第21話葬儀の場で

文字数 3,410文字

「お屋形様――いえ、先代の葬儀は萬松(ばんしょう)寺で、三日後に行なわれます」
「……で、あるか」

 那古野城。庭に面した小部屋で、外につながる障子を大きく開けさせて、月を見ていた信長。実父の葬儀の日取りと場所を報告した、背後に控えている内蔵助に彼は問う。

「お前は――いずれ竹千代の家臣として仕えることになる」
「はい。そのつもりでございます」
「だが、親父の死に目にお前を紹介した理由は、分かっているな」

 内蔵助は少しだけ考えて「私がまだ、若様の家臣だからでしょうか?」と答える。すると信長は「違う」と短く否定した。

「おそらく松平家の譜代の者は、お前を織田家の間者と見なすだろう」
「……覚悟の上です」
「もしも松平家に馴染めなければ、織田家に戻ってこい」

 内蔵助は驚きのあまり息を飲んだ。月を眺めている信長の顔は見えなかったが、声音からは優しさのようなものが感じられる。身内に優しい男ではあるが、離反行為と解釈されてもおかしくない松平家への出仕をここまで快く受け入れてくれるとは思わなかった。

「……若様はお優しい。しかし私にも意地というものがありますゆえ」
「お前といい、犬千代といい。俺の家臣は頑固者が多いな」

 犬千代と同列にされたのは腹立たしいが、事実ではあるので甘んじて受け入れた。
 信長は「一つ、お前の知恵を借りたい」とふいに信長は訊ねた。

「家督を継ぐにあたって、俺は家中の敵味方をはっきりとさせたい」
「それは――そうですね。敵を見定めることは重要ですから」
「何か良い方法はあるか?」

 内蔵助は自身の前世の記憶を辿る。そして突然閃いた。その逸話を提案すれば、はっきりと敵味方が分かる。
 しかし身内に甘い信長はその提案に乗るだろうか?

「若様。策を思いつきました」
「ほう。どんな策だ? 言ってみろ」
「しかしながら、先代に対して非常に無礼となりますが……」

 恐る恐る言った内蔵助であったが、信長から返事はなかった。戸惑う彼は主君が何か言うのを待ったが、はたと気づいた。既に信長は『言ってみろ』と命じていた。つまり、これは信長なりの無言の催促もしくは叱責だったのだ。

「申し上げます。若様はまず萬松寺に――」

 内蔵助の言葉を黙って聞いている信長。
 煌々と光っていた月が次第に雲に隠れていく――


◆◇◆◇


「お、奥方様! 若様はいずこですか!」
「わ、分かりませぬ……朝起きたときには、もう……」

 三日後、萬松寺。先代当主の信秀の葬儀で喪主であるのにも関わらず、信長は刻限近くとなってもその場に現れなかった。おろおろしている家老の平手政秀と正室の帰蝶。その様子を冷やかに見ている者は多かった。

「やはりうつけか……このような大事な日に遅れるとは……」
「織田弾正忠家の当主に相応しくない……」
「まったく、先代や平手殿はどんな教育をしたのだ」

 参列者からはそんな声が広がる。このままでは家中の信頼を得られない。平手はますます困り果てた。

「あら。信長はまだ来ていないのですか?」

 平手の顔色が青を通り越して真っ白になった。嫌味を最大限込めたその声の主は、信長の実母である土田御前だった。傍らには幼いながらも利発そうな顔をした美少年、信行がいた。

「織田家当主がこのようなことでは困りますね。そうでしょう? 信行」
「え、ええ。まあそうですね……」
「先代に対して敬意がありません。跡継ぎとして失格ですね。そうでしょう? 信行」
「そうとも言えますね……」

 土田御前の一言を曖昧に返す幼い信行。母親の言っていることに辟易している様子だった。一方で否定しないのは、僅かながらもそう思っているふしを感じられた。

「すみませぬ! 私の責任です!」

 平手は土田御前に対して平伏し謝った。土田御前は「あなたが謝ることではありません」とにこやかに言う。しかし顔は笑っていても、目は決して笑っていない。

「あなたも、信行が後継者に相応しいと内心思っているのでしょう。そう言葉にしてくだされば良いのですよ」

 同じく平伏していた帰蝶は恐ろしいと感じていた。これだけの参列者が集まっている中、家老の平手を追い詰めることで、自分が愛している信行のほうが当主に相応しいと印象付けようとしている。

