第４５話寝返り
文字数 3,121文字
甲相駿三国同盟の成立の噂は、尾張国にも届いた。
信長はこの同盟に焦りを感じていた。背後の憂いのない今川家が、上洛を目指して西上することは自明である。いち早く尾張国を統一しなければ対抗できない。
無論、敵の織田信友の軍門に降り、一家臣として統一を進める未来もあっただろう。
しかし先の戦、村木砦の攻略の際に好機であるのにも関わらず、信長の居城である那古野城を攻めなかった。これは明らかな愚行だった。せっかく今川家を引き込んでまで信長の力を半減させたのに。
だから信友は上役ではあるが、仕えるに値しない男だと信長は断じた。そうでなくとも父の心労を増やし、若くして死なせた者という思いがある。必ず倒さねばならないと心に誓っていた。
そんな折、信長に書状が届いた。
織田弾正忠家の家老、佐久間信盛からだった。
「何？ 叔父上が不審な動きを見せていると？」
佐久間は信長の幼少から仕えている古参の家臣である。そんな彼の顔は広く、様々な噂が彼の元に来ていた。
信長は佐久間のことを評価しており、平手政秀の死後、筆頭家老に据えている。
「……叔父上が何故か、俺に会見を申し込んでいる。それと関係しているのか？」
その叔父上とは織田信光のことだった。
先代当主、信秀の弟であり守山城の城主。様々な戦いで信長に援軍を送り、影ながら助けていた。
彼に関しては、信長は腹黒い叔父という認識だ。野心はあるが、まだその機ではないと見計らっているふしがあった。
「さて。これに関してお前たちどう思う？」
以上の仔細を家臣たちに告げた信長。
この場にいるのは、池田恒興、丹羽長秀、森可成、そして利家と成政だった。
重要な評議に二人が立ち会えたのは、出世をしたからである。彼らは先の村木砦の活躍で足軽大将に抜擢されていた。
「その不審な動きとは、信友との接触ですか？」
丹羽の問いに信長は頷いた。
もしも信友と叔父の信光が手を結んだら脅威だ。
「俺は信光様が今更、信友と手を結ぶとは思えません」
可成がはっきりと否定した。
それを受けて「しかし、条件次第では向こうに着くかもしれませんよ」と恒興が慎重に言う。
「たとえば、殿を討ち取った後、那古野城を渡すとか」
「空手形で味方に着くほど、浅はかなお人ではないでしょう」
恒興と可成が言い合っていると、成政が「殿が知りたいことはそこではありませんよ」と割って入った。
「信光様が寝返っているかどうか、そして会見を受け入れて良いのかどうか、です」
「成政よお。そんなもん会うしかねえだろ」
あっさりと言った利家に成政は怪訝な表情で「その心は？」と訊ねた。
「寝返りを確かめるには会うしかねえ。直接訊くんだよ」
「それで、『寝返る』と言う者はいないだろう」
「でも、佐久間様ですら詳細を調べられなかったんだろ？ だったらこれ以上調べようがねえ。だから会うしかねえんだ」
「しかし……」
「ひょっとしたら信光様が独自に計略をして、それを佐久間様が不審と捉えたのかもしれないしな」
利家にしては理に適っていそうな言葉だった。
すると丹羽が「もしそこで寝返りが判明したら？」と疑問を投げかける。
「そしたら信光様を捕らえるなりなんなりすればいいですよ」
「大雑把だな。私としてはなるべく、真偽がはっきりした状態のほうが対策を打ちやすいが」
丹羽が腕組みをして考え始める。
すると信長は「利家の言うことはもっともだ」と言う。
家臣一同は姿勢を正して信長の言葉を待つ。
「信盛ももう少し、詳細が分かった上で報告してほしかったが。まあいい、とにかく叔父上との会見は受ける。利家と成政、お前たちも同席しろ。もし、寝返りを叔父上が考えていたら――分かっているな？」
二人はやや緊張の面持ちで頷いた。
自分たちの行動如何では信光の家臣や兵との戦になる。
