第133話天下の大悪人

文字数 3,118文字

 六万の大軍勢で京への上洛を果たした織田家。
 その後、京周辺の安寧を保つため、山城国と摂津国の三好三人衆の征伐に向かった。
 京を抑えられ、戦力の基盤を失った三好三人衆に勝ち目など無く、あっさりと敗れ去る。

「しかしよ、こんな荒れ果てている京を抑えても意味あるのか?」
「俺に聞くなよ。殿のことだから、何か考えがあるんだろう」

 京の治安維持で見廻っている利家と毛利新介。
 利家は「確か……帝や公家衆の力を借りれば領地が上手く治まるって聞いたな」と呟く。

「誰に聞いたんだ?」
「藤吉郎の軍師、竹中半兵衛だ」
「ふうん……ま、俺は難しいことは考えられねえ。殿の命令に従うだけだ」
「俺もだよ――おいそこ! 何騒いでいる!」

 赤母衣衆は信長を守るための集団だから、信長が京にいる以上離れることはない。
 森可成や柴田勝家らが山城国や摂津国で大暴れしているのが羨ましく思える。
 ま、戦がしたいわけではないが、退屈よりはマシだった。

 今日の務めを終え、宿所に戻ろうとすると、信長の小姓から「殿がお呼びです」と声がかかった。
 一体何の用事だろうか、利家は小姓に訊ねたが「大事な用事とのこと」としか言わなかった。
 もやもやしたまま、利家は信長の元へ向かう。

「殿、お呼びでしょうか?」
「ああ。少し近くに寄れ」

 信長はにこやかに「最近はどうだ? 暇で仕方ないか」と問う。
 利家は何も考えずに「まあ……戦らしいことはしていないので」と答える。

「なんだ。戦がしたいのか?」
「そういうわけではないのですが……ご用件は何でしょうか?」
「ふむ。赤母衣衆たちのおかげである程度の治安が向上した。見事である」
「お褒めいただきありがとうございます」
「……少し警戒しておるか?」

 信長の確認するような言葉に「多少は」と素直な物言いをする利家。
 にやりと笑った信長は「お前にやってほしいことがある」と言う。

「治安維持が上手くいったからこそ、お前に主命を与えても良い状況になった」
「はあ……その主命とは?」

 信長は「大和国の松永久秀を知っているか?」と訊ねた。
 遠藤が言っていた大名だと思い出した利家は黙って頷いた。

「おお、知っているのか。ならば話は早い。その者と会見がしたいのだが、送れる使者がいなくてな」
「明智殿や村井殿、藤吉郎だっていますぜ?」
「あの者たちは京都所司代として忙しいのだ。それに取り込まれるかもしれん」
「取り込まれる? 松永久秀にですか?」
「そうだ。その点、お前は根が単純だから取り込まれたりしない」

 馬鹿にしているのか、それとも信頼しているのか分からないことを信長は言った。
 利家は気づかずに「なるほど。では使者として赴き、会見するように言えばいいんですね」と頷いた。初めから信長の命令に背くことなど考えない。

「であるか。ならば明日出立し、松永に会ってきてくれ」
「承知いたしました」


◆◇◆◇


 利家は大昔に見た城のような城だなと、多聞山城を外から見て思った。
 天守閣があり、整然とした多聞山城は他の大名も参考にしたという。
 利家が入城すると嫡男の松永久通が「ようこそ、前田殿」と一礼した。

「父上は城の奥にいらっしゃいます」
「おう、了解した。それにしても凄まじい城だな」

 気安く話す利家に対して「父上の考えは私にも理解できません」と久通は苦笑した。
 久通は線の細いというか神経質そうな顔つきをしていた。
 武将ではなく、文官――策士と言えば聞こえはいい。

「父上はお灸をしていましてね。終わるまでここでお待ちください」
「お灸か。あれは熱くないのか?」
「熱いというより、暖かなものです」

 通されたのは小さな部屋だった。
 囲炉裏があり、おそらく茶室のようなものだろうと利家はあたりをつけた。
 それにしても一人きりだと暇でしょうがない。
 きちんと正座しているのも疲れた利家は胡坐をかいた。

