第134話静かに、不協和

文字数 3,081文字

 成政の指令を、伊賀の忍びである善兵衛は忠実に、完璧にやり遂げた。
 数日のうちに朝比奈泰朝を暗殺したのだ。
 これには今川氏真も戦慄した。徳川家はここまでやるのかと。

 浜松城の評定の間の空気は重かった。
 誰の目からも伊賀の忍び衆を動かしていた成政がやったのだと分かったからだ。
 しかし当の成政はすまし顔で、苦い顔をしている家康とは正反対だった。

「成政、そなたがやったのだな」

 皆がいる前で確信した顔で問う家康。
 成政は「徳川家のためを思って行ないました」とはっきり申し上げた。
 自分が悪いことをしたとは思っていない顔に、家康は悲しく思えた。

「そなたの思うとおり、駿河国へ進攻する。だがそなたは勝手な行動をした。私の意にそぐわないやり方をした。それは理解できるな?」
「重々承知の上です」
「ならば三河国の領地発展を命ずる。駿河国への戦には参戦させぬ」

 諸将がざわめく中、成政は粛々と受け入れた。
 家康が重い腰を上げてくれればそれで良かったのだ。

「一気呵成に、今川家を滅ぼす! 皆の者、行くぞ!」

 家康の号令に成政以外が「応!」と応えた。
 評定の後、成政を呼びかける声がした。

「これは……本多殿か。何用ぞ?」
「俺は、あんたのやり方、間違っていると思う」

 数名、残っている中での発言だった。
 ぎょっとした武将、榊原康政が「忠勝! お前――」と何か言おうとするのを、成政は制した。

「槍働きしかできない、俺だが……卑怯だと思う」

 無口な忠勝が自分なりの言葉で、成政を叱っているのは、その場にいた者全てに伝わった。
 成政は「そうだな。士道に叛いていると私も思う」と応じた。

「しかし、今駿河国を獲らねば――徳川家は負ける」
「誰にだ? まさか、今川家というわけではないだろう」
「違う。織田家にだ」

 意外な名前が出たので、忠勝は思わず黙り込んでしまう。
 成政は「上洛を果たした織田家と対等になるには、東国全てを徳川家のものにしなければならない」と言う。

「私が行なったことは、主君の意に叛くことだ。それ以上に士道だけではなく、人の道にも外れることだ。だがな、外道と呼ばれても――私にも守らねばならないものがあるんだ」
「己の、家名か?」
「それも違う。我が主君、徳川家康様だ」

 そう言い残して成政は評定の間から去っていく。
 残された榊原は忠勝に「凄いことを言うなあ、お前」と肩を叩いた。

「お前まで、その、殺されたら――」
「……佐々殿はそんなことをしない」
「どうしてそこまで言い切れる?」
「徳川家を盛り立てるのが目的だから」

 忠勝は成政に同情した。
 無口な故、自分も誤解されやすいが、それよりも成政は誤解されてしまうのだろう。
 もし、徳川家を牛耳ろうとするのなら、他の家老との協調をやめるだろう。忍びを差し向けるだけでいい。
 しないのは――成政の弱さではなく、彼らもまた必要だと思っているからだ。

「不要だと思われたら……」

 あっさりと始末されてしまう。
 恐ろしい考え方だった――


◆◇◆◇


「なんだ成政。お前、謹慎になったようだな」
「若、はっきりと言われますのは――」
「虎松、良い。正確には三河国の領地発展を命じられました」

 岡崎城に戻ってきた成政は竹千代と虎松に会っていた。
 既に十才となっていた竹千代はいっぱしの口を利くようになっていた。
 その成長が眩しく見える成政。
 一方の虎松も八才となり――体つきも良くなっていた。

「父上が成政を手放すことはよっぽどなことが無い限りやらん。ということは……やらかしたのだろう?」
「ご明察です。やりすぎてしまいました」
「ははは。そうだろうな……虎松、木刀を持ってきてくれ」

