩むなと」
「今度は三回か!」

 慶次郎は「ああ、なるほど」と手を打った。

「利家の兄さんのために、来てくれたのか。意外と友達思いだ」

 慶次郎の言葉に、初めきょとんとしていたが、徐々に顔が真っ赤になって「違う!」と否定する成政。

「こいつのためではない!」
「なんだてめえ、成政のくせに良いところあるじゃあねえか」
「だから違うって!」

 慶次郎はなんだこの二人似た者同士じゃねえかと内心思った。

「それで、お前はどう思うんだ?」
「素直に家督継げばいいと思っている」
「…………」
「お前の兄のためにもだ。あのままだとお取り潰しになるかもしれないんだろ?」

 利久は病弱なため、務めができていない。そのことを成政は言っていた。

「死んだ兄も、お前が継ぐことを望んでいた。違うか?」
「利玄兄か……それもそうだが……」
「ま、お前の人生だ。好きにやれよ」

 成政はそう言い残して立ち去ろうとする。

「待てよ。せっかくだから酒でも飲まねえか?」
「いや。殿と合流しなければならない。遠慮しておく」

 成政は最後に、利家に言う。

「次、会う機会があれば――前田家当主になっておけ」
「……成政」
「私との差を埋められる好機だぞ?」

 利家は縁側から立ち上がって「お前と差なんてねえ」と言う。

「何なら勝負するか?」
「望むところだ」

 慶次郎は囃し立て、まつは利家が怪我をしないかどうかはらはらして見守る。
 二人の勝負の決着はなかなか着かなかった――


◆◇◆◇


「成政の奴、徳川家で重宝されているらしいな……」

 家康との会見後、信長は一人考え事をしていた。
 黒く縁取られた隈。
 信長は口元を歪ませて、呟く。

「いずれ、徳川家を滅ぼすとき、成政には活躍してもらわねばならんな」
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