第61話苦くて醜い

文字数 3,442文字

「いいだろう。貴様に免じて、弟は殺さないでやる」

 清洲城の一室――寝所で信長は、布団に横たわったまま、平伏している柴田勝家に告げた。
 柴田は顔を上げずに、伏したまま「ありがたき幸せ……!」と涙した。

「俺も今は病で伏せているしな。それに信勝は優秀だ。家中の人望も厚い。良き右腕として活躍してくれるだろう」
「ははっ! 左様にございます!」
「……勝家。少し頼まれてくれるか?」

 信長の優しげな声に、柴田は頭を上げた。
 主君は穏やかな表情をしている。まるで菩薩のようだった。

「弟を――清洲城に連れてきてくれ」
「信勝様を……ですか?」
「兄弟同士、積もる話があるからな。それに謀叛のことも形だけでも言っておかねばならん」

 柴田は言葉柔らかな信長を信用した。
 本心で言っているのだと、信じたのだった。

「かしこまりました。末森城に戻り、急ぎ伝えに参ります」
「であるか。では行って参れ」

 柴田が一礼して帰ろうとするのを「ああそうだ」と信長は呼び止めた。

「津々木蔵人も一緒に清洲城に来てくれ。あやつにも話がある」
「うん? はあ、承知しました」

 どうして津々木を連れてこいと言ったのか。
 何の話をするのか。
 柴田にはそれぞれの理由が分からなかったけど、とりあえず言うとおりにしようと思った。

 柴田が帰った後、寝巻き姿のまま、布団から出た信長は奥の襖にいる成政に問いかける。

「信勝の処分はどうする?」

 成政は襖を開けて、中に入り暗い顔で答えた。

「所領を没収の上、追放はいかがですか?」
「織田家の内情を知っているのだ。今川家や斉藤家に走られたらどうする?」
「……寺に入れるのはどうですか?」
「大海人皇子は僧になりながらも、兄の息子を殺し天皇になったのだぞ」

 成政は深い溜息をついて、信長が望んでいながら、口には出せなかったことを言う。

「死罪にすべきと存じます」
「…………」
「それしかありません」

 信長はまるで親に捨てられた子供のような表情で「すまないな」と短く詫びた。

「言いたくもないことを言わせてしまったな」
「……殿。私が行ないます」

 成政は信長のためを思って、進言した。
 信長に同情したのは間違いない。
 しかし主君のために嫌なことを引き受けるのも家臣に務めだと考えていた。
 たとえ助命を懇願した柴田に恨まれても、その渡りをつけた利家に憎まれても。
 それらの憎悪を自分が背負おうと覚悟した。

「本当に、すまないな。成政」

 身体に槍が突き刺さったのを堪えるみたいに、痛みを我慢した笑みを見せる信長。
 成政はそれを静かに受け入れた。


◆◇◆◇


「柴田様を守れ? お前さあ、最近変な主命ばかり伝えるよな」

 清洲城の中庭。
 いつになく暗い表情をしている成政に、少しばかりの疑念を覚えつつ、利家は結局引き受けた。
 成政がこれまた普段より真剣で深刻な表情をしていたからでもある。
 利家は「詳しいことは訊かねえけどよ」と耳をほじりながら言った。

「なんか企んでいることねえよな?」
「さあな。お前には関係ない」
「なんだその言い草。ていうか、柴田様を守れって。誰から守ればいいんだよ」

 成政は「自害しかけたのだろう?」と庭の岩に腰掛けた。

「信勝様は何らかの処分を言い渡されるだろう。もし柴田様が聞けば責任を感じることになる」
「あの人は自害なんてもうしねえよ」
「信勝様の家臣に襲われる可能性もある。視点を変えれば、信勝様を裏切った形になるからな」

