第127話暗殺阻止

文字数 3,097文字

 上洛に対する再三の協力要請を黙殺した六角家を討伐すべく、信長は六万の軍勢を出陣させた。その途中、北近江国の浅井家に立ち寄ることになった。軍の休息を兼ねた、同盟国同士の顔合わせだった。

 赤母衣衆筆頭として従軍している利家は、おそらく嫁に出したお市の方の様子を見るのが一番の目的だと勘繰っていた。あの土田御前の娘だと思うと複雑な心境だが、親と子をつなげるのは良くないと思い直す。

 会見の場所は本城の小谷城ではなく、南近江国に近い佐和山城だった。そこで浅井家当主の浅井長政が援軍を引き連れて合流する予定だ。一足先に着いた織田家は各々の指揮官の指示で民に迷惑をかけぬ程度に息抜きをしていた。

「利家。遠藤直経殿を知っていますか?」

 赤母衣衆の打ち合わせを済ました利家にそう話しかけたのは森可成だ。彼は深刻というほどではないが、やや曇った顔をしている。利家は「知らねえけど、そいつが何かしでかすのか。兄い」と訊ね返す。

「ええ。実はこの城の女中と仲良くなりましてね」
「兄いは美男子だからな……刺されたりすんなよ?」
「気を付けますよ……その遠藤殿が、殿を暗殺しようと企んだらしいのです」

 利家はあからさまに顔を歪ませた。同盟相手を殺そうなど彼の倫理観からすれば言語道断である。

「危なねえ野郎もいるんだな。そんで、そいつは処分されたのか?」
「いえ。浅井殿に進言しただけですから。それにあっさりと却下されましたし」
「何を考えて暗殺なんて企んだんだ?」

 利家の疑問に「おそらく朝倉家と関係あるでしょう」と可成は答えた。

「あの家は織田家と仲が良くありませんから。加えて付き合いも三代の間と長い」
「義理を重んじるのは悪くねえけど。ところで兄いはそれを俺に話してどうしたいんだ?」

 きっと何かしてほしいんだろうと利家はあたりを付けた。
 案の定、可成は「遠藤殿を見張ってほしいのです」と言う。

「戦前の宴会には家老である遠藤殿も出席しますから」
「ゆっくり酒も飲めねえってわけか……いいぜ。やるよ」

 利家の快諾に可成は「ありがとう」とこの世全ての女性が振り向くような笑顔を見せた。

「他の奴……新介や良之にも声をかけておこうか?」
「いえ、大事にはしたくありません。あくまでも警戒ですから。俺と利家だけでも防げるでしょう」
「それもそうだな……いや、もっといい方法があるぜ」

 利家は自信満々に笑った。
 可成は「何か策でもあるのですか?」と問う。

「その遠藤って野郎と話してみようじゃあねえか。殿を暗殺しようなんて大胆不敵な男と話してみたい気もするしよ」


◆◇◆◇


「おぬしが槍の又左……前田利家殿か。その勇名、江北にも轟いておるぞ」

 遠藤直経は浅井家の家老である。本来、侍大将の利家とは格が異なり決して呼び出されるような間柄ではない。

 だから利家は自身と親しい柴田勝家を通じて呼んでもらったのだ。無論、柴田には理由を教えてある。仔細を知った柴田は「お前も無茶をするな、暗殺を企てた男と話し合うとは」と呆れて笑った。

 遠藤はずっしりとした体格だが戦働きができないわけではなさそうだ。
 歴戦の戦人という顔つきをしている。
 利家はなかなか強そうだなと評価した。

「お初にお目にかかります。来てくださって感謝いたします」

 慣れない敬語を使いながら、佐和山城で宛がわれた柴田の部屋で、遠藤と相対する利家。
 城の者に用意してもらった御膳と酒。
 そして二人きりの空間。

「まさか、親睦を深めようと思うまい」

 遠藤は座りながら利家の反応を伺うように言う。
 利家も「お気づきですか」と遠藤の盃に酒を注ぎながら応じた。

「単刀直入に言います――殿の暗殺をやめてくれねえか」

 遠藤は盃の酒を礼儀正しく飲み干して「真っすぐな男だな」と困惑気味に笑った。
 呼び出された時点で察しはついていたが、ここまで話が早いと面白みを感じる。

「我が殿に止められた時点で、暗殺しようだのと思わんよ」
「俺もそう思ったが、実際会わねえと分からないと思い直したんだ」
「ほう。会ってみてどう思った?」
「あんたは止められてもやる男だ……違うか?」

