第1話 リストラの嵐の中から!

文字数 4,592文字



1999年はリストラの嵐が吹き荒れていた。
中高年、特に団塊の世代にとっては受難の時代がやって来ていた。
会社から50歳以上の社員の希望退職を募る方針が出された。
団塊の世代の私はもうすぐ50歳になる。団塊の世代の終焉だった。
私は開発事業部の課長をしていた。仕事は新商品の開発と新規市場の開拓だった。
同族会社で年功序列型の会社だ。部長昇進も目の前に見えていた。
誰がリストラされるのかの噂で、社内は不安に満ち溢れていた。

1999年 11月1日
上司から「50歳以上の社員の早期希望退職者募集」の発表を事前に知らされた。
すでに200名が候補としてリストアップされ、其々意思を打診されていると言う。
会社の規模からすれば、かなり思い切ったリストラだ。会社も苦しいのだろう。
団塊の世代の殆どが役職についている。部下のいない名目だけの課長が多い。
課長心得、課長補佐、課長代理、副課長、正課長。会社組織図が複雑になっている。
業績も悪化し人件費が経営を圧迫している。このままだと倒産もあるかも知れない。
いつかは来ると思っていた。私も今年で終わりかと思うと底しれない不安を感じた。
すでに覚悟は決めていた。まだ退職金が出るうちにという思いも浮かんでくる。

大前田常務に促され、役員室に同行した。いよいよ判決が下る。
「噂で知っていると思うが、来週にも希望退職者募集の発表があるんだよ」
「はい、やっぱり私もリストアップされているんですか」
「早川課長は、確か11月24日で50歳になるんだったよなあ」
「はいそうです。返事はいつまでですか。どっちみち断る事はできないんでしょう」
「そう話を急ぐな。早川君は退職願いを出さないようにしてくれ」
「ええ、どういうことですか」
「商品開発事業部と新規開拓事業部を縮小統合し、新しい事業部を考えているんだ」
「えっ!まさか、私は残れるんですか」
「その統括開発部の部長として残ってもらいたいんだ。仕事は今までのままでいい」
新しい事業部の責任者として、今の業務を継続してもらいたいという話だった。
今までの商品開発関連の事情に詳しい人間が一人必要だと言う。

嬉しい話だがすぐに返事をしなかった。すでに終わったと思っていた会社人生だ。
部長として60歳の定年までいられたとしても所詮はサラリーマン。
私にあるのはファイトだけ。何の資格も技術も持っていない。
定年があと10年延びても、その先は自分だけの力では生きていく事は出来ない。
会社人間という何の力もない半端な人間で定年を迎えてしまう。
60歳となれば、社会では老人の部類に選別され、再就職は極端に条件が悪くなる。

60歳からの残された人生は、どう生きていけばいいのだろう。
もう50歳か。新しい生き方を考えるにはいい時期だ。
まだ気力はある。考えてみれば今こそチャンスが来たのかもしれない。
よく考えてみよう。今なら新しい人生に挑戦する力が残っている。

希望退職の条件は通常退職金に、500万円の特別退職金が加算される。
さらに再就職支度金として70万円の条件が出されている。
こんなチャンスは2度とないだろう。住宅ローンの残金570万円が頭をよぎった。
人生80年として会社に勤めてほぼ30年。
この勤続年数とほぼ同じ30年の人生が残されている。
来年は西暦2000年を迎える。自ら新しい人生を造るべきだと思った。
自分の未来を新しく作っていくためには切りのいい年である。
一人の人間として一からやり直してみようと決心した。

1999年11月24日の誕生日に「退職願い」を提出した。
過去一度も使った事ない有給休暇を使い、1か月後の12月24日を「退職日」と決めた。
大前田常務は驚いた。まさか私が希望退職に応じるとは想像していなかったようだ。
同じ大学を出て、たった3つ違いで常務取締役と平課長。この差は自分でも気が付いていた。
「お前は協調性がないんだよ」といつも馬鹿にされていた。同族会社は協調性が基本なのだ。

すぐに役員室に呼ばれて大前田常務から引き止められた。
「どうしたんだよ、あんないい条件出したのに。もう一度考え直してみないか」
「ええ、まあ一度決めた事ですから」
「理解できないな。どこへ勤めたって今の収入はないぞ」
「それはそうですけど。残ってもあと10年でしょ」
「自分の意思でやめるなら、通常退職金だけで特別退職金は出さないぞ」
「希望退職の応募ですよ。それは脅しですか」
「ここまでやってきて、敵前逃亡じゃないか」
「誰でも代わりがいると思いますよ。じゃあ、もう少しだけ考えてみます」
「こんな話は2度とないぞ、社長にも了解をもらってるんだよ」
「ありがたいんですが、2~3日時間を下さい」
「考える必要ないだろう。本当にお前は馬鹿なのか利巧なのかわからい奴だな」
「ええ、でも最後は私の人生ですから、少し考えさせて下さい」
乗り切らなければならない最初の壁が目の前に現れた。
大きな一生の決断をこの何日かできめなければならない。

断る理由がはっきりしないまま、決心した通り希望退職に応募した。
がむしゃらに、時間も惜しまず、夢中になって会社に尽くした30年間だった。
特に知識や技術がなくても働けた。会社とともに人生があった。
残ったものはローンの残金と暴飲暴食の結果の肥満だけだった。

1999年12月24日。私物を紙袋に詰め会社を後にした。誰の見送りもない。
50歳でリストラ退職だ。定年退職のような送別会はなかった。寂しい別れだった。
「会社都合」で退職すればすぐに10ヶ月間の失業給付が出る。自らそれを望んだ。
1ヶ月30万円程の金額が支給されるので、しばらく生活に支障はない。
これから1年かけて心身ともに充電し、新しい人生を決めるつもりだ。
今までの人生をリセットしたい。膨れに膨れた85kgの体もなんとかしたい。

