第54話 パソコン教室は水商売

文字数 1,979文字

2002年 10月
開校から1年を過ぎた。少しずつ近隣に知られるようになった。
うわさを聞いて色んな人がやって来るようになった。
看板どおり年配の人しか入ってこない。
教室に入ってくると同じような年代の人がやっているので安心している。
初めてパソコンに触る人はそれでも不安を持っている。
その不安を取り除く。
「一人ひとり別々に教えていますから、自分のペースでいいですよ」
「一応予約制になっていますが、都合の悪い時はいつでも取り消せますからね」
「教室のパソコンは壊してもいいから、思い切り操作してください」
「まず10回やってみて、それで終わりでもいいですよ」
「面白ければ継続すればいいんです」
「まず、どんなものか体験してみましょうよ。面白いですよ」

大体この言葉でみんな決心する。教室に来る人は決心して来る。
それでも不安はいっぱいだ。その不安を取り除きその決心を後押ししてあげる。
小さな教室なので私は営業も兼ねている。
入会を決心してもらう時の殺し文句のような言葉が身についた。

教室の壁にかけてある出来上がりの見本を見てもらう。
「こういうものまで、できるようになるんですよ」
「ここまでできなくてもいいんですが・・・・」
「できるようになりますよ、大船に乗ったつもりで任して下さい」
「宜しくお願いします」
「それでは、次回はいつに来られますか」
相手に時間を決めてもらう。これが決心になる。
テ-ブルの上においてある予約表に名前を書いてもらう。
だいたいこれで足取り軽く安心して帰っていく。
本人にとっては大きな壁を乗り越えたのだ。

色々な職業の人がやってくる。学習終了後の夢を持たせるようにする。
小さな教室なので私は講師と雑用係と営業もかねている。

クリーニング屋さんには。
「できるようになったら値段表や店に飾るポップを作ってみましょう!」
駅前の果物屋のご主人には。
「お店に飾るポスターなんかもできるようになりますよ」


学校の先生には。
「学級通信や電話連絡網なんか作れますよ!」
パン屋さんの奥さんには。
「おいしそうなパンのイラストを作って店に飾れますよ」
不動産屋さんには。
「案内書や地図なんかもできるようになりますよ!」
水道工事屋さんには
「見取り図や見積書なんかもできるようになりますよ!」
仕事をしていない年配の方には。
「お孫さんとメールのやり取りなんかどうですか」
メールだけはなんとかできますという奥さんには
「メールに動くイラストや写真や音楽も入れられますよ」
これといった目的のない人には。
「頭と手を使うから、ボケ防止にいいですよ」
みんな頭の中に夢を描いていく。
パソコンができるようになった後の姿を想像する。