第119話城下町を作ろう

文字数 3,266文字

 織田家と斉藤家が和議を結んだ。その知らせを毛利新介から聞いたとき、部屋で書き物をしていた利家は「冗談だろ?」と怪訝な顔になった。あと一息で美濃国が手に入るという時期だったからだ。また知らせた新介も「俺もそう思った」と神妙な顔で頷いた。

「小平太の奴から聞いた。あいつも半信半疑だったから森可成殿に訊ねたらしい」
「兄いはなんて言っていた?」
「どうも足利家の仲裁のようだ」

 利家はいまいちよく分からなかった。
 何故なら十三代目将軍の足利義輝がそんなことをするとは思えなかったからだ。

 実を言えば利家は義輝のことを信長から聞いていた。
 直に話したことはないが、見たことはある。
 それは信長が尾張国を統一し、僅かな手勢で京に上洛したときだった。

 あの頃は成政もいた。信勝の謀反から時が経っていなかったと利家は覚えている。
 京は荒れ果てていて、本当に日の本の中心である都なのかと疑ったほどだった。
 御所と呼ばれる将軍の屋敷で、信長は義輝と拝謁した。

 正直、そこでのやりとりは覚えていない。
 ただ義輝のことは覚えている。
 鍛えられていると分かる所作と上品な仕草。
 しかしどことなく覇気のない顔をしていた。それが印象的だった。

 公方様の立場は複雑なのだと成政が帰りの道中、利家に説明した。
 本当は足利家を盛り立てたいのだが、三好家に牛耳られている。その支配から逃れたいと考えているのだが、なかなか上手くいっていないらしい。

 だから下剋上を成し遂げた織田家の尾張国統一を認めざるを得なかった事情があると成政は言った。同時に三好家に代わる新しい協力者も望んでいると。

 利家は難しい政治のことは分からない。
 ただ義輝のある一言だけは覚えている。
 ――そなたは英傑になる器だ。
 義輝は世辞のつもりで言ったのか、それとも本音で言ったのか分からないが、ある程度信長を認めてくれたことが利家には分かった。

 だから義輝が信長の美濃国攻略に横やりを入れるような真似をするとは思えないと利家は考えた――のだが。

「足利義輝公は亡くなったぞ」
「……なんだと? どういうことだ?」
「三好家の家臣に攻められたって聞いている。去年のことだ」

 利家は一瞬、何が何だか分からなかったが、次の瞬間におそらく義輝と三好家の間で諍いがあったのだと気づいた。一度しか会っていないし、会話などしたことがないが、鬱屈していた――現状に不満があることは分かる。

「それで、次の将軍が仲裁したのか?」
「それも違うらしい……義輝公の弟君、覚慶様がお命じなった」
「はあ? なんだそりゃ? しかも坊さんみてえな名前だな」
「実際、坊さんだけどな」

 利家の単純な頭では理解が追いつかないようで「訳が分からねえ」と呟く。
 説明している新介もよく分かっていないらしく「そうだな」と同意した。

「こういうとき、成政がいてくれたらなあ」
「まったくだ……」
「……あれ? お前もそう思うのか?」

 無意識に成政の名を出してしまったので、てっきり利家に「あんな奴どうでもいい」と言われると思ったが、意外な返答だった。
 利家はきょとんとしていたが、徐々に顔が赤くなった。

「う、うるせえ! あいつはただ、変に知識があるからってだけだ!」

 そしてそのまま、床に寝転んでしまう。ふて寝である。
 新介は頬を掻きながら「悪かったよ」と笑って謝った。
 離れていても好敵手のことは忘れないんだなと新介は思った。

「なあ利家。これから織田家、どうなるのかな?」
「知らねえよ。ま、仲が悪い者同士で将軍でも何でもない坊さんが結ばせた和議だ。いずれ破られるんじゃねえか?」

 利家は適当に言ったが、その言葉通りとなる。
 斉藤家が和議を破って織田家に戦を仕掛けたのだ。
 こうして再び、美濃国の攻略が再開された。


◆◇◆◇


 稲葉良通、安藤守就、氏家直元――いわゆる西美濃三人衆と呼ばれる有力武将が織田家に寝返った。
 すぐさま信長は斎藤龍興の居城、稲葉山城へ進軍を開始した。一気に攻め滅ぼすつもりのようだ。

