第153話富士川の戦い
文字数 3,085文字
織田家が野田と福島で窮地に陥っているとき、徳川家も同じ状況になっていた。
武田家の本軍二万が駿河国に進攻したのだ。
その知らせが家康に届くと、すぐさま援軍を送った。一万五千の大軍勢だ。
元々、駿河国は一万の軍勢で備えている。相手が武田家であっても十二分に対処できるはずだと家康は考えたのだ。
その援軍の将は成政だった。先の前哨戦で勝利を収めた功績を期待されての抜擢だった。
諸将には本多忠勝や榊原康政もついている。つまり、徳川家にできる最大限の備えだった。
成政はここで武田家の勢力を弱めたいと考えていた。そうすれば今後の戦いもやりやすくなる。
「殿。武田信玄は出てくるんですかね?」
馬を隣に合わせながら成政に訊ねるのは可児才蔵だった。
成政は「もし出てきたら勝ち目は低い」と弱気な返答をする。
「しかし、かの大将が出てくる可能性は低い」
「どうしてですか?」
「上杉家が信濃国を窺っているからだ。先ほど、忍びに調べさせた」
「いつの間に……」
「上杉謙信は武田信玄でなければ対抗できない。ならば我らの相手は四名臣の誰かだろうな」
そうは言うものの、四名臣ほどの名将が相手なのは成政でも荷が重い。
先の戦いで山県昌景に勝てたのは姑息な方法を取ったからだ。
それにたいした損害しか与えていないことも忘れてはいけない。
「油断するなよ。時と場合によっては駿河国を失う覚悟をしろ」
「そこまで力の差があるのか?」
「敵は戦国最強の武田家だぞ? いくら気を引き締めても足りない」
成政が才蔵に言い聞かしているのは、この若者が手柄を求めて突出することを抑えるためだ。
イノシシ侍というわけではないが、近い感覚を覚えている。
黒羽組を任せる身として、もっと重々しく行動してほしいと願っていた。
駿河国の駿府城で大久保忠世と合流した成政は、さっそく城内で軍議を開いた。
議題はもちろん、どこで武田家を迎え撃つのか。
大久保は「駿府城で籠城するのは下策だ」と開口一番に宣言した。
「城下町を焼かれるだけだからな」
「では野戦を仕掛けるわけですね」
成政の確認に「そういうことになるな」と大久保は素っ気なく答えた。
すると榊原康政が「しかし、相手は野戦に手慣れた者共ですよ」と進言する。
「騎馬戦術もありますし、どうすれば……」
「一つ提案がある。ここで迎え撃つのはいかがだろうか?」
机の上に広げられた地図を指して「富士川を挟んで野戦を仕掛けるのだ」と成政は言う。
諸将が疑問に思う中、大久保が「どういうことだ?」と疑問を投げかける。
「この時期、河川の水位は高くなっている。騎馬の動きも鈍るだろう」
「それは分かるが、どう誘い込む?」
「富士川の東側を武田家は通ることは予測できる。進軍しやすい平地が多いからな。そして武田家に虚報を流す。僅かな兵が富士川の西側で陣を張っていると」
成政の説明に誰も口を挟まない。
「実際は一万五千の兵で陣地を作る。武田家は駿府城を攻める前にこちらの兵を打破しようとする。万が一挟み撃ちに合うのを嫌ってな」
「もし、駿府城を攻めたら?」
「そうなれば一万五千の兵で背後を突く。駿府城からも出撃すれば、いくら武田家でも対処できない」
地図を指し示しながら成政の説明は熱を帯びていく。
「武田家と富士川で交戦したら、駿府城からも出撃してほしい。どう転んでも挟撃になるようにするんだ」
「上手く行けば良いが、もう一つ確実なものが欲しい」
大久保の言葉に「それは考えている」と成政は無表情で言う。
「僅かな兵のところに、私がいると情報を流すのだ。相手が誰であろうと、山県を敗走させた私がいると分かれば、手柄首を求めて攻めてくる」
「自分を囮にするのか?」
怪訝そうな大久保に「それが有効的な手だ」とさらりと言う成政。