「それでは今日は解散だ。叔父上は二日後に那古野城に来る。皆、備えておけ」
「ははっ！」
全員の声に信長は最後に言う。
「まあ、叔父上のことだ。あっさりと裏切りのことは言わん。長い時間を費やして説得を試みよう」
◆◇◆◇
「信友から寝返りの打診？ ああ、来ているぞ。一応、了承しておいた」
「……はあ？」
二日後、那古野城。
叔父の信光は甥の信長の問いにあっさりと答えた。
何の悪気も無く、自ら寝返りを告白した彼に、信長も利家も成政も唖然として物が言えなかった。
「なんだ。それが聞きたくて会見を受け入れたのではないのか？」
「い、いや、そのとおりなんだが……」
「安心しろ。寝返ると信友に言ったが、本当に寝返るわけではない」
その言葉に「どういうことですか？」と利家は訊いてしまった。
信光は「勢いもなく、家臣も離反した信友に着く気はない」と言った。
「あんな時勢が見えない、頭の足らん愚か者に協力などできんよ」
「……つまり、偽りの寝返りというわけですか」
成政の答えに「まさしくそうだ」と実に悪そうに笑った信光。
「信友が出した条件は、まずわしを守護代に格上げすること。そしてもう一つは清洲城に兵を入れて一緒に住むことだった」
「守護代は分かるが、一緒に住む？ ……安易な兵力増強にしか思えんが」
信長はやや呆れていた。守護代とは思えない、必死さが見えた。
信光は「それくらい焦っているのだろう」と笑った。
「お前たちの勢いと成り上がろうとする気概にな」
「……それで、叔父上はどうするつもりだ？ 計画を話したということは、俺に協力するんだろう？」
「ああ、そのとおりだ。わしはお前に着く」
信光はにやにや笑いながら「策はこうだ」と説明し出した。
「わしは条件どおり、清洲城に入城する。その際、わしの下男にお前の兵を紛れ込ませる」
「……つまり、簡単に城内に入り込めるというわけだな」
「後は信友を討てば、清洲城は手に入る」
信長は好機と思ったが、信光が何か企んでいるとも分かった。
だから「それで、叔父上は何を望む？」と問う。
「ただで叔父上が協力するわけがないな」
「ふふふ。清洲城が手に入ったら、この城をわしにくれ」
この城とは信長たちが今いる城、那古野城のことである。
信長は眉をひそめたが、次の瞬間には「いいだろう」と答えた。
ここが信長と信友の違いである。
「殿！ 良いんですか？」
利家は信長の真意が分からなかったので訊ねると、彼は「前々から清洲城が手中に入ったら、移動しようと思っていた」と言う。
「むしろ、叔父上が那古野城に入ってくれれば、守りが万全となる」
「ならばそのように。わしは帰って清洲城入城の仕度をいたす」
信光が足早に帰っていくと「利家、成政。お前たちにも手伝ってもらう」と信長は言う。
「可成も兵に紛れさすか。お前たちと馬廻り衆ならば清洲城は落ちる」
「かしこまりました」
二人が下がろうとする前に「成政、少し残れ」と待ったをかけられた。
利家は不思議そうな顔をしたが、何も言わず後にした。
「成政。お前に頼みたいことがある」
「……信光様のことですね」
信長は「はは。先を読むようになったな」と手放しに褒めた。
「叔父上が那古野城を手に入れれば、勢力が大きくなる。もしかすると俺の隙を狙って攻撃してくるかもしれん」
「……そういえば、坂井孫八郎という信光様の家臣が、奥方の北の方と通じていると噂があります」
成政は未来の知識で信光の末路を知っていた。
それを利用することに、何のためらいもなかった。
「なるほどな。お前に任せても良いか？」
「ええ。まったく問題ございません」
その後、信光に随行して清洲城に入城する前に、成政は坂井孫八郎と接触することに成功する。
先手を打つことは勝利への布石である。
