第78話 猫と特攻隊のおじいさん

文字数 3,157文字

今週は忙しかった。予想以上のお客様に入会していただいた。
これでまた楽しい教室が継続できる。
久しぶりに落ち着いた日曜日を迎えられた。

教室の前に小さめの白い猫がやってきた。私は今まで猫を飼った事がない。
嫌いなわけではないんです。マンション暮らしが長いせいか飼う習慣がないんです。
去年の12月頃からチョコチョコこの白い猫がやってくるようになった。
教室のガラス戸の入口の所で、しばらく中の様子を眺めていきます。
野良猫か飼い猫かは分かりません。迷い猫かも知れません。


1日のうち10回くらいやってきます。朝から晩まで教室の近くにいます。
入り口のところで、ガラス越しに「ニャー」となきます。
私は猫にパソコンは教えません。おとなしく入り口の所で丸くなっています。
ドアを開けるといったん退きます。ドアを閉めると戻ってきて丸くなっています。
招き猫かなと思ってそのままにしています。
この頃私に慣れてきたようです。私が外に出て行くと足に絡んできます。
寝転んで遊びを催促します。私は猫と遊びません。

右目が金で左目が銀。体が真っ白なので「幸運の招き猫」と思っています。
野良猫がこんなに他人に慣つくはずがない。誰かの化身かとも思えます。
今回の予想以上の入会者もこの猫が招いたのかもしれない。
「幸運の招き猫」がいるうちに、色々願い事を実行したいと思います。

私は日曜日でも朝から晩まで教室にいます。
いつ誰が飛び込み入会するか解らないからです。
お菓子を食べたり、映画を見たり、居眠りをしたりできる至福の時間なのです。
夕方6時ごろだった。どっかで見た事のあるおじいさんが教室に入ってきた。
また、この招き猫が招いたのかもしれない。すごい人がやってきました。

「山本です。覚えていますか」
2年前にパソコンを習いたいと言っていた84歳のおじいさんだった。
確か特攻隊の生き残りだと言っていた。


教室へ来たあと、体の調子が悪くなったようです。しばらく姿を見せませんでした。
脳梗塞を患い病院へ入院したと家の方から連絡がありました。
左の脳梗塞で半身麻痺になり、右の脳梗塞で口が聞けなくなったそうです。
それから、2年間の治療とリハビリで何とか立ち直ったようです。
まだ満足な体じゃないようでした。
医者から、おじいさんのその生命力が信じられないと言われたそうです。

おじいさんは、靖国神社の英霊が守ってくれていると言っていました。
一度は国に奉げた命。毎日が執行猶予の気持で生きているといっていました。
ドラマのような人生です。いつも黒い軍用トラックのような車で教室に来ます。

しばらくぶりに教室に来ました。またパソコンを始めたいと言う。
おじいさんは、特攻隊の頃から始まって今日までの事を2時間ほど語ってくれた。
日曜日でこれと言った用事もなかったので、ずっと相槌を打ちながら聞いていた。
小卒で大工見習いとして働き、17歳の時、独学で大検の資格をとったそうです。
その後特攻隊へ志願し、霞ケ浦の海軍飛行予科練習生で訓練を受けていたようです。
その訓練中に終戦になったと言っていた。いつでも死ぬ覚悟で臨んでいたそうです。

 特攻隊から生き残って帰ってきた後も大工として働きながら日大の夜間で学び
その後土建会社を立ち上げたようです。すごい人生だと思いました。
今でも土建会社の会長として経営している。
その時名刺を頂いた。財布には18歳の時の特攻隊の時の写真が入っていた。
「パソコンくらい知らなければ死んでも死に切れない!」
特攻隊の精神がいまだに生きているのです。来週から来ることになりました。
脳梗塞で指がまともに動かない。マウスがしっかり握れないようでした。
自分とは比較にならない、信じられないような人が来週からやってきます。

姿勢を正して真面目に教えます。ダジャレや冗談は通じないと思う。
国に命を奉げた特攻隊の生き残りの方に講習料金を請求しづらいな。
特攻隊のおじいさんは、6時に仕事が終わってから教室に来る。
特攻隊のおじいさんは、黒い小型トラックに乗ってやって来る。
特攻隊のおじいさんは、夜の7時から1時間学習して帰っていく。