「意見が無ければこれにて軍議を終わりにしたい」
成政の締めの言葉で武将たちは三々五々と退室した。
成政も退室しようとしたとき、それまで黙っていた忠勝が「佐々殿」と話しかけてきた。
「どうした忠勝殿」
「もし、敵が作戦を読んだとしたら……」
忠勝の言葉に「まあ読むでしょうな」と簡単に言う。
目を見開く忠勝に成政は「富士川のさらに西側から背後を強襲する可能性がある」とさらに言う。
「敵の間者はこの城に入り込んでいる。そんなの予想通りだ」
「ではどうする気だ?」
「忠勝殿に五千の兵を預ける。そこで――」
◆◇◆◇
武田家二万の軍勢が富士川付近まで接近したとの情報が、成政の元に届いた。
富士川の西側で強固な陣を張っていた成政は「鉄砲の準備をせよ」と命じた。
天候は快晴である。にわか雨すら降らないと確信できる天気だった。
三河国の工場で作った鉄砲五百丁を前面に配置し、敵が来るのを待っている。
やがて、騎馬を伴った赤備えの軍勢がやってきた――山県昌景だ。
向こうも陣を張ってこちらに攻めかけてきそうな雰囲気があった。
「殿。相手が攻めてくる前にこっちから攻めません?」
才蔵の提案に「相手はそれを見通している」と成政は答えた。
「敢えて緊張させておく。戦が始まるときには疲れが生じるだろう」
「そういうもんですか」
「それにこちらの弾薬はあまりない。無駄に使うのは不合理だ」
そのうちに武田家の準備が整ったのか、富士川を渡ってこちらに攻めてくる。
成政は「まだ撃つなよ」と五百の兵に言い聞かせる。
「十分に引き寄せろ……まだだ……」
もうすぐ川を渡りそうなところまで来たとき――成政は号令を発した。
「――今だ! 撃てえ!」
どおおんっと銃声が響き渡る。
銃弾が当たった兵が一斉に倒れる。
当たらずとも銃声に驚いた馬から落ちる者もいる。
「弾を込めよ! その間に伏せ矢を放て!」
成政の命令で次々と矢が放たれる。
銃弾に生き残った者たちが矢の雨に倒れていく。
「第二射、放て!」
怯まずに徳川家の陣に寄ってくる足軽。
成政は無慈悲に一斉射撃を命じた。
いくら二万の軍勢でも、川を渡河する人数は少ない。そこを狙って――壊滅させる。
「殿! 相手が総がかりで来る!」
才蔵が報告してきたのを受けて「こちらも迎え撃つぞ!」と成政は大きな声で叫んだ。
「のろしを上げよ! 駿府城からも兵を挙げさせろ!」
成政の指示でのろしが上がる――同時に、徳川家と武田家の兵が激突した。
混戦となる中、富士川の北からこちらに攻めかけてくる軍勢が見えた。
「やったか、忠勝殿!」
成政はにやりと笑った。
武田家が成政を背後から狙った伏兵を、忠勝が叩いたのだ。
そのまま武田家に襲い掛かる忠勝の五千の兵。
すると武田家からほら貝が鳴った。
どんどん退却していく武田家。流石に機を見るのが敏い山県だった。
「まだだ! 全軍で追撃しろ!」
成政の命令で康政らの部隊は武田家を背後から襲う。
結果として二万の兵は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
富士川の戦いは徳川家の大勝利だった。
◆◇◆◇
富士川の戦いの戦後処理も終わった。
皆が弛緩する中、成政だけは確信する。
これからの戦いに勝ち続けられることを。
またこの状況の中で、成政は一手打つ必要があると感じていた。
それは上杉家である。
今回の勝利は上杉家が武田家を牽制していたからとも考えられる。
結果として武田信玄が出てこなかったからだ。
成政は上杉家と会談するべきと考えた。
もちろん、自分でなければ話にならないだろう。
成政は急ぎ、家康の許可をもらい、越後国に向かう準備をした。
相手は武田信玄と長年に渡りしのぎを削ってきた上杉謙信だ。
