第101話赤か黒か

文字数 3,070文字

 斉藤家との戦いで、利家の活躍は目覚ましいものだった。
 一度の戦で数多くの首級を挙げるその姿は、猛者揃いの馬廻り衆の面々でさえ、手本にせねばならないと思うほどだった。

 利家自身は自分にできること、つまり槍働きを実直にしているだけなのだけれど、それが結果的に自身の手柄につながっている。はっきり言って侍大将になった利家は、それ以上の出世を望んでいなかった。ただ信長のために戦うだけだった。

 しかし上り調子の利家と異なり、織田家全体の戦果は低かった。
 西美濃三人衆と称される稲葉良通、安藤守就、氏家直元を中心に斉藤家は信長の侵攻を防いでいた。元々、美濃国は山が多いので、守るのに適した土地である。とても一気呵成に攻められるものではない。

 桶狭間の戦いの勢いを利用したい信長であったが、堅い守りの斉藤家を切り崩すには時間がかかりそうだと判断した。もちろん、攻め続けるのは変わらないが、闇雲に出陣するのをやめて、調略で敵を寝返らせることにした。

「というわけで、しばらく大きな戦は無いと思え」
「つまり、小競り合いが多くなるわけですね」

 小牧山城の評定の間。
 利家は信長に話があると言われてこの場にいた。
 初めは世間話をしていたが、次第に斉藤家との戦況へと話題が移っていた。

「そうだ。龍興の奴、なかなかやりおる。年若いくせに家臣を上手に動かしているな」
「俺が聞いた噂だと、暗愚で酒浸りだったはずですが……」
「狡猾で執念深いまむしの孫で、国盗り名人から国を盗った義龍の息子だ。無能なわけがない」

 父祖の血が子に受け継がれると信じられた時代である。信長がそう思っても不自然ではなかった。
 利家は「巷の噂はあてになりませんね」と笑った。

「それで、殿が俺を呼びだした理由ってなんですか? まさか俺に戦略を訊ねるためではないでしょうね?」
「お前は合戦の達人だが、戦略を講じられる能力はないからな」
「さらりと言いますね。ま、事実ですが」
「帰参してからのお前の働きは見事だ。まずはそれを褒めておこうと思ってな」

 信長は表情を柔らかにして、利家の戦働きを褒めた。
 利家はそっぽを向きながら「なんですか、いきなり」と言う。照れていた。

「殿に褒められるのは嬉しいですが、そう切り出されると裏がありそうですね」
「よく分かっているではないか。これは内々だが、お前をとある地位に任命したいと思っている」

 とある地位? 出世とは異なる言い方に利家は首を捻った。
 信長は「侍大将であることには変わりないが」と前置きをした。

「馬廻り衆の数が増えて、それらを指揮する者が必要となったのだ」
「確かに、千は軽く超えるくらいに多くなりましたね」
「そこで馬廻り衆の中から腕の立つ者を選出して、隊を任せたいと考えている」

 もしも成政ならぴんと来ているが、利家にはまだ分かっていない。
 そういう鈍いところが利家の魅力だなと信長は思いつつ「利家、お前に任せたい」とはっきり言った。

「馬廻り衆を率いる強き者としてな」
「俺にですか? まあ自信がないわけではないので、引き受けます」
「ほう。言うではないか。いずれ正式に申し渡すが、お前に異存がなければ決定としよう」

 信長は満足そうに言う。利家が断るわけないとは予想していたので、それが的中して嬉しかったのだ。
 帰参してから利家は自信とやる気で満ちていた。
 だから信長が命じた主命を絶対に全うしようと決めていた。

「ちなみにどんな名前ですか?」

 話が終わりそうなときに、ふと利家は信長に訊ねる。
 信長は一瞬、何の話かと思ったが「うん? ああ、その地位の名前か」と気が付く。

「そうだな。考えていなかった。失念していたぞ」
「正式に決定していたわけではないですからね。今決めますか? それともじっくり考えますか?」
「今決めよう。利家、お前……赤と黒、どっちが好きだ?」

