第74話懐かしき再会

文字数 3,598文字

 数ヵ月後に今川家に攻め入られるというときに、成政は信長に呼び出された。
 城内が殺伐していて、緊張感が高まっている中、一対一で向かい合っている主君と家臣。

「懐かしい男から書状が来てな。お前にその者から話を聞いてきてもらいたい」
「ははっ。かしこまりました。して、その者とは?」

 信長は「その者は駿河国の駿府にいる」と答えた。
 成政の緊張が高まる――何故なら敵方に潜入することになるのだから。
 甲斐国に行ったときはなるべく今川家の領地や関所を通らぬように気をつけていた。それが自分の安全につながると思っていたからだ。

「そう身体を硬くするな。お前も会いたいと思っている男だぞ?」
「……まさか、あの方ですか!?」
「察しがいいな。そういうところはお前の長所だぞ。大事にせよ」

 利家ならともかく、成政はこれでも多少は頭が回る。考えすぎて雁字搦めになってしまうのが玉に瑕だが。
 信長は「その者から今川家の内情を聞け」と詳しい主命を話し出した。

「また俺はお前と戦いたくないことも言っておけ」
「承知しました。直接、その方の屋敷に向かえばよろしいのですか?」
「いや、知源院という寺にいるらしい。祖母の容態が悪いと書かれていた」

 成政は頷いて、さっそく向かおうとする――信長が「少し待て」と止める。
 咳払いして、言いにくそうな顔で、やや早口で言う。

「この主命が済んだら利家の様子を見に行ってくれ」
「……柴田様か森様にお頼みすればよろしいのでは?」
「意地の悪いことを言うな。もし俺がそやつらに言ったら、追放処分を解くかもしれんと期待するだろう」

 いずれ解くつもりだろうと成政は思っていた。様子を見に行くように命じるのはその証拠である。
 成政は溜息をついて「承りました」と短く答えた。

「利家には分からぬように、遠目から見てきます。それでいいですか?」
「そのように余所余所しくする必要はないぞ? 話しかけても――」
「追放になった愚か者と交わす言葉などありません」

 きっぱりと成政が言うと、信長は「俺も頑固なほうだが、お前も相当だな」と呆れていた。

「まあそれでいい。もし困窮した生活を送っているのなら……いや、いい」
「……そういえば利家はどこに住んでいるのですか?」

 何気なく成政が問うと信長は「以前、沢彦がいた小屋に――」と答えたところで気づく。
 そして静かに「……謀ったな? 成政」と恐い顔になった。

「何のことでしょう? それでは駿河国へ向かいます。御免」

 成政は笑顔のままその場から去った。
 利家の居場所を知っているということは、相当に気にかけている証拠である。
 それを自ら漏らしてしまった羞恥心で、信長は顔を赤くした。

「……機転が利く奴とは思っていたが、なかなかやるではないか、成政」


◆◇◆◇


 駿河国の駿府は清洲の町よりも規模が大きく、立ち並ぶ店も大きなものばかりである。
 内政が上手くいっている証だなと成政は思った。ごろつきがいないことはないが、かなり治安の良いところだとも思った。

 知源院は駿府にある寺院の一つだと住人に教えられた。聞いたとおりの道を歩くと、それなりに立派な寺がある。門番らしき兵が立っていてすんなりと通れそうにないなと成政は判断した。

 甲斐国へ行ったときと同じく薬屋の格好の成政は門番に「すみません」と声をかけた。
 門番はうさんくさそうに「何用だ?」と短く問う。

「薬を届けに参りました。中に入れてください」
「薬だと? 源応尼様のか?」
「へえ。そうでございます」

 門番は少し考えた後「お前の名前は?」と問う。
 一応、確認するのだなと考えた成政は「内蔵助です」と答えた。

「内蔵助? 薬屋にしては武家のような名前だな」
「よく言われます。あ、そうだ。松平様にお伝えいただければ。話は通っておりますので」
「……しばし待て」

 門番が中に入り、しばらくして出てくると「入っていいぞ」と許可が出た。

「珍しいことに、松平様が直接お目通りするそうだ」
「それは嬉しいですね」
「……大して驚いていないようだが」

 なかなか目聡い門番だと成政は思ったので「十分に驚いております」と返した。

「昔から感情を面に出すのが苦手でして」
「ふうん。そうか……」

 知源院の一室の前に通された成政。門番が「薬屋を案内して参りました」と声をかける。中から「通せ」と若い青年の声がした。
 門番が障子を開けて、中に入れと仕草をしたので、成政はゆっくりと入った。そして閉められる障子。

