第136話幼い夫婦
文字数 3,054文字
「あなたが佐々成政殿ですね。父上からよく聞いております」
岡崎城の一室。
上座から全てを拒絶するような声で話すのは、信長の娘であり、竹千代の妻である、おごとくだった。物言いから昔の瀬名を思い出してしまい、成政は似た者同士だなと感じた。
「あまり良い噂をお聞きになっていないと思います」
「いえ。惜しい忠臣を渡してしまったと、度々悔やんでおりました」
「意外ですね。あの方は――物を惜しむ気持ちは少なかったと思いますが」
おごとくは「物はそうでしょう」と髪をかき上げた。
彼女には信長の面影があった。相当な美人で目つきが少々気になる程度に鋭かった。
顔に特徴があるとすれば、少しだけ鼻が大きいくらいか。
「あなたは元織田家の家臣で、父上の信頼が厚かった方ですよね? どうして徳川家に?」
「経緯を話しますと長いのですが、私は家康様のことを敬愛しているのですよ」
「その程度の理由で――織田家を裏切ったのですか?」
冷たく、淡々とした物言いで傍の侍女たちも同じような視線を向ける。
成政は「言葉を尽くしても、私が織田家を離れたことは変わりないです」と言い訳しなかった。どう思われようとも構わないという姿勢である。
「しかし、姫と私は今や徳川家の一員です。あまり――」
「一緒にしないでください。不愉快です」
これは瀬名様以上だなと成政は思った。
未だに自分は織田家の一員なのだという自負や矜持があるのだろう。
実家との縁が切れてしまった瀬名との違いがそこにある。
「だけど姫は織田家と徳川家の友好のための架け橋。それは私と変わりないでしょう」
成政は話を変えずに方向を転換するやり方を選んだ。
織田家の者として、徳川家にいる。
この言い方だとおごとくも否定しづらい。
現に彼女は「…………」と黙ってしまった。
「若様との仲がよろしくないのは、その役目を放棄していると見なされてもおかしくはありません」
「あなた、随分と歪曲な言い方するのですね。はっきりと役立たずと言えばいい」
「馬鹿な。そのようなことは思いませんよ。私はね」
「……私、あなたのこと嫌いです。悪人そのものじゃないですか」
この場では無礼なのでできないが、一人きりだったら口笛を吹いて拍手したい気分に成政は駆られた。初対面で自分の本性を悟られたのは久しぶりだった。信長の娘なだけあって、人を見る目は確かなようだ。
成政は「私のことが嫌いでも、竹千代様のことは嫌いにならないでください」と言う。
「まだ出会って間もないのですから。嫌いになるのは早いですよ」
「嫌いになるでしょう。あの方、私と話そうとしないのですから」
「そう、なのですか? 意外ですね……」
「ええ。顔を真っ赤にして。いつもぼそぼそと独り言を呟いて。何を考えているのか分からないのです。不気味ですよ」
それは不気味ではなく不器用なのだと、前世での経験から成政は分かった。
なるほど、原因は竹千代のほうにあったのか。
成政は「かしこまりました」と頭を下げた。
「若様と姫の間を取り持たせていただきます」
「そのようなこと、頼んでいないのだけれど」
「しかし、夫婦になるのですから、気まずいままは嫌でしょう」
「それは……そうですけど……」
困った顔のおごとくに成政は「万事任せてください」と言う。
「姫は隣の部屋で話を聞いていてください。私の合図があるまで入らないように」
◆◇◆◇
「どうした成政。今日も軍学の講義でもするのか?」
「いえ。そうではありません」
岡崎城の竹千代の部屋。
竹千代が目の前に座ると、成政は単刀直入に「おごとく様について、どう思われますか?」と問う。
すると顔を真っ赤にして「わ、私には、もったいないくらい、できた妻だ」とつっかえながら言う。
「それ故に、どう対処すれば良いのか分からぬのだ」
「まあ好意を告げるのは難しいですよね。私も大変でした……」
「なぬ? 百戦錬磨の成政もそうなのか?」
「ええまあ。おなごのほうは得意ではありません。妻のほうから、その、告げられることが、多いです」
竹千代は安堵するように「私が特別、不得意なわけではないのか」と笑った。
言葉にしないが、家康の次に尊敬している成政が己と同じだと分かって、心が軽くなった気がした。
「おごとくは美しい。だがそれで気後れしてしまうのだ」
「まあ姫は格別に美しいとは思います」
「それに気位が高そうで……下手なことを言えば怒られそうなのだ」
成政は「怒られてもいいではありませんか」と敢えて言う。
竹千代のどういうことだの顔に対して、大人のように導く。
「怒って怒られて喧嘩して。そして仲直りすれば――もっと仲が深まります」
「そういう、ものなのか……?」
「実を言えば、私も今――妻との仲が悪くなっております」
善兵衛に暗殺指令を出したことを知られたときから、ずっと気まずいままだった。
今日には岡崎城に来る予定になっている。子を連れて――