 鋭い洞察に遠藤は利家を難敵だと認識した。
 同時に誤魔化しきれないとも感じた。

「この短い時間で看破するとは。恐れ入ったぞ」
「これでも俺ぁ覚悟を持った男の顔つきぐらい分かるんだ。何度も見てきたからな」

 思い出すのは平手政秀や柴田勝家、そして成政の顔だった。
 遠藤は「年若いのに経験を積んでいるようだな」と神妙に頷いた。

「それでどうする? わしを斬るか?」
「やってもねえ罪で斬るなんざ、道理に合わねえ」
「なら何故、ここに呼び出した?」

 遠藤は利家が何をしたいのか分からなかった。
 利家が強いことは目の前にいて肌で感じる。しかしただでやられるつもりはない。
 けれどそれならば御膳と酒など用意しないだろう。

「まあ、ガラじゃねえけど……あんたを説得しようとしてんのかな、俺は」

 自分の盃に酒を注いで飲みだす利家。
 遠藤は「なんだその曖昧な言い方は?」と困った顔になった。
 これでは自分の姿勢を示せない。

「あんたが陰険で往生際の悪い野郎だったら斬っていたかもしれねえ。でもさっきから潔いんだよな。多分、殿を暗殺したら責任取って死のうって思っているんだろう?」
「主君の方針に逆らったのだ。自害するのが筋だろう」
「そこまで覚悟を決めているあんたを――俺は斬れないよ」

 利家は単純な男である。
 目の前にいる、主君を殺そうと企んだ男を、潔さと覚悟の強さで好きになり始めていた。
 その気持ちや態度を悟れないほど遠藤は愚かな者ではない。

「おぬし、正気か? 自分の主君の暗殺を企んだ者を許すだけではなく、気に入ってしまうなど……」
「うるせえなあ。俺だって損な性格だって分かっているさ」

 利家は酒瓶を遠藤に見せた。
 盃を出せと言っているのかと彼は差し出した。
 とくとくと酒が注がれる。

「もうなんでもいいや。飲み食いしようぜ」
「……おぬしは、本当に何がしたかったのだ?」
「説得しようと思った。でも面倒になった。はっ。こんなことだとあの野郎に馬鹿にされるぜ」
「あの野郎?」
「俺の好敵手だよ。松平……じゃなかった、徳川家家老の佐々成政」

 成政の名も遠藤は知っていた。
 しかし彼らがどういう間柄かは分からない。

「良ければ聞かせてもらえるか?」
「あの野郎の話を? どうしてだ?」

 不思議そうな利家に「何を馬鹿なことを言っているのだ?」と遠藤は不敵に笑った。

「飲み食いするのだろう? なら肴にその者の話でもしてくれ」


◆◇◆◇


 結果として遠藤は信長の暗殺を思いとどまった。
 それだけではなく、信長に傾倒するようになる。

 理由は利家が語った思い出話にある。
 成政との関係を話すには、どうしても信長のことを語らねばならなかった。
 それらのやりとりから断片的に信長の性格を遠藤は知れた。
 信長には大志があり、そのために戦をしていると分かったのだ。

「前田殿。おぬしは真っすぐな男だ。だから言っておこう」

 飲み食いの最後、遠藤は利家に言う。
 年配者が若者に教えるような優しい言い方だった。

「話し合っても理解できぬ者もいる。それは分かるか?」
「うーん、そんな奴に会ったことねえからなあ」

 遠藤は「まだ若いな」と言う。

「機内を差配する男……その者に会えば分かることだ」
「誰だそいつ?」
「いずれ会うだろう。あるいは戦うことになるかもな」

 利家は怪訝な顔になりながらも、その言葉は忘れなかった。

 機内を差配する男。
 話し合っても理解できない者。
 果たして、そんな野郎がいるのだろうかと利家は酒を飲みつつ考えた。
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