 帰蝶は平手の返答次第では信長に誰も着いていかないと感じていた。もしそうなったら――

「――いえ。恐れながら、当主は若様、織田三郎信長様が相応しいと思います」

 その返答に土田御前の顔が引きつった。
 周りの参列者と織田家家臣はざわめく。

「私は、若様の器量は信行様よりも上だと確信しております」

 顔をあげて、そう言った平手の顔は自信に満ちていた。帰蝶はほっと胸を撫で下ろした。
 しかし、次第に土田御前の怒気が高まっているのに気づいたのは、息子の信行だけだった。思わず身構える――

「――ふざけるな」
「……は?」
「ふざけたこと言っているじゃあないわよ! 脳なしくそじじい!」

 般若のように顔を怒らせて、嫌っている信長のように大声で、土田御前は――喚き散らした。

「信行が馬鹿息子より劣っている!? 戯けたこと言わないでよ! あんた馬鹿じゃない! どこからどう見たらそう思えるのよ! 尾張のうつけって呼ばれるほどの屑に織田家任せたら滅びるに決まっているじゃない! ねえ、なんで分からないのよ! だったら私に似て礼儀正しくて優しくて賢くて可愛い信行に任せたほうが全て上手くいくじゃない! どうして家老のくせにそんなことも分からないの!? あなた信長に毒されているの!? だったらこの場で死になさいよ! 自害しなさいよ! 無能の家老なんて要らないわ! さっさとその脇差で腹掻っ捌いて死になさい! それが嫌なら信行を当主にしなさい! 今すぐ誓いなさい! 私の大事で大切な可愛い信行を当主にすると、先代の墓前の前で誓いなさい! 早く、早く早く、早く早く早く! さっさとやれぇ!」

 まるで暴風雨のような激しい罵倒に平手は圧倒されていた。帰蝶も義理の母の変貌に唖然としている。参列者と家臣もあまりのことに後ずさりした。傍らの信行は耳を塞いで目を瞑っている。

「はあ、はあ、はあ……」
「お、奥方様……」

 殺意を込めた目で平手を睨む土田御前。まるで蛇に睨まれた蛙のような構図である。
 そのとき――

「すまん。遅れた」

 葬儀の場にそんな声が通った。
 全員がそこに注目する。

「わ、若。その格好は……」
「…………」

 平手は先ほどの土田御前の苛烈さとは違う衝撃を受けていた。
 信長は袴も穿かず、上着ははだけて半裸、そして刀をわら縄で巻いて提げていた。
 あの土田御前もその姿には何も言えず、口を開け閉めしていた。

「なんだ帰蝶。お前も来ていたのか。いや当然の話だな」
「お、お前さま……」

 帰蝶は自分の夫の奇行には慣れたつもりだった。しかしここまでとは思っていなかった。
 まさに空前絶後、前代未聞の姿だった。

「と、とりあえず、お焼香をお願いします……」
「で、あるか」

 僧侶の一人が戸惑いながらそう促す。
 信長は何の躊躇もなく、父の位牌の前に立つ。

「…………」

 しばらく信長は信秀の位牌をじっと見つめた。参列者は悼む気持ちがあるのだと少し感心していた。しかし普段の信長を知っている平手と帰蝶はとても嫌な予感がした。

 信長は内心、思っていた。
 父の信秀は強く賢く逞しい男だった。死の間際、とんびが鷹を産んだと言っていたが、それは間違いだ。実際、尾張の虎と評されるほど、立派な人物だった。
 しかしそんな男でも、尾張国の統一は成らなかった。何故か?
 答えは簡単。大義名分を大事にしすぎたからだ。
 守護の斯波家、守護代の織田大和守家や織田伊勢守家などの上役など、葬ろうとすればできたはずだ。
 それができず、他国との争いで身体を傷つけ、心を病み、挙句の果てには若くして死んでしまった。

 信長は抹香を片手一杯に掴んだ。
 平手は止めようとするが、遅すぎた。

「この――大馬鹿野郎が!」

 片手一杯の抹香を信長は偉大な父であり、大好きだった信秀の位牌に向かって、投げつけた――
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