「お待たせしましたな」

 四半刻ほどだった頃、すうっと襖が開いた。
 利家が居ずまいを正しながら「お初にお目にかかります」と丁寧に挨拶した。

「ご丁寧にどうも。儂が――松永久秀である」

 老境に差し掛かろうとしている男にしては、ギラギラと精力的だった。
 白髪交じりの頭髪、皴が深く刻まれているが、老いぼれのようには見えない。
 目つきは実に悪そうだった。流石に天下の大悪人と言われている男だと利家は思った。

「前田利家です。早速ですが、我が殿からの書状をお渡しいたす」
「これは早急ですな。茶の一杯も飲まずに」

 にやつく久秀に不快感を覚えつつ「作法の分からぬ田舎者でして」と利家は言う。

「それに囲炉裏の火も点けていない状態だと飲めませんね」
「失礼した。では火を点けよう」
「その間に書状をお読みください」

 小姓に火を点けさせている間、久秀は信長からの書状を読む。
 一読した後、喉奥で笑い「儂に上洛せよと言っておるのか」と言う。

「一度は畿内を差配した儂に……随分と上からではないか」
「お気に召しませんか?」
「一言で言えば、不快――だな」

 偽りの怒りだと分かった利家は「なら織田家と戦するか?」と砕けた口調で挑発した。
 久秀は目を丸くして「……使者にしては血の気が多いな」と驚いた。

「そんなつもりはない。織田殿は六万の軍勢で京に上洛した。正面から戦うのは得策ではない」
「だったら会見するんだな」
「そのつもりもない。儂は――織田家に降ることにした」

 久秀から出た意外な台詞に利家が今度は驚いた。

「一度も戦わずに降伏するのか?」
「ああそうだ。今が儂を高く売れるときだからな」

 利家はピンと来なかったが、久秀にしてみれば己を高く売れる好機だった。
 上洛したとはいえ、畿内の大部分はまだ三好家やその他の勢力で溢れている。また北陸の朝倉家のことを考えると危うい状況だった。

 だから今なのだ。畿内で味方が少ないときに降ることで今まで通り大和国を支配できる。
 そうでなければ、真っ先に滅ぼされるのは、足利家から恨みを持たれる松永家なのだから。

「よく分からねえが……あんたが降るならそれでいいさ。明日出立して殿のところへ行こうぜ」
「良かろう……時におぬしの噂は届いている。織田家の精鋭部隊の赤母衣衆の筆頭だとか」
「ああ、そうだ。俺もあんたの噂聞いているぜ。とんでもない大悪人だって」

 久秀は「大悪人とは、聞こえが悪いな」と困った顔をする。
 利家は「まるで斉藤道三に似ている」とぼそりと呟いた。

「なに? あの美濃のマムシ殿か?」
「ああ。あの人もよく分からんかった。不思議と成政の野郎は懐いていたが」
「成政……徳川家の佐々成政か?」
「今では家老になっているあいつで間違いねえよ」

 久秀は「ふむ。興味があるな」と腕組みをした。

「話を聞かせてくれ」
「良いけど、長い話になるぜ。それに喉も渇く」
「おい。酒を持ってこい」

 いつの間にか酒宴となってしまっているのを利家は気づかない。
 久秀は気づいているがそもそも気にしない。

 真っすぐすぎる男、前田利家と、天下の大悪人、松永久秀の最初の出会いは決して悪いものではなかった。
 性質が真逆だと言うのに。
 むしろ良好だったのだ。

「前田殿。一つお聞きしたい」
「おう。なんでも聞いてくれ」

 すっかり意気投合した利家と久秀。

「その成政とやらに会いたいのだが、渡りをつけてくれないか?」
「渡り? そんなことしなくても、徳川家が上洛するときに会えばいい」
「まあそうなのだが」

 利家は「成政は悪いことを考える奴だけど、あんたとは違うぜ」と笑った。

「あいつは――人を裏切らねえ。絶対にな」

 自信満々に言う利家に久秀は何も言わなかった。
 自分の経験と聞いていた話から――悟ったのだ。
 いずれ、佐々成政は、裏切ると――
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