退職はしたものの、これから先どうする。普通に生きればあと30年もある。
ここまで運命を共にした妻子と、この先どうすればいいかわからなかった。
リストラは妻子の運命まで路頭にさらす。夫の困惑は妻子には何十倍の不安となる。
この先の生き方を探した。頼れる人はいなかった。特にあてにできる仕事もない。

出勤のない日は落ち着ける場所がない。公園に1日いるのはいかにも侘しい。
自宅に1日いるのは耐えられない。思いついたのが近くの図書館に行く事だった。
図書館なら出勤の気持ちで行ける。情報収集を仕事と考えればいい。
朝10時には図書館に行く。出勤みたいにして行くと気持ちが落ち着いた。
何の責任感もないので時々居眠りもできる。咎める上司はいない。
なにか違和感がある。人の目も気になる。新聞を見る。雑誌を見る。週刊誌を見る。
働いていないのは自分だけなのか。社会から取り残されたような気分になってくる。


ある日、小説のコーナーで瀧泰三の「命蘇る」という本に出合った。
断食修業の内容が書かれていた。これなら何かが変わるという好奇心が湧いてきた。
生まれ変わってみたかった。人生を一からやり直したかった。
自分もやってみようと決心した。これからの人生を考えるのはそれからだ。
もしも死ぬようなことがあれば、それはやむを得ないという心境だった。
奈良県信貴山にあるの断食道場での、30日間の修業を申し込んだ。
人生を考えるきっかけが欲しかった。誰にも邪魔されない一人の環境が欲しかった。

断食道場の環境は新しい人生のための修行の場だった。
食べる事も気にせず、眠る事も気にせず、全ての時間を思考と学習に充てる事ができた。
しかも人間関係も必要なかった。誰とも利害関係がないのでストレスもなかった。
近くに図書館もあった。心安らぐ斑鳩の里もあった。大和三山は心が落ち着いた。
朝護孫子寺の大般若経の合唱に癒された。人間の精神面の姿を知ることができた。
新しい人生を考えるにはすべての条件が揃っていた。見えない力があるとしか思えない。
断食道場に来た大きな目的は体重を減らす事だったが。その目標は達成できた。
それよりももっと収穫があったのは、自我を抑えられる事に気が付いた。
欲がなければ大概のことは我慢できる。私にとっては「断欲道場」だった。
この修行を思いついたのは運命のような気がする。見えない力は心の中にある。

社会に帰っても1日に最低1時間は「考える」時間を作る。これだけは実行しよう。
「考える」習慣が長い間に人間の成長に大きな差ができる。怠らないことだ。
神様や仏様にお願いしても自分の努力なしで願いは叶わない。
願う事によって、決意が心の中に埋め込まれ無意識に目標に向かっていく。
願いが叶うまで継続して実行すればたいがいの願いは叶う。

予定通り30日間の断食修業は終わった・・・・・・。
脂肪で膨れすぎた肉体のリセットもこれで完了させた。
気持ちも生まれ変わったようにリフレッシュできた。

8年前に本庄市に購入した建売住宅のローン残金は特別退職金で完済した。
会社の積立預金、生命保険等もすべて解約した。自社株も会社に買ってもらった。
全て振り出しににして。かっこよく第2の人生をスタートしたかった。
すべてはリセットできないが出来る限り裸に近い形にしたかった。
「裸一貫」は魅力的な言葉だった。

会社勤めはもう辞めよう。社畜の人生はここで終了だ。
会社の中の役職や人間関係なんて、世間には通用しないのはみんな分かっている。
60歳の定年で退職しても、何の生き甲斐のない年金暮らしが待っているだけだ。
そんな人生が見えているのに、このチャンスを生かさない手はないと考えたのだ。
50歳ならまだいける。元気のあるうちに次の人生の基盤を作っておきたい。
これからが本当の人間としての自分の姿が現れてくる。

夫婦と子供一人家族3人の平凡なサラリーマンの家庭だった。
私は今年の誕生日で50才になった。妻は47才。娘は23歳の会社員。
妻子には自分を信頼して一生ついてくるようにお願いするしかない。
新しい人生をスタートするには働かなくてはならない。
本庄の建売住宅を売りに出し、活動しやすい桶川駅の近くにマンションを買った。
桶川のマンション購入資金は、本庄の自宅の売却金と退職金をほぼ全額使った。
これでまた裸同然になった。


さしあたって何をやろうか考えたが特にこれといった特技がない。
何か手に職をつけたい。ハローワークで職業訓練生を色々募集している。
これからどんな職業につこうとパソコンは欠かせない時代になる。
あまり得意な分野ではないが少しは先の事を考えてみた。
職業訓練のメニューの中から「パソコン中級講座」を選択し申し込んだ。
パソコン中級講座に申込んだのは以前の会社の時にパソコンの講習会があった。
2泊3日の講習会だった。多少の経験があるので大丈夫だろうと申し込んだのだ。
50歳の元課長のプライドもあった。初級じゃ資格を取ってもかっこ悪い。
その気になって夢中になってやれば何とかなるだろうと軽く考えていた。
無料の職業訓練なので、物にならなくてもいいという軽い気持ちだった。
パソコンは一番苦手だった。手で書いたほうが速いので実務では使っていなかった。
必要な時は操作のできる事務員にお願いすればそれで事がすんでいた。
中高年の私にはいかにも煩わしそうなものだった。

2000年1月5日からパソコン専門学校で職業訓練を受けることが決まった。
これが今の職業につながるとは夢にも思っていなかった。
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