重々、気を引き締めなければいけない。
そう覚悟していた。
武田家の本軍二万が駿河国に進攻したのだ。
その知らせが家康に届くと、すぐさま援軍を送った。一万五千の大軍勢だ。
元々、駿河国は一万の軍勢で備えている。相手が武田家であっても十二分に対処できるはずだと家康は考えたのだ。
その援軍の将は成政だった。先の前哨戦で勝利を収めた功績を期待されての抜擢だった。
諸将には本多忠勝や榊原康政もついている。つまり、徳川家にできる最大限の備えだった。
成政はここで武田家の勢力を弱めたいと考えていた。そうすれば今後の戦いもやりやすくなる。
「殿。武田信玄は出てくるんですかね?」
馬を隣に合わせながら成政に訊ねるのは可児才蔵だった。
成政は「もし出てきたら勝ち目は低い」と弱気な返答をする。
「しかし、かの大将が出てくる可能性は低い」
「どうしてですか?」
「上杉家が信濃国を窺っているからだ。先ほど、忍びに調べさせた」
「いつの間に……」
「上杉謙信は武田信玄でなければ対抗できない。ならば我らの相手は四名臣の誰かだろうな」
そうは言うものの、四名臣ほどの名将が相手なのは成政でも荷が重い。
先の戦いで山県昌景に勝てたのは姑息な方法を取ったからだ。
それにたいした損害しか与えていないことも忘れてはいけない。
「油断するなよ。時と場合によっては駿河国を失う覚悟をしろ」
「そこまで力の差があるのか?」
「敵は戦国最強の武田家だぞ? いくら気を引き締めても足りない」
成政が才蔵に言い聞かしているのは、この若者が手柄を求めて突出することを抑えるためだ。
イノシシ侍というわけではないが、近い感覚を覚えている。
黒羽組を任せる身として、もっと重々しく行動してほしいと願っていた。
駿河国の駿府城で大久保忠世と合流した成政は、さっそく城内で軍議を開いた。
議題はもちろん、どこで武田家を迎え撃つのか。
大久保は「駿府城で籠城するのは下策だ」と開口一番に宣言した。
「城下町を焼かれるだけだからな」
「では野戦を仕掛けるわけですね」
成政の確認に「そういうことになるな」と大久保は素っ気なく答えた。
すると榊原康政が「しかし、相手は野戦に手慣れた者共ですよ」と進言する。
「騎馬戦術もありますし、どうすれば……」
「一つ提案がある。ここで迎え撃つのはいかがだろうか?」
机の上に広げられた地図を指して「富士川を挟んで野戦を仕掛けるのだ」と成政は言う。
諸将が疑問に思う中、大久保が「どういうことだ?」と疑問を投げかける。
「この時期、河川の水位は高くなっている。騎馬の動きも鈍るだろう」
「それは分かるが、どう誘い込む?」
「富士川の東側を武田家は通ることは予測できる。進軍しやすい平地が多いからな。そして武田家に虚報を流す。僅かな兵が富士川の西側で陣を張っていると」
成政の説明に誰も口を挟まない。
「実際は一万五千の兵で陣地を作る。武田家は駿府城を攻める前にこちらの兵を打破しようとする。万が一挟み撃ちに合うのを嫌ってな」
「もし、駿府城を攻めたら?」
「そうなれば一万五千の兵で背後を突く。駿府城からも出撃すれば、いくら武田家でも対処できない」
地図を指し示しながら成政の説明は熱を帯びていく。
「武田家と富士川で交戦したら、駿府城からも出撃してほしい。どう転んでも挟撃になるようにするんだ」
「上手く行けば良いが、もう一つ確実なものが欲しい」
大久保の言葉に「それは考えている」と成政は無表情で言う。
「僅かな兵のところに、私がいると情報を流すのだ。相手が誰であろうと、山県を敗走させた私がいると分かれば、手柄首を求めて攻めてくる」
「自分を囮にするのか?」
怪訝そうな大久保に「それが有効的な手だ」とさらりと言う成政。
「意見が無ければこれにて軍議を終わりにしたい」