「稲葉山城の城下にいる者を立ち退かせた後、町に火を点けて焼き払え」

 信長の命令だが、別段苛烈なものではない。
 町の建物を焼き払うことで、兵を潜ませるなどできなくする。また住人が城方の応援をすることを阻止する意図もあった。
 しかし続いての命令は評定の場にいた武将の首を傾げさせた。

「その後、新たな町を作れ。しっかりとした町割を決めて、民が住みやすいようにな」

 稲葉山城を落としていないのに、町作りをする理由がよく分からなかった。
 利家も信長の指示が分かりかねた。
 理解したのは、家老として評定に参加している丹羽長秀と末席にいる木下藤吉郎だけだった。

「つまり……殿は既に稲葉山城を落としたものと見なしているのですね?」

 丹羽の言葉に全員が気づいた。
 稲葉山城は堅城である。必然、時間がかかるだろう。
 ならばその時間を有効活用しようと信長は考えていた。

「ま、半分は正解だな。町作りをすることで城方に圧力をかけることができる」
「ははっ。流石でございます」

 追従する武将たちの中で、木下藤吉郎だけは信長が何かを隠していることに気づいた。
 藤吉郎の推測だが、町作りをする利点はもう一つある。
 民の心を掴むためだ。今より住みやすい町にすることで、支配者が代わることへの不満を無くし、むしろ感謝の念を抱かせる。加えて民を立ち退かせる口実としても有効だった。いずれ自分の領民となる者たちを無駄死にさせるなど君主としてはもったいないと思うのだろう。

「では町割は信盛と長秀に任せる。戦の指揮は勝家と可成――」

 指示が飛び交う中、藤吉郎は出世するにはどうすれば良いか考えた。
 一番は城を落とすこと。それも犠牲を出さずにだ。
 そのためには城の弱点を知ることが肝要。

 藤吉郎は出世したかった。
 自分のためでもあるが、利家の男気に報いるためだった。
 はっきり言えば、織田家が天下を取れるとは思っていなかった。
 信長の代で収まるとも考えていない。

 利家と違うのはそこだった。
 ただひたすらに信長のために働き、天下を統一する手伝いをする。
 一心不乱に出世して、友人として恥ずかしくないようになりたい。
 二人の姿勢は真逆だった。


◆◇◆◇


 稲葉山城の町作りは着々と進んでいた。
 利家は城方が打って出たときに戦う役目だったので、建設には関わっていないが、どんどんと作られる建物を見ているともうすぐ攻略できるのだと実感する。

「武家屋敷もできるそうだ。利家、お前の家も数日後に完成するぞ」
「そうか。また引っ越しするとなると、まつがぼやきそうだ」

 櫓の上で稲葉山城の様子を見つつ、利家が新介と和やかに会話していると、そこに「御免」と藤吉郎が現れた。

「利家と話したいことがある。少し二人にさせてもらえませんか?」
「うん? ああ、分かった。終わったら教えてくれ」

 新介は二人が親友だと知っているので、素直に応じた。
 利家はすぐさま「何があった?」と訊ねた。

「重大なことではなさそうだが。まさか城を落とす考えでも思い浮かんだのか?」
「よく分かったな」
「お前の顔を見れば分かるよ。それで、俺にできることはなんだ?」

 考えを聞く前に手伝いを申し出る。藤吉郎は自分を信頼して、尚且つ協力を惜しまない利家の男気に惚れ惚れしつつ「稲葉山城の裏門を見つけた」と説明する。

「そこから少数で侵入し、城を混乱させる。それに呼応して本軍が力攻めする」
「よく見つけたな。大したもんだ!」
「利家。一緒に戦ってくれないか?」

 利家は「もちろんだ」と頷いた。

「殿には話したか?」
「今から話す。一緒に来てくれ」

 二人の進言に本陣にいた信長は「いいだろう」と頷いた。

「だが少し待て。まだ町作りが終わっていない。二日ぐらいあればひと段落がつく」
「かしこまりました」
「猿。貴様のせいで案外決着がついてしまう。計画が台無しだぞ?」

 責めるような物言いだったが、口調はおどけていた。
 利家は吹き出し、藤吉郎も笑った。
 言った本人の信長も大笑いした。
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