「何と言って仲直りすればいいのか。今でも判然としません。正直、どきどきしております」
「それは、不安ではないか?」
「しかし、それこそが人間関係なのでしょう。他人が自分にどう思われるか、そして自分がどう他人を思うのか。人の心を覗かない限り、分からぬことでしょう」
竹千代は自然と黙ってしまった。
成政の話を真面目に聞いて、おごとくとの関係に活かそうと考えていた。
「大事なのは、互いに自分が良く思われようと努力することでしょう。もし相手がとんでもない極悪人になったら、流石に嫌いになるでしょう。私は相手に相応しいと思われるような立派な人間であることを己に律しています。要は努力次第ですよ」
成政はそう言いながら、自分はどうなんだろうなと考えた。
はたして、一途に私を慕ってくれるはるに見合った人間なのだろうか。
悪人になり果てた私は愛される資格があるのだろうか。
そう考えると笑えてくる――
「私は、おごとくのことが好きなのか、よく分からない。美しいとは思うし、傍にいると緊張して話せない……」
「ええ、私も妻に対してそうでした」
「でも大切にしたいと思う。たった一人で織田家から徳川家に嫁いできたのだ。不安なことがあるだろう。嫌なこともあるはずだ。だとしたら、その支えになってあげたい」
やっと本音を引き出したか。
成政はにやっと笑って、柏手を打った。
竹千代が成政のいきなりな行動に戸惑っている中、隣の部屋の襖が開いた。
そこには厳しい顔をしたおごとくがいた。
「お、おごとく……謀ったな、成政!」
「無礼を致しました。そうしなければ――仲は深まりませぬ」
おごとくは二人のやりとりを無視して、竹千代に近づいた。
そして――目の前に座った。
竹千代は顔を背けようとする――無理やりおごとくは合わせようとする。
「な、何を……」
「なんだ。照れていたのですね。ふふふ、可愛いところがあったんですね」
「か、可愛いなどと!」
「おなごと顔を合わせられないお方にお似合いの表現だと思いますが」
成政は「私はこれにて」と退座しようとする。
竹千代は「ま、待て! 行くな!」と悲鳴を上げた。
「私にも務めがあります故。お二人の仲が深まったことで次の仕事に行けます」
「な、成政……」
「後はお二人でごゆっくり」
すうっと襖を開けて出て行こうとする成政の背に、おごとくが「佐々殿」と声をかけた。
「……一応、お礼を申し上げます」
信長のほうが素直だったなと成政は思いつつ。
二人の幼い夫婦に向けて、優しい笑顔をした。
「ふふふ。これもまた、主命ですから」
岡崎城の一室。
上座から全てを拒絶するような声で話すのは、信長の娘であり、竹千代の妻である、おごとくだった。物言いから昔の瀬名を思い出してしまい、成政は似た者同士だなと感じた。
「あまり良い噂をお聞きになっていないと思います」
「いえ。惜しい忠臣を渡してしまったと、度々悔やんでおりました」
「意外ですね。あの方は――物を惜しむ気持ちは少なかったと思いますが」
おごとくは「物はそうでしょう」と髪をかき上げた。
彼女には信長の面影があった。相当な美人で目つきが少々気になる程度に鋭かった。
顔に特徴があるとすれば、少しだけ鼻が大きいくらいか。
「あなたは元織田家の家臣で、父上の信頼が厚かった方ですよね? どうして徳川家に?」
「経緯を話しますと長いのですが、私は家康様のことを敬愛しているのですよ」
「その程度の理由で――織田家を裏切ったのですか?」
冷たく、淡々とした物言いで傍の侍女たちも同じような視線を向ける。
成政は「言葉を尽くしても、私が織田家を離れたことは変わりないです」と言い訳しなかった。どう思われようとも構わないという姿勢である。
「しかし、姫と私は今や徳川家の一員です。あまり――」
「一緒にしないでください。不愉快です」
これは瀬名様以上だなと成政は思った。
未だに自分は織田家の一員なのだという自負や矜持があるのだろう。
実家との縁が切れてしまった瀬名との違いがそこにある。
「だけど姫は織田家と徳川家の友好のための架け橋。それは私と変わりないでしょう」
成政は話を変えずに方向を転換するやり方を選んだ。
織田家の者として、徳川家にいる。
この言い方だとおごとくも否定しづらい。
現に彼女は「…………」と黙ってしまった。
「若様との仲がよろしくないのは、その役目を放棄していると見なされてもおかしくはありません」
「あなた、随分と歪曲な言い方するのですね。はっきりと役立たずと言えばいい」
「馬鹿な。そのようなことは思いませんよ。私はね」
「……私、あなたのこと嫌いです。悪人そのものじゃないですか」
この場では無礼なのでできないが、一人きりだったら口笛を吹いて拍手したい気分に成政は駆られた。初対面で自分の本性を悟られたのは久しぶりだった。信長の娘なだけあって、人を見る目は確かなようだ。
成政は「私のことが嫌いでも、竹千代様のことは嫌いにならないでください」と言う。