成政は美濃のまむしから学んだことを活かしていた。
信長はこの同盟に焦りを感じていた。背後の憂いのない今川家が、上洛を目指して西上することは自明である。いち早く尾張国を統一しなければ対抗できない。
無論、敵の織田信友の軍門に降り、一家臣として統一を進める未来もあっただろう。
しかし先の戦、村木砦の攻略の際に好機であるのにも関わらず、信長の居城である那古野城を攻めなかった。これは明らかな愚行だった。せっかく今川家を引き込んでまで信長の力を半減させたのに。
だから信友は上役ではあるが、仕えるに値しない男だと信長は断じた。そうでなくとも父の心労を増やし、若くして死なせた者という思いがある。必ず倒さねばならないと心に誓っていた。
そんな折、信長に書状が届いた。
織田弾正忠家の家老、佐久間信盛からだった。
「何？ 叔父上が不審な動きを見せていると？」
佐久間は信長の幼少から仕えている古参の家臣である。そんな彼の顔は広く、様々な噂が彼の元に来ていた。
信長は佐久間のことを評価しており、平手政秀の死後、筆頭家老に据えている。
「……叔父上が何故か、俺に会見を申し込んでいる。それと関係しているのか？」
その叔父上とは織田信光のことだった。
先代当主、信秀の弟であり守山城の城主。様々な戦いで信長に援軍を送り、影ながら助けていた。
彼に関しては、信長は腹黒い叔父という認識だ。野心はあるが、まだその機ではないと見計らっているふしがあった。
「さて。これに関してお前たちどう思う？」
以上の仔細を家臣たちに告げた信長。
この場にいるのは、池田恒興、丹羽長秀、森可成、そして利家と成政だった。
重要な評議に二人が立ち会えたのは、出世をしたからである。彼らは先の村木砦の活躍で足軽大将に抜擢されていた。
「その不審な動きとは、信友との接触ですか？」
丹羽の問いに信長は頷いた。
もしも信友と叔父の信光が手を結んだら脅威だ。
「俺は信光様が今更、信友と手を結ぶとは思えません」
可成がはっきりと否定した。
それを受けて「しかし、条件次第では向こうに着くかもしれませんよ」と恒興が慎重に言う。
「たとえば、殿を討ち取った後、那古野城を渡すとか」
「空手形で味方に着くほど、浅はかなお人ではないでしょう」
恒興と可成が言い合っていると、成政が「殿が知りたいことはそこではありませんよ」と割って入った。
「信光様が寝返っているかどうか、そして会見を受け入れて良いのかどうか、です」
「成政よお。そんなもん会うしかねえだろ」
あっさりと言った利家に成政は怪訝な表情で「その心は？」と訊ねた。
「寝返りを確かめるには会うしかねえ。直接訊くんだよ」
「それで、『寝返る』と言う者はいないだろう」
「でも、佐久間様ですら詳細を調べられなかったんだろ？ だったらこれ以上調べようがねえ。だから会うしかねえんだ」
「しかし……」
「ひょっとしたら信光様が独自に計略をして、それを佐久間様が不審と捉えたのかもしれないしな」
利家にしては理に適っていそうな言葉だった。
すると丹羽が「もしそこで寝返りが判明したら？」と疑問を投げかける。
「そしたら信光様を捕らえるなりなんなりすればいいですよ」
「大雑把だな。私としてはなるべく、真偽がはっきりした状態のほうが対策を打ちやすいが」
丹羽が腕組みをして考え始める。
すると信長は「利家の言うことはもっともだ」と言う。
家臣一同は姿勢を正して信長の言葉を待つ。
「信盛ももう少し、詳細が分かった上で報告してほしかったが。まあいい、とにかく叔父上との会見は受ける。利家と成政、お前たちも同席しろ。もし、寝返りを叔父上が考えていたら――分かっているな？」
二人はやや緊張の面持ちで頷いた。
自分たちの行動如何では信光の家臣や兵との戦になる。
