第150話友情に乾杯

文字数 3,100文字

 久方ぶりの戦のない日――戦と戦の間の休息と言えばいいだろうか――利家は兄と慕う森可成の屋敷を訪れていた。理由は可成が城主である宇佐山城から美濃国へ一時戻ってきたからだ。顔でも見に行こうと思い、手土産の酒瓶を持っていく。

 屋敷の門を通ると可成が少年相手に槍の稽古をしていた。
 利家は懐かしい思いで一杯になった。彼もまた可成の指導を受けていたからだ。

「よう。可成の兄い。元気そうだな」
「おや。利家ですか。ご無沙汰しております」

 少年の槍を巻き込むように引き寄せて奪う可成。
 すると少年――随分と狂暴そうな顔をしている――が「ずりぃよ、親父!」と喚いた。

「そんな技、教えてもらってねえぞ!」
「あはは。勝蔵、今度教えてあげますから」

 文句を言う少年は勝蔵というらしい。
 可成はにっこりと微笑みながら少年の頭を撫でた。

「稽古はここまで。ゆっくりと休みなさい」
「……けっ。外で遊んでくらあ」

 ぶーぶー文句を言いつつ、勝蔵は利家を睨みつけて、外へ去っていく。
 本当に話に聞いていた可成の息子なのかと利家は疑ってしまった。

「案外、自由奔放に育てているんだな」
「利家にも息子がいるでしょう。だから分かりますよね? 男の子は手がかかるって」
「いや。犬千代は誰に似たのか分からねえほど素直で良い子だぜ。多分、まつの血筋だろうな」

 そんな会話をしつつ二人は屋敷の中に入っていった。
 侍女から出された茶を飲みつつ「ところで、何の用ですか?」と可成が訊ねる。

「酒でも一緒に飲もうと思ってな」
「奇遇ですね。俺も利家と飲みたいなと思っていましたよ」
「なら飲もうぜ。かなり上等な酒が手に入ったんだ」

 盃を持ってこさせた後、二人はかつんと自然に合わせた。
 ぐいっと飲んだ可成は「尾張国の酒ですね」と頷いた。

「流石だぜ、可成の兄い」
「散々飲みましたからね。岐阜城に移動する前は」
「美濃国や京の酒も悪くねえけど、やっぱり肌に合った酒はこれだな」

 ふいに懐かしくなった可成は「思い起こせば昔のように感じられます」と笑った。

「殿がまだ家督を継いでいないときからの付き合いですよね、俺たちは」
「そうだな。初めはこてんぱんにされちまった」
「あのときは、成政もいましたね……」
「あの野郎、徳川家で元気にやってるらしいぜ。昔から口先だけは上手かったからな」
「そうは言うものの、成政のこと好きなんでしょう?」
「やめてくれよ。別に好きでも仲良しでもねえ」

 苦笑いする利家。
 ゆったりと流れる時間と空間。
 二人は同じように居心地が良かった。

「昔から張り合っていましたよね。利家と成政は。それが今や袂を分かつなんて」
「さっきも言ったけど、仲良しこよしってわけじゃあねえ。それに俺たちはこのくらいの距離のほうがちょうどいいんだ」
「ふふふ。そういうことにしておきましょうか」
「なんだ。含みがありそうな感じだな」
「分かりますか? 俺としては昔に戻ってほしい気持ちがあるのですよ」
「無理だな。あいつは徳川家家老だし」

 少し沈黙が流れると、可成はおもむろに「実は頼みがあるんですよ」と懐から書状を出した。
 利家は差し出されたものを受け取る。

「なんだこれ?」
「さっきいた勝蔵。あれは跡継ぎです。長男はその……亡くなってしまいましたから」

 金ヶ崎で戦死したことを利家は知っていた。
 だから無言で頷くしかなかった。

「もし、俺の身に何かあったら渡してほしいのです」

 憂いを含んだ横顔を見て、利家はふざけんな自分で渡せという出かけた言葉を飲み込んだ。
 どこか覚悟を決めているような、そんな悲しい目をしていた。
 だから――

「……いいぜ。渡してやるよ」

 尊敬している可成の頼みを軽々ではなく、重みをもって受けた利家。

「やっぱり、あなたは格好いいですね、利家」

 何も聞かず、何も言わずに了承した利家の男気に、可成は目頭が熱くなる思いだった。
 若い頃から戦場に出て、何度も死にそうな場面に遭遇している。
 今まで運良く生き残ってきたけど、何故か胸騒ぎを収まらなかった。
 そんな折、利家がやってきた。まるで彼が出どころを心得ているような気分だった。