「まだ出会って間もないのですから。嫌いになるのは早いですよ」
「嫌いになるでしょう。あの方、私と話そうとしないのですから」
「そう、なのですか? 意外ですね……」
「ええ。顔を真っ赤にして。いつもぼそぼそと独り言を呟いて。何を考えているのか分からないのです。不気味ですよ」
それは不気味ではなく不器用なのだと、前世での経験から成政は分かった。
なるほど、原因は竹千代のほうにあったのか。
成政は「かしこまりました」と頭を下げた。
「若様と姫の間を取り持たせていただきます」
「そのようなこと、頼んでいないのだけれど」
「しかし、夫婦になるのですから、気まずいままは嫌でしょう」
「それは……そうですけど……」
困った顔のおごとくに成政は「万事任せてください」と言う。
「姫は隣の部屋で話を聞いていてください。私の合図があるまで入らないように」
◆◇◆◇
「どうした成政。今日も軍学の講義でもするのか?」
「いえ。そうではありません」
岡崎城の竹千代の部屋。
竹千代が目の前に座ると、成政は単刀直入に「おごとく様について、どう思われますか?」と問う。
すると顔を真っ赤にして「わ、私には、もったいないくらい、できた妻だ」とつっかえながら言う。
「それ故に、どう対処すれば良いのか分からぬのだ」
「まあ好意を告げるのは難しいですよね。私も大変でした……」
「なぬ? 百戦錬磨の成政もそうなのか?」
「ええまあ。おなごのほうは得意ではありません。妻のほうから、その、告げられることが、多いです」
竹千代は安堵するように「私が特別、不得意なわけではないのか」と笑った。
言葉にしないが、家康の次に尊敬している成政が己と同じだと分かって、心が軽くなった気がした。
「おごとくは美しい。だがそれで気後れしてしまうのだ」
「まあ姫は格別に美しいとは思います」
「それに気位が高そうで……下手なことを言えば怒られそうなのだ」
成政は「怒られてもいいではありませんか」と敢えて言う。
竹千代のどういうことだの顔に対して、大人のように導く。
「怒って怒られて喧嘩して。そして仲直りすれば――もっと仲が深まります」
「そういう、ものなのか……?」
「実を言えば、私も今――妻との仲が悪くなっております」
善兵衛に暗殺指令を出したことを知られたときから、ずっと気まずいままだった。
今日には岡崎城に来る予定になっている。子を連れて――
「何と言って仲直りすればいいのか。今でも判然としません。正直、どきどきしております」
「それは、不安ではないか?」
「しかし、それこそが人間関係なのでしょう。他人が自分にどう思われるか、そして自分がどう他人を思うのか。人の心を覗かない限り、分からぬことでしょう」
竹千代は自然と黙ってしまった。
成政の話を真面目に聞いて、おごとくとの関係に活かそうと考えていた。
「大事なのは、互いに自分が良く思われようと努力することでしょう。もし相手がとんでもない極悪人になったら、流石に嫌いになるでしょう。私は相手に相応しいと思われるような立派な人間であることを己に律しています。要は努力次第ですよ」
成政はそう言いながら、自分はどうなんだろうなと考えた。
はたして、一途に私を慕ってくれるはるに見合った人間なのだろうか。
悪人になり果てた私は愛される資格があるのだろうか。
そう考えると笑えてくる――
「私は、おごとくのことが好きなのか、よく分からない。美しいとは思うし、傍にいると緊張して話せない……」
「ええ、私も妻に対してそうでした」
「でも大切にしたいと思う。たった一人で織田家から徳川家に嫁いできたのだ。不安なことがあるだろう。嫌なこともあるはずだ。だとしたら、その支えになってあげたい」
やっと本音を引き出したか。
成政はにやっと笑って、柏手を打った。
竹千代が成政のいきなりな行動に戸惑っている中、隣の部屋の襖が開いた。
そこには厳しい顔をしたおごとくがいた。
「お、おごとく……謀ったな、成政!」
「無礼を致しました。そうしなければ――仲は深まりませぬ」
おごとくは二人のやりとりを無視して、竹千代に近づいた。
そして――目の前に座った。
竹千代は顔を背けようとする――無理やりおごとくは合わせようとする。
「な、何を……」
「なんだ。照れていたのですね。ふふふ、可愛いところがあったんですね」
「か、可愛いなどと!」
「おなごと顔を合わせられないお方にお似合いの表現だと思いますが」
成政は「私はこれにて」と退座しようとする。
竹千代は「ま、待て! 行くな!」と悲鳴を上げた。
「私にも務めがあります故。お二人の仲が深まったことで次の仕事に行けます」
「な、成政……」
「後はお二人でごゆっくり」
すうっと襖を開けて出て行こうとする成政の背に、おごとくが「佐々殿」と声をかけた。
「……一応、お礼を申し上げます」
信長のほうが素直だったなと成政は思いつつ。
二人の幼い夫婦に向けて、優しい笑顔をした。
「ふふふ。これもまた、主命ですから」