 利家は何も考えずに「赤ですね」と答えた。

「昔から赤が好きなんです。殿と会う前は子分たちに赤の物を付けさせていました」
「初めて会ったときもそうだったような……よし、決めた」

 信長は自信たっぷりな表情で高らかに宣言する。

「――赤母衣衆だ。その名の通り、母衣を赤で統一する部隊だから、赤母衣衆だ」

 母衣とは鎧具足の補助武装である。
 利家は「おお! 格好いいですね!」と拍手した。

「ふふん。そうであろう!」
「織田家の精鋭を表す素晴らしい部隊になりますね! しかし、どうして赤と黒だったんですか?」

 利家の問いに信長は「俺の好きな色だからだ」と答えた。

「本当はもう一部隊……黒母衣衆を作ろうと思ったのだがな」
「どうして作らないんですか?」
「成政に任せるつもりだった」

 利家は「あの野郎ですか」と複雑な表情をした。
 悔しい反面、納得できることもあったからだ。

「ま、いない者をとやかく言っても仕方あるまい。頼んだぞ、赤母衣衆の筆頭を」
「あ。俺筆頭なんですね」
「なんだ。自信ないか?」

 利家は犬歯をむき出しにした、喜びに満ちた笑みを見せた。

「いいえ。むしろふつふつとやる気が出てきましたよ。今すぐ戦に出たいぐらいに」


◆◇◆◇


「よう藤吉郎……おいおいなんだそのしょぼくれた顔は」
「あ……前田様。これはどうも……」

 信長との会話が終わって、利家は城内を歩いていると、肩をがっくり落とした木下藤吉郎が軒下に座り込んでいるのを見つけた。
 その隣にどかりと座って「何かあったのか?」と肩を叩く利家。

「はい……それがしは戦で活躍できぬなと思いまして」
「なんだそりゃ。確かにお前はあんまり強くないけどよ」
「前田様が羨ましく思います。戦場で鬼のように強い前田様が……」

 利家は目に見えて落ち込んでいる藤吉郎に「何か言われたのか?」と優しく訊ねた。
 藤吉郎は「誰もが噂しております」と暗い顔で答えた。

「草履や小手先のことで出世した百姓の子と……」
「なんだと? 誰が言いやがった? そいつぶん殴ってやる」

 指を鳴らしながら立ち上がった利家。
 慌てて藤吉郎が「そ、そのようなことをしなくても!」と止めた。

「また追放処分になるかもしれませんよ!」
「……それは困るな。だが言った奴は許せねえよ」
「お気持ちだけで十分ですから……」

 藤吉郎は「それがしも前田様の半分でいいので、強くなりたいです」と話を戻した。

「そうすれば、ねねに楽な生活をさせてやれます。誰にも馬鹿にされないです」
「お前の長所はそうじゃねえよ」

 利家は藤吉郎に言う。
 兄貴分として語りかける。

「お前の良いところは目端が利くところだ。そして人遣いがとても上手いところだ」
「……あまり褒められている気がしません」
「何言ってんだよ。上に立つ人間に必要なことだろうが。俺はな、藤吉郎。お前だったら織田家の中心になれるって思うんだぜ」

 利家の言葉に藤吉郎は「それがしが、中心にですか?」と半信半疑で言った。

「ああ。嘘じゃねえよ。お前は何か大きなことを成し遂げる。そんな気がするんだ。いや、期待していると言うのが正しい」

 これは慰めではなかった。言うならば野生の勘だった。
 だからこそ、藤吉郎の心を打つ、真っすぐな言葉を利家は言えた。

「前田様……ありがとうございます……!」

 失いかけていた自信を、利家の暖かい言葉で、繋ぎ止められた藤吉郎。
 彼の目から熱いものが零れた。

「泣くなよ、藤吉郎」

 利家が藤吉郎に優しかったのは、彼の男気もあったが、浪人時代に何かと親切にしてくれた恩義があったからだ。
 目の前で泣いている小男を、立派な一人前にすること。
 それが報いることだと利家は感じていた。
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