 利家は「なるほどな」と一応納得した。

「そんじゃまあ、行ってくるぜ」
「ああ。行ってこい」
「……一つ、聞かせてくれ」

 成政は「先ほどから聞いてばかりじゃないか」とにこりともせずに言う。
 足元に小鳥が寄っても気にしない。

「お前と殿。信用して良いよな?」
「私はともかく、殿は信用しろよ」

 目線を下に落としたまま、成政は応じた。
 利家はじっと睨んだ後に「そうだな」と頷いた。

「今度こそ、行ってくる」
「……ああ」

 利家が去っても、しばらく岩の上に座ったままの成政。
 そして――

「道三様。人を裏切るのは、甘くて美しいものではありませんね」

 ぎりりと歯を噛み締める。

「苦くて醜いものだ」

 成政が岩から下りると、小鳥は驚いてどこかに飛び立ってしまった。
 それから成政は清洲城の部屋に入った。
 中には緊張した面持ちの馬廻り衆がいた。

「……利家は上手いこと言って遠ざけたのか?」

 毛利新介が問うと成政は黙って頷いて、畳にどかりと座った。
 彼らしくない動作だったが、誰も咎めない。
 服部小平太が成政の肩に手を置いた。

「お前は悪くないよ。成政」

 ありがたい言葉だったが、それで罪悪感を消すことはできない。
 彼自身、利家を騙すことは今から信勝を殺すことよりも、激しい嫌悪があった。

「……各々、覚悟はいいか?」

 成政の強張った声に、皆はぎこちなく頷いた――


◆◇◆◇


 末森城の城内に通された利家は、城主代理として政務に励んでいる柴田の元にいた。
 一応、手伝おうと申し出たのだが「花押を記すだけだ」と断られていた。
 花押は柴田しか書けないのだから、仕方がないことだと利家は思いつつ、手持ち無沙汰になって暇をしていた。

「あら、柴田殿。信勝と一緒ではないのですか?」

 がらりと障子が開いて、入ってきたのは信長と信勝の母、土田御前だった。
 利家が姿勢を正すと「そなたは?」と土田御前は首を傾げる。

「織田家家臣、前田利家にてございます」
「ああ、信長の家臣ですか」
「利家。そちらの方は土田御前様。信長様と信勝様のご母堂だ」

 殿に似ているなと思いながら、平伏する利家。
 土田御前は「信勝は清洲城に行ったらしいですが」と話を戻した。

「どうしてあなたは同行しなかったのですか?」
「……津々木も一緒に清洲城へ参ったためです」
「津々木殿もですか……」

 土田御前の顔が蒼白になる。
 利家がすかさず「いかがなさいましたか?」と問う。

「……あなたはどうして、ここにいるのですか?」
「俺ですか? その、柴田様を守るようにと」
「守る? 何ゆえですか?」

 土田御前が迫ってきたので、利家は勢いに圧倒されて事情を話した。
 柴田は事前に聞いていたので、さほど驚かなかった。
 しかし――

「信勝が、死んでしまわないでしょうか?」

 柴田は「それはないでしょう」と土田御前に言う。

「信長様は、わしと約束したのですから」
「しかし、誓書を取ったわけではありません。それに口約束ですよ」

 土田御前の言葉に、一抹の不安を覚える柴田。
 花押を書いていた筆が止まる。

「私、嫌な予感がします。急ぎ清洲城に向かいましょう!」
「……分かりました。利家、お前はどうする?」
「どうするって……柴田様が行くのなら、俺も行くしかないですよ」

 利家はのんきにもまったく状況が分かっていなかった。
 信勝が殺されるわけがないと思っていた。
 それほど信長を情の深い人だと信じていた。

 土田御前を背に乗せた柴田が早馬で清洲城に向かう。
 その後ろを利家は追う。

 もしも信長が利家に『柴田を末森城から出すな』という命令を下していたらどうだっただろうか?
 おそらくもっと早く疑念に思ったかもしれない。
 だからどんな命令を下したとしても、利家は己の思うままに行動していた。

 早いか遅いかの違い。
 ただそれだけの話だった。


◆◇◆◇


 清洲城に着いた利家と柴田と土田御前が見たものは、津々木蔵人の死体だった。
 一刀に斬り伏せられていた。後ろから狙われたのだろう。

「あ、ああああ……」

 土田御前は衝撃のあまり、腰が抜けそうになったが、信勝のことを思い出して喚いた。

「信勝は!? どこにいるのですか!?」
「落ちついてください! おそらく信長様の寝所に――」

 何者から争う物音が近くの部屋から聞こえる。
 柴田は早足でそこに向かう。土田御前も利家の肩を借りて向かった。

 部屋を開けると、そこには――

「はあ、はあ……」

 肩を斬られながらも、短刀を握り締める信勝の姿があった。
 隅に追いやられて、座り込んでいる。
 身体中血塗れて、息も荒い。

「――貴様らぁあああ!」

 柴田が部屋に乱入する。
 利家は信じられない思いだった。

「なんで、だよ……」

 目の前の光景が信じられない。

「どうして、お前らが、そんなことを……」

 信勝を襲ったのは、利家の仲間である、馬廻り衆たちだったからだ。

「お前には見られたくなかった」

 血で濡れた刀を持つのは成政。
 そして睨んでいる柴田に刃を向ける。

「そこをどいてください、柴田様。私はあなたを殺したくない」
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