 そして可成は確信する。
 自分が死んでも、利家なら勝蔵に何かを教えられる。
 死にざまではなく生きざまを見せてくれるだろう。
 それは自分にはできないことだ。
 利家という男だからできることだ。

「さて。飲み直しますか」
「ああ。今日は盛大に飲もうぜ、可成の兄い」

 二人して盃を高く上げて、一気に飲み干す。
 言葉にしなかったけど、その行為は。
 友情に乾杯しているようだった――


◆◇◆◇


 可成が宇佐山城へ戻った頃、あの男が動き出そうとしていた。
 その男は河内国の野田と福島に砦を築くように、協力関係にある三好三人衆に伝えた。
 そして一万三千の兵を挙げて、京に進攻する動きを見せたのだ。

「はあん。あんたもやるねえ。そこに砦を築くとはなあ」

 その男に話しかけるのは、煌びやかな南蛮風の装いをした男だ。
 口髭を生やしているが、汚らしい印象は受けない。むしろ覇気を感じさせる。
 しっかりとした体格で、歴戦の勇士という風格を備えている。
 見る者に憧れを感じさせる何かを持っていた。
 南蛮風の男は火縄銃を肩に担いでいた。おそらくそれの達人だろう。

「私の目的は信長を倒すこと――ならば手段を選ばない」

 その男の決意を聞いた南蛮風の男は「格好いいねえ」と口笛を吹いた。

「あんたは一流の扇動家だよ。まさか口先で三好三人衆を動かして、しかも『あの人』たちも動かそうってんだから」
「策を練って、それを示せば……人は動くものだ。お前もそうだろう――雑賀孫一」

 雑賀孫一と呼ばれた南蛮風の男。
 軽く笑って「俺は金のために動いただけだ」と嘯く。

「金を支払う限り、俺はあんたの味方さ」
「百戦錬磨の雑賀衆を引き入れられたのは望外の喜びだった。しかし何故、私に協力してくれるんだ?」
「さっきも言ったろう。金さ」
「金だけではあるまい」
「ま、俺にも俺の都合ってのがあるんだよ」

 孫一の不敵な笑みにその男は笑った。
 愉快なものを見たように。

「あんたの策は嵌れば一気に信長を窮地に追いやられる。それに乗ったのも理由だけどな」
「…………」

 その男は砦近くにそびえる、巨大な寺院を見上げた。
 河内国の要所にあり、寡兵では落とすことができない、寺と言うより一個の城だ。
 そこにいる勢力を巻き込むために、男は砦を作らせたのだ。

 信長が自分たちを攻め立てることで戦火が広がる。
 その戦火が寺院にまで広がったら、かの勢力は動かざるを得ない。

「そんで、動くのかねえ。法主様は王法為本とか言って、信長に五千貫も支払ったそうじゃねえか」
「あれは信長に払ったわけではない。天下をまとめるべき足利家に協力している織田家だから払ったのだ」
「つまり、どういうことだ?」
「……足利家が織田家と手切りになればいいのだ」

 その男は遠大な策を講じていた。
 ぴたりと嵌れば信長を打倒できるはずだと考えていた。

「まあよく分からねえけど、あんたの言うことは聞くよ」
「感謝いたす。さて、あの勢力――本願寺はいつ動くか……」

 そう。その男の目的は本願寺を動かすこと。
 門徒が十万人を超える、一向宗を動かすことだった。
 畿内でも大勢力である本願寺を動かせば、信長は間違いなく滅びる。

「織田信長、そして前田利家。いよいよ決着が着くときが来たな」

 その男は二人を倒すことを強く望んでいた。
 だからこその遠大な策だった。

「恐ろしい男だぜ――」

 孫一はにやにや笑いながら言う。

「国を追われた大名、斎藤龍興って男は、確かにマムシの血を引いてやがる――」
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