 成政は懐かしい気持ちで胸がいっぱいになった――当然だ、今まで様々なことがあったけど、一日たりとも忘れたことがなかった人が目の前にいるのだから。

「久しぶりだな――内蔵助」
「お久しゅうございます、竹千代様」

 深く頭を下げた成政に対し、「そんなにかしこまるな」と優しげに声をかける男。
 面を上げた成政に「今は竹千代ではない」と彼は言う。

「松平元康……それが今の私の名だ、内蔵助」

 元康は昔と比べて大きく成長していた。精悍な顔つき、太い眉、一廉の武将らしい体格。信長と違った意味で大器を感じさせる風貌だった。人質生活が長かったのに卑屈なところは見られない。むしろ不屈の精神を持ち合わせていると成政は思った。

「松平様……立派になられましたね」
「ふふふ。そなたの言葉のおかげだ。それと元康と呼んでくれ。以前も言ったがそなたのことは兄のように思っている」
「私のような者に対し、もったいない言葉でございます」

 成政が恐縮すると「そなたは変わらないな」と元康は笑った。
 それは心の底から愉快と思った笑いであり、旧知の友に再会したときの笑みだった。

「私をいつも立ててくれる。それがたまらなく嬉しい……そういえば、元服したのだろう? 名を教えてくれぬか?」
「佐々成政、と名乗っております」
「佐々成政……良い名だ。そなたらしい」

 成政と元康は昔の話を懐かしそうにした。
 通った甘味屋の話、一緒に遊んだときの思い出、昔教えてくれたことなど。
 その過程で「犬千代はどうしている?」と元康が切り出した。

「そなたの好敵手だった男だ。今はどうしている?」
「……あの馬鹿は追放されました」
「追放? どういうことだ?」

 笄斬りの話をすると元康は顔をしかめて「昔から乱暴な男だと思っていたが」と呟く。

「まさかそのようなことをするとは。平八郎みたいだな……」
「平八郎? ……本多殿ですか?」
「なんだ、知っているのか?」
「風の噂で聞いております」

 未来の知識で知っている成政はそれが分からぬように誤魔化した。
 元康は「今は利家というその男、どうするつもりなのだろうな」と考えた。

「あいつは、きっと織田家に戻ってきます」
「ほう。どうしてそう考える?」
「あいつは馬鹿です。面倒を見るのが馬鹿馬鹿しくなるくらいのね。でも何かを成し遂げる奴ですよ」

 元康は目を細めて「信頼しているのだな」と羨ましそうに言う。
 成政は手を振って「そんなんじゃないですよ」と答えた。

「あの馬鹿よりも大事な話をしましょう。今川家の動きです」
「……義元様は一気呵成に尾張国を攻めるつもりだ。その先鋒を私が任されることとなっている」

 腕組みをして元康は答えた。内部情報をあっさりと言ったのは成政を信用していることの表れなのだろう。

「織田殿はどうするつもりだ? 勝ち目はあるのか?」
「ありますよ。その戦にて義元公を討つつもりです」

 元康は目を丸くして「本当か?」と問う。
 成政は「そのときが、岡崎城を奪還する好機です」と畳みかけた。

「義元公を討てば軍は混乱し、駿河国へ退却しようとするでしょう。岡崎城の代官も逃げるか、兵が少なくなると思われます」
「……だが大義名分がない。それはどうする?」
「空城になれば今川家は城を捨てたとなるでしょう。捨てた城を貰っても何の非難はありません」
「ふむ……」
「城から代官がいなくなるまで、どこかで待機すれば良いのです。必ず代官は逃げます」

 元康は不思議そうな顔で「どうしてそう思う?」と訊ねた。
 未来知識を持っている成政にしてみれば、分かりきったことなのだが、それだけは言えない。

「そうなるように私が仕向けます。兵を率いて岡崎城を攻める姿勢を見せます。また攻めると代官に分かるようにします」
「代官の山田景隆殿はさほど勇気はなく果断もできない男と聞く。それならば可能性はあるな」

 元康は満足そうに頷く。一応は納得してくれたようだった。
 成政はほっと一安心した。それから元康に言う。

「元康様は砦を攻めていただいて、兵を義元公から離してください」
「義元様の兵を少なくするのか。よかろう、承知した」

 元康は「もし戦に勝ったら」と成政に笑いかけた。

「そなたは私に家臣になるのだな」
「ええ。以前出した条件通りです」
「その日を楽しみにしているぞ」

 成政は「もったいなきお言葉です」と平伏した。
 本心から思っている言葉だった。
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