教室に居ついた白い猫はいつも入り口に座っている。
白い猫は人が来ると少し横に移動して場所を開ける。
白い猫はお客様が出ていく時もちょっと横へ移動する。

おじいさんは、白い猫の頭を何回か撫でてから教室に入ってくる。
「あんたんとこの猫かい?」
「いえ、3ヶ月位前から、朝から晩まで入口に座っているんですよ」
「あんた、これからなんかいい事あるよ、これ招き猫だよ」
「特に餌はやってないんですけどね」
「猫は人のいい人間がわかるんだよ」
「そんなもんなんですかね」

特攻隊のおじいさんは、1回に1ページくらいしか進まない。
それでも面白そうにキーボードを叩く。
特攻隊のおじいさんは右手が不自由でマウスがうまく握れない。
前回から左手でマウスを持つようにした。それから少しは動きがよくなった。

足も不自由なようで、車を降りて杖を頼りに歩いている。
それでも1週間に2回のパソコン学習が楽しそうだ。
特攻隊のおじいさんは、うまくしゃべれない。
右と左の脳梗塞の後遺症が残っていると言っていた。
それでも大きな声で昔の話を聞かせてくれる。

パソコン学習が終わると昔の話を聞かせてくれる。
特攻隊にいた時の生活、練習した小型の戦闘機、上官や仲間の事など話してくれた。
私はそれに合わせて、ネットで画像を検索し画面にその映像を出してみせる。
びっくりして、懐かしそうに昔を思い出しながら画面を眺めていた。
「じゃあ、赤トンボっていう飛行機出してくれる」
「ちょっと待ってください。はい、これでしょう」
「そうそうこれこれ、これで練習していたんだよ。パソコンてすごいなあ」
「文字が打てるようになれば山本さんもできますよ」
「あんた、昔の特攻隊の時の上官とよく似ているよ」
「特攻隊の時の上官ですか?」
「うん、優しく教えてくれる上官が一人いたんだよ」
入り口のガラス戸の外では白い猫が二人の様子を眺めている。

ある日、特攻隊のおじいさんは奥さんの運転で教室にやってきた。
教室に来るのが7回目の時だった。手には新しいパソコンを持っている。
教室の入り口で白い猫を撫でていた。なかなか中に入ってこない。
「どうしたんですか?」
「ちょっと体の調子が悪くてしばらく来られそうにないよ」
「調子の悪い時は、電話連絡でもよかったんですよ」
「どうしてもあんたに会いたくて。ばあさんに連れてきてもらったんだよ」
「あ、新しいパソコン買ったんですか?」
「うん、この間先生に教えてもらった機種を買ったんだよ」
「少しやっていきますか?」
「う~ん、やっぱり今日は調子が悪くてできそうにないな」
「また、調子がいい時にやりましょうか」
「うん、じゃあ今日はキャンセルになるけど、先生本当に悪いな」
「いいですよ、気にしなくて、また調子のいい時来て下さい」

小型トラックの中から年老いた奥さんが心配そうに見ていた。
特攻隊のおじいさんは辛そうにトラックに帰って行った。
おばあさんは何回も何回も運転席から私に頭を下げていた。
私もその同じ回数をおばあさんに頭を下げた。
白い猫はトラックが去るまでおじいさんの事をずっと見ていた。

あれからもう2週間経った。特攻隊のおじいさんから予約の連絡がない。
夜9時になると教室のシャッターを閉める。
白い猫は私の顔を見てニャーと泣いて、闇の中へ消えていく。
猫の向かう闇の方向を見ていると特攻のおじいさんの顔が浮かんでくる。

あれから1ケ月過ぎたが、特攻のおじいさんは現れなかった。
この教室で色々な人と出会う。一人一人の人の思い出が積み重ねられていく。
私はこの小さな教室の中から色々な人の人生を垣間見ている。
運命ともいえるこの教室で、色々な人のおかげで生かされている。
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