成政の締めの言葉で武将たちは三々五々と退室した。
成政も退室しようとしたとき、それまで黙っていた忠勝が「佐々殿」と話しかけてきた。
「どうした忠勝殿」
「もし、敵が作戦を読んだとしたら……」
忠勝の言葉に「まあ読むでしょうな」と簡単に言う。
目を見開く忠勝に成政は「富士川のさらに西側から背後を強襲する可能性がある」とさらに言う。
「敵の間者はこの城に入り込んでいる。そんなの予想通りだ」
「ではどうする気だ?」
「忠勝殿に五千の兵を預ける。そこで――」
◆◇◆◇
武田家二万の軍勢が富士川付近まで接近したとの情報が、成政の元に届いた。
富士川の西側で強固な陣を張っていた成政は「鉄砲の準備をせよ」と命じた。
天候は快晴である。にわか雨すら降らないと確信できる天気だった。
三河国の工場で作った鉄砲五百丁を前面に配置し、敵が来るのを待っている。
やがて、騎馬を伴った赤備えの軍勢がやってきた――山県昌景だ。
向こうも陣を張ってこちらに攻めかけてきそうな雰囲気があった。
「殿。相手が攻めてくる前にこっちから攻めません?」
才蔵の提案に「相手はそれを見通している」と成政は答えた。
「敢えて緊張させておく。戦が始まるときには疲れが生じるだろう」
「そういうもんですか」
「それにこちらの弾薬はあまりない。無駄に使うのは不合理だ」
そのうちに武田家の準備が整ったのか、富士川を渡ってこちらに攻めてくる。
成政は「まだ撃つなよ」と五百の兵に言い聞かせる。
「十分に引き寄せろ……まだだ……」
もうすぐ川を渡りそうなところまで来たとき――成政は号令を発した。
「――今だ! 撃てえ!」
どおおんっと銃声が響き渡る。
銃弾が当たった兵が一斉に倒れる。
当たらずとも銃声に驚いた馬から落ちる者もいる。
「弾を込めよ! その間に伏せ矢を放て!」
成政の命令で次々と矢が放たれる。
銃弾に生き残った者たちが矢の雨に倒れていく。
「第二射、放て!」
怯まずに徳川家の陣に寄ってくる足軽。
成政は無慈悲に一斉射撃を命じた。
いくら二万の軍勢でも、川を渡河する人数は少ない。そこを狙って――壊滅させる。
「殿! 相手が総がかりで来る!」
才蔵が報告してきたのを受けて「こちらも迎え撃つぞ!」と成政は大きな声で叫んだ。
「のろしを上げよ! 駿府城からも兵を挙げさせろ!」
成政の指示でのろしが上がる――同時に、徳川家と武田家の兵が激突した。
混戦となる中、富士川の北からこちらに攻めかけてくる軍勢が見えた。
「やったか、忠勝殿!」
成政はにやりと笑った。
武田家が成政を背後から狙った伏兵を、忠勝が叩いたのだ。
そのまま武田家に襲い掛かる忠勝の五千の兵。
すると武田家からほら貝が鳴った。
どんどん退却していく武田家。流石に機を見るのが敏い山県だった。
「まだだ! 全軍で追撃しろ!」
成政の命令で康政らの部隊は武田家を背後から襲う。
結果として二万の兵は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
富士川の戦いは徳川家の大勝利だった。
◆◇◆◇
富士川の戦いの戦後処理も終わった。
皆が弛緩する中、成政だけは確信する。
これからの戦いに勝ち続けられることを。
またこの状況の中で、成政は一手打つ必要があると感じていた。
それは上杉家である。
今回の勝利は上杉家が武田家を牽制していたからとも考えられる。
結果として武田信玄が出てこなかったからだ。
成政は上杉家と会談するべきと考えた。
もちろん、自分でなければ話にならないだろう。
成政は急ぎ、家康の許可をもらい、越後国に向かう準備をした。
相手は武田信玄と長年に渡りしのぎを削ってきた上杉謙信だ。
重々、気を引き締めなければいけない。
そう覚悟していた。