 虎松は「かしこまりました」と頷き、足早に木刀のある稽古場へと向かった。
 竹千代は「実際、何をしたんだ?」と庭の岩に腰かけて問う。

「父上を怒らせたわけでもあるまい」
「……敵の武将を暗殺しました」
「ほう。それは上々ではないか」
「結果、駿河国への進攻が決まりました。我が殿の意に添わぬ形で」

 竹千代は岩に置かれた石を手に取り、池の中心めがけて投げた。
 ぱあんと波紋が広がる。
 利家と話したあの時を思い出した成政。懐かしさに目を細める。

「ま、父上の意に叛くのはやりすぎだな。反省しろ」
「猛省しております」
「しかし、後悔はしていない……そうだろ?」

 成政は苦笑して「よくお分かりですね」と竹千代に言う。
 竹千代は「反省しているのは、やり方だろう」とも言った。

「もう少し、周りに気を配って、父上にも配慮して――行なえば良かった」
「……成長なさいましたな」
「師であるお前のおかげだな。母上が常日頃言っている――あの人以上の教師はいないと」
「過大評価ですね。私は出来たお人しか教えられません」
「こそばゆいことを申すな……」

 そこでようやく「木刀を持って参りました」と虎松が走ってやってきた。
 きちんと三本、持ってきている。
 竹千代は「今日こそ、一本取ってやろう」と成政に手渡しながら、自身も構えた。

「意気消沈しているときこそ、取れる好機だ」
「竹千代様は――正しい判断をされますね」

 先ほど竹千代がいた岩に座って木刀を適当に構える――成政。
 竹千代も油断なく間合いを取った。
 虎松は「い、一体、どういうつもりなんでしょうか」と戸惑っている。

「ははは。それはこういうことだろう――」

 竹千代は虎松の疑問に答えた。

「子供の相手など――座ってできるとな」

 そして裂ぱくの気合と共に、竹千代は成政に打ち込む――


◆◇◆◇


「ご苦労様でした。久しぶりに竹千代は佐々殿と遊べて満足したでしょう」
「いえ。私にも気分転換が必要でしたから」

 寝室に遊び疲れた竹千代と虎松を寝かせた後、成政は瀬名と月見酒を楽しんでいた。
 すっかり夜更けとなり、ころころと虫の鳴く音しかしない。
 目の前には素晴らしいほどの満月が浮かんでいた。

「満月は良いですね。故郷のものと変わりはありません」
「月は、どこから見ても同じですから」
「しかし、富士の山と一緒に見ると格別な風景となりますよ」

 成政は手酌で酒を注ぎ、ゆっくりと楽しみながら飲む。
 瀬名は「おごとく殿とお会いになりましたか?」と問う。

「いえ、まだです」
「どうも、竹千代と合わない気がするのです」
「まだ幼いですから」
「一度、お会いになってもらえますか。私のときのように心をほぐしていただければ」

 成政は「かしこまりました」と笑った。
 瀬名その後、言おうか迷っているような仕草を見せた。

「……なんでも、私に言っていいのですよ」
「あなたは、いつもそうですね……私の心をよく分かっています」
「それで、なんでしょうか」

 瀬名は「奥方と上手くいっていないのですか?」と問う。

「ええまあ。実は見せたくないところを見せてしまいました」
「竹千代から聞きましたけど、暗殺のことですか?」
「せめて人払いした後に言えば良かった……」

 すると「仲直りはしたほうがいいですよ」と成政に言う。

「後悔しないうちに。ご家族は今、浜松城にいるのでしょう? 呼び寄せておいたほうが良いですよ」
「意地悪な言い方になりますが、それはあなたの経験からですか?」
「意地悪な言い方ですけど、確かにその通りですね」

 成政はふうっと溜息をついた。

「私が敵わないと思った人は、これで五人目です」
「私がですか? ちなみに他の四人は?」
「織田信長公、斉藤道三公、私の妻はる、そして我が主君である徳川家康様です」

 瀬名は袖を口元に寄せて「多いのですね」と笑った。
 成政は「弱い人間ですから」と笑った。
 二人の笑い声は、静かに辺りを響き渡った――
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