第111話対等になりたい

文字数 3,327文字

 鵜沼城の攻略を契機に中美濃、東美濃の侵攻は着々と進んだ。実際のところ、利家率いる赤母衣衆の功績が大きい。互いに競いながら城攻めをする姿は、馬廻り衆や兵たちの士気を大いに上げた。

 程なくして利家たちは小牧山城へ凱旋した。まだ斉藤家の勢力は根付いているが、すぐに根絶するだろう。信長は孤立した西美濃へ狙いを定めた。そう、織田家はもう一息で美濃国全土を掌握できる段階に来ていたのだ。

 そんなある日、利家は赤母衣衆の面々との会合を終えた後、小牧山城の廊下を歩いていた。数刻後に評定が開かれるので、その前に槍の稽古でもしようと考えたのだ。やや早足で訓練場へ向かっていると「――前田様」と声をかけられた。

「おう。なんだ、藤吉郎か」

 利家は気さくに応じるが、藤吉郎は強張った表情だった。
 様子が変だなと思った矢先、藤吉郎は「鵜沼城の件、感謝いたします」と深く頭を下げた。

「鵜沼城の件? なんだそりゃ? 戦で一緒になったか?」
「……とぼけているわけではなく、忘れているのだと、長年の付き合いで分かります」

 藤吉郎は少しだけ顔を緩めて「それがしが失敗していたら、責任を負っていたと聞きました」と感謝の内容を伝えた。

「ああ。そんなこともあったな。忘れていたぜ。別に気にすんな。結果的にお前は成功したんだ」
「しかし、もし失敗していたら……前田様に迷惑をかけておりました」
「だから気にすんなって」

 藤吉郎は心の底から不思議そうに「どうしてそこまでしてくださるんですか?」と利家に問う。

「前田様は、それがしを助けても何の得にもなりません」
「損得の問題じゃねえ。友達を助けるのに理屈なんて要らねえよ」

 面倒臭そうに手を振った利家だったが、藤吉郎は百姓上がりの自分を迷いなく友達だと言い切ったことに驚愕していた。

「……前田様はそれがしを友であると?」
「まあな。浪人のとき世話になったしな。その前から仲良かったし。というより、俺たち友達じゃねえのか?」

 藤吉郎は利家を尊敬していた。憧れもしていた。
 そんな武人が自分のような弱い男を友と呼ぶ。
 声をあげて泣きたいのをぐっとこらえた。

「それがしが、前田様の友……不釣り合いです」
「あ? なんでだ?」
「そ、それは、それがしが……」

 利家は藤吉郎が何か言う前に「お、そうだな」と手を叩いた。

「今から前田様って呼ぶな。前々からむずかゆかったんだ。ついでに敬語もやめろ」
「で、できませぬ! 身分も地位も違います!」
「別に構わねえよ。友達なんだからさ」

 藤吉郎はいつか利家と対等になりたいと思っていた。
 しかしまだ先のことだとばかり考えていた。
 いきなりその機会が目の前に来て、頭が真っ白になった。

「じゃあこうしよう。藤吉郎、お前さっさと侍大将になれ」
「簡単に言わないでくだされ!」
「侍大将になったら同格だろ? 俺たちは堂々と友達になれるんだぜ」

 単純明快というか、何も考えていないような浅い発想だった。
 藤吉郎は「戦働きができぬそれがしには荷が重いです」と恐縮し切りだった。

「お前に訊くけどよ。どうやったら侍大将に出世できるんだ?」
「大手柄を立てるしかありませんが……」
「お。そりゃいいや。今日の評定で何か大仕事があるらしい。藤吉郎、お前申し出ろよ」
「それは一体、どんな主命ですか?」

 利家は「あの佐久間様と柴田様が失敗したんだが」と前置きをした。
 藤吉郎がごくりと唾を飲み込んだ。

「長良川の西の墨俣ってあるだろ? そこに城を築く仕事だ」
「し、城ですか!? しかも墨俣は斉藤家の目と鼻の先ではないですか!?」
「ああ。織田家の名将二人でもできなかった難題だ」

 利家は「もしそこに城を築くことができたら――」と藤吉郎の肩に手を置く。

「かなり出世するぜ。俺を超えるぐらいな――」


◆◇◆◇


「どうかそれがしに、墨俣築城をお任せくだされ!」

 織田家の家臣のほとんどが勢ぞろいしている評定の間。
 挙がった議題は、誰が墨俣築城をするのかである。
 誰もが躊躇する中、裏返ってしまうくらい大声を張り上げたのは、木下藤吉郎だった。

「猿……お前、正気なのか?」

 これには信長も驚いた。ぽかんと開いた口が塞がらない。それもそのはず、これまで佐久間信盛や柴田勝家という織田家の名将が次々と挑んだが、ことごとく失敗しているからだ。信長自身、一応皆に言ってみたものの、無理だろうと考えていた。家臣たちにも諦観の雰囲気が流れていた。

「正気でございます! 是非、それがしにお命じくださいませ!」

 やけに気合の入っている藤吉郎。
 信長も思わず黙ってしまう。
 そんな中、家臣を代表して池田恒興が咳払いしてから言う。

「藤吉郎。お前は分かっているのか? この主命の難しさを。斉藤家の軍勢と戦いながら、城を建てねばならんのだぞ?」
「承知の上でございます!」
「……本当に分かっておるのか? 佐久間様や柴田様さえ、できなかったのだ。お前にどうしてできよう」

 佐久間と柴田は内心、自分たちにできなかったのだから、藤吉郎にはできないと考えていた。いや、それどころか誰にもできないと断じていた。もしできるとしたら築城の知識があり、それに長けている丹羽長秀しかいない。だが、その丹羽も自ら名乗り出ることはなかった。

「恐れながら、佐久間様や柴田様のような名将が断念したということが、成功につながるのです!」
「どういう意味だ?」

 恒興が怪訝な顔をする中、藤吉郎は震える身体を必死に抑えながら語る。

「斉藤家からしたら、御ふた方を退けたことで自信が生じます。あの名将たちでもできなかったのだと。しかしそれは慢心と油断に変わります。いくら織田家でも三回も無謀なことはしないはず。その思い込みに付け入るのです!」

 藤吉郎の弁舌の真価は、自分の都合の良いように言うことでも、自分をよく思わせることでもない。他者を立てつつ要求を押し通すことである。現に否定的だった佐久間や柴田もそれならできるかもと一瞬思ってしまった。

「……なるほどな。だが猿。軽輩なお前が失敗したら、重い処罰が下される……分かっているのか?」

 信長が問うたのは確認ではなく、覚悟そのものだった。
 藤吉郎は真っすぐ主君を見据えて言う。

「覚悟が無ければ――名乗り出ません」
「……であるか。他の者はどうだ?」

 すると利家が素早く「藤吉郎に任せてください」と言う。
 二人の仲が良いと家臣一同知っているので、驚きはしなかった。
 賛同するのに迷いがないのは二人の信頼の証でもあった。

「利家。鵜沼城のときと同じにはいかんぞ」
「分かっています。でも鵜沼城と同じ、こいつはやるときはやる男です」

 信長は利家をじっと見た後、藤吉郎を見た。
 二人の目の中に、信頼と自信が垣間見えた。

「良かろう。墨俣築城、猿に任す。長秀、兵の準備を――」
「兵は要りません」

 遮るように藤吉郎は言った。
 信長は「なんだと?」と眉をひそめた。
 利家と家臣たちも藤吉郎が何を言っているのか分からない。

「兵も無しにどうやって築く?」
「それがしに策がございます。築城の費用のみくだされ。それと兵は――」

 藤吉郎はそのあだ名通り、猿のような笑みを見せた。

「それがしの築城が成功した後、援軍として頂戴いたします」


◆◇◆◇


「藤吉郎! お前どうやって築城する気なんだよ!」

 評定が終わってすぐに利家が問い詰める。
 藤吉郎は「ご安心くだされ」と笑っていた。

「それがしの知り合いに頼めば、万事上手くいくでしょう。心配御無用でございます」

 利家はそれを聞いてほっと胸を撫でおろした。

「お前がそう言うのなら、信じるけどよ。でも無理すんな。いつでも手を貸すから」

 藤吉郎はやはり利家は凄いと思った。
 無条件で自分を信じる度量の深さ。
 そして手を貸すことに戸惑いなどない。
 そんな彼を友にしたいと思うのは、贅沢な望みかもしれない。
 しかし男にはやらねばならないときがある。それが今だった。

「前田様には、築城後の援軍で大暴れしていただきたいのです」
「おう。それは任せろ」
「ふふ。安心して築城に専念できますな」

 二人が大笑いしているのを、先ほどの評定に出ていた家臣たちは見て、その豪胆な振る舞いに驚嘆の念を抱くことになった。
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