第139話利家の仕事

文字数 3,087文字

 戦はただの殺し合いに過ぎない。しかし奇妙なことだが、その果てしなき殺戮の合間に、ごく僅かな者――勇猛果敢な武士は、敵に親愛にも似た感情を抱くことがある。切迫した異常な空間を共に過ごしたからだろうか、敵の武芸を褒め称えることがある。戦が終わった後に評価する者もいる。だからこそ、敵の武将に我が子を託す美談も生まれる。

 それは前田利家と斉藤龍興も例外ではない。
 まるで竹馬の友のように彼らは本圀寺の変での戦で親しい気持ちを抱いた。
 互いの死を望みながら、互いの死を拒むという矛盾。
 それは幾千の槍衾と弓矢によって生じた。

 前田利家は迫ってくる兵を寺の壁上から次々と落としていく。
 しかし、龍興の采配は見事としか言えなかった。
 もし自分が攻める立場ならこの急所を攻めようと考える――それがずばりと的中する。
 お互い、最適解を見つけているのだ。だから敵は攻めきれないし、こっちは敵の士気を下げられない。

 一方、龍興のほうも利家の戦働きに舌を巻いていた。
 昼だろうが夜だろうが、必ず兵の前に立って戦っている。
 疲れを知らないのだろうかと疑ってしまう。
 もしかすると、二人か、三人ぐらいいるのかと錯覚するほど、元気が有り余っている印象だ。
 こんな猛将だとは――思わなかった。

「斉藤様、桂川にて三好三人衆様が細川藤孝と激突し――」
「……負けたのか」

 細川藤孝の実力を考えれば当然の結果だった。
 あの三好三人衆とやらを丸め込んだときも思ったが――どうも頼りない気がしたのだ。
 伝令の顔を見ずとも勝敗が決したことが分かった龍興は「全軍、引き上げさせろ」と命じた。

「このままでは細川に挟み撃ちされてしまう」
「はは。直ちに引き上げさせまする」

 龍興はあくまでも冷静そのものだった。
 このまま攻めていればいずれ落ちただろう。
 しかし時間が足りない。
 攻め落とす前に信長の軍勢が来るかもしれないし、それ以前に細川の軍勢が駆けつけてくる。
 利家と決着をつけられないのは残念だが――

「なんだどうした、逃げんのか!」

 利家が塀から飛び降るのを佐脇と新介が必死になって止める。
 龍興は喉奥で笑いながら「今日は私の負けだ!」と告げた。
 利家の顔が歪む。

「信長の援軍が来る前に落とそうと思ったがな。また会おうぞ――前田利家」

 くるりと後ろを向いて、堂々と退却する龍興。
 その背中に「ざけんじゃねえぞ!」と怒鳴る利家。

「勝ち逃げしてんじゃねえ! きっちり白黒つけやがれ! 俺はまだ――死んでねえぞオラァ!」

 利家は己が負け犬の遠吠えをしていることに気づいていた。
 だけど、唸らずを得ない。
 こんな鮮やかに退却されたら、こちらの立つ瀬がない。

「ちくしょう! 今度は負けねえぞ!」

 その言葉に呼応するように、龍興は馬上の上で手を挙げた。
 また今度な、と約束するような仕草だった。
 傍目から見るとまた遊ぼうと言っている子供のやりとりのようだった――


◆◇◆◇


 戦が終わった本圀寺の一室。
 利家は信長と対面していた。

「利家、お前の勘が当たったではないか」
「……しかし大将首は逃がしました」

 大雪の中、信長が軍勢を連れてきたのは一月十日のことである。
 将軍義昭公を守った明智と利家と赤母衣衆たちは褒美を得たが、利家の顔色は暗かった。
 前言のように大将首を獲れなかったのだ。武士として悔しいことはない。

「そう悔やむでない。あの龍興が執念深い男ならば――また機会はあるだろう」
「ええ。俺もあいつは執念深い男だと思います。次こそは必ず討ってみせます。逃がした責任を取るためにも」
「よく言った。お前のような武将がいて嬉しく思うぞ」