「それでは今日は解散だ。叔父上は二日後に那古野城に来る。皆、備えておけ」
「ははっ！」
全員の声に信長は最後に言う。
「まあ、叔父上のことだ。あっさりと裏切りのことは言わん。長い時間を費やして説得を試みよう」
◆◇◆◇
「信友から寝返りの打診？ ああ、来ているぞ。一応、了承しておいた」
「……はあ？」
二日後、那古野城。
叔父の信光は甥の信長の問いにあっさりと答えた。
何の悪気も無く、自ら寝返りを告白した彼に、信長も利家も成政も唖然として物が言えなかった。
「なんだ。それが聞きたくて会見を受け入れたのではないのか？」
「い、いや、そのとおりなんだが……」
「安心しろ。寝返ると信友に言ったが、本当に寝返るわけではない」
その言葉に「どういうことですか？」と利家は訊いてしまった。
信光は「勢いもなく、家臣も離反した信友に着く気はない」と言った。
「あんな時勢が見えない、頭の足らん愚か者に協力などできんよ」
「……つまり、偽りの寝返りというわけですか」
成政の答えに「まさしくそうだ」と実に悪そうに笑った信光。
「信友が出した条件は、まずわしを守護代に格上げすること。そしてもう一つは清洲城に兵を入れて一緒に住むことだった」
「守護代は分かるが、一緒に住む？ ……安易な兵力増強にしか思えんが」
信長はやや呆れていた。守護代とは思えない、必死さが見えた。
信光は「それくらい焦っているのだろう」と笑った。
「お前たちの勢いと成り上がろうとする気概にな」
「……それで、叔父上はどうするつもりだ？ 計画を話したということは、俺に協力するんだろう？」
「ああ、そのとおりだ。わしはお前に着く」
信光はにやにや笑いながら「策はこうだ」と説明し出した。
「わしは条件どおり、清洲城に入城する。その際、わしの下男にお前の兵を紛れ込ませる」
「……つまり、簡単に城内に入り込めるというわけだな」
「後は信友を討てば、清洲城は手に入る」
信長は好機と思ったが、信光が何か企んでいるとも分かった。
だから「それで、叔父上は何を望む？」と問う。
「ただで叔父上が協力するわけがないな」
「ふふふ。清洲城が手に入ったら、この城をわしにくれ」
この城とは信長たちが今いる城、那古野城のことである。
信長は眉をひそめたが、次の瞬間には「いいだろう」と答えた。
ここが信長と信友の違いである。
「殿！ 良いんですか？」
利家は信長の真意が分からなかったので訊ねると、彼は「前々から清洲城が手中に入ったら、移動しようと思っていた」と言う。
「むしろ、叔父上が那古野城に入ってくれれば、守りが万全となる」
「ならばそのように。わしは帰って清洲城入城の仕度をいたす」
信光が足早に帰っていくと「利家、成政。お前たちにも手伝ってもらう」と信長は言う。
「可成も兵に紛れさすか。お前たちと馬廻り衆ならば清洲城は落ちる」
「かしこまりました」
二人が下がろうとする前に「成政、少し残れ」と待ったをかけられた。
利家は不思議そうな顔をしたが、何も言わず後にした。
「成政。お前に頼みたいことがある」
「……信光様のことですね」
信長は「はは。先を読むようになったな」と手放しに褒めた。
「叔父上が那古野城を手に入れれば、勢力が大きくなる。もしかすると俺の隙を狙って攻撃してくるかもしれん」
「……そういえば、坂井孫八郎という信光様の家臣が、奥方の北の方と通じていると噂があります」
成政は未来の知識で信光の末路を知っていた。
それを利用することに、何のためらいもなかった。
「なるほどな。お前に任せても良いか？」
「ええ。まったく問題ございません」
その後、信光に随行して清洲城に入城する前に、成政は坂井孫八郎と接触することに成功する。
先手を打つことは勝利への布石である。
成政は美濃のまむしから学んだことを活かしていた。