 あまりないお褒めの言葉に利家は平伏した。
 信長は切り替えて「京に城を建てようと思う」と告げた。

「義昭公が安全に暮らして政務を行なえるようにな」
「ええ、それがよろしいかと」
「兵も置かねばならぬ。しかし利家、お前は一度岐阜城に戻ってはどうだ? 妻や子がいるだろう。新年の挨拶がてらに帰るのもいい」

 信長の意外な提案に利家は「ありがたい話ですが……」と躊躇してしまう。
 まつや子のことは大切に思っている。
 だが職務を放棄してまで会うというのは違う気がする。

「殿をお守りするのが、俺の役目でもあります。京に残らせてください」
「ふははは。いつからそのように真面目になった? ま、良かろう。お前が言い出したことだ。決して曲げるなよ?」

 利家は頭を下げて「承知いたしました」と言う。
 内心、まつに謝りながら、これが俺の仕事だと何度も言う。

「ところで、殿は副将軍とか管領に推挙されましたけど、お受けにならなかったらしいですね」
「ああ。力づくで要職を得たと思われたくないからな」
「そういう感覚はあるんですね」
「……どういう意味だ?」

 利家は笑って「失礼しました」と謝る。
 信長は鼻を鳴らして「お前、俺を厚顔無恥な男だと思っているのか?」と問う。

「俺ほど大義名分を重視し、戦を仕掛ける者はおらん。尾張国を統一する過程で見ておっただろう」
「ええまあ。そんな小大名だった織田家が、今では天下を差配するとは……」

 随分と遠くに来てしまったようだと利家は感慨深げに思う。
 信長は「まだ道の途中だ」と軽く笑った。

「天下を統一するために、これからもますます働いてもらうぞ、利家」
「ええ、お任せください――我が殿」


◆◇◆◇


 二条城と呼ばれる城は、土塀や石垣、天守を備えた立派な構造をしていた。
 信長自身が陣頭指揮を執り、行なった肝いりの城である。防備は完璧であった。

 その建築現場にて、信長はある男と出会う。
 その男は金の頭髪を備え、青の眼球を写し、白い肌を纏っていた。
 明らかに日の本の者ではない。
 利家は前世の記憶で、その男が外国人だと分かったが、他の家臣たちは驚きふためいていた。

「落ち着いてください。私は宣教師で、ルイス・フロイスといいます」

 たどたどしくなく、洗練された日の本言葉。
 喋れることに驚く家臣たちを余所に「ほう、南蛮人か」と信長は珍しそうに眺めた。
 利家は「南蛮人ってなんだ?」と佐脇に聞いた。

「海外からやってきた、野蛮な奴らだ……」
「でも宣教師なんだろう? 野蛮じゃねえよ」
「……宣教師の意味、分かるのか?」
「ああ。沢彦のジジイに教えてもらった」

 フロイスはにっこりと微笑みながら「私たち、京で教えを説かせてもらおうと、織田様に許可をいただきに来ました」と説明する。

「織田様は甘いものがお好きと聞きました。こちらをどうぞ」

 差し出されたのは金平糖だった。
 信長は物珍し気に手に取って眺めまわした後、周りの者が止めるを無視して一口食べた。
 そして驚きの表情になった。

「おお! これは美味い! なんという甘さだ……」
「気に入ってくださりありがとうございます」
「ま、布教ぐらいなら許すが……一つ聞きたい」

 信長はまるで脅すように「異国に来てまで神の教えを説こうと思うのは何故だ?」と問う。
 フロイスは「デウスの教えは素晴らしいものです」と真摯に答えた。

「神には愛があります。そして神の教えにも愛が満ち満ちています。その教えを世界中に広めたいと思いました」
「利益も打算も無しにか?」
「私たちはそのようなものを求めません。神の教えに生きる者なら当然です」

 信長はしばらくフロイスを見つめた後「気に入った!」と笑った。
 フロイスも安堵の表情を見せた。

「フロイスとやら! 京での布教、大いに励むように!」
「ありがとうございます!」

 信長は珍しいものを好む。
 だからこそ、フロイスらを受け入れられた。
 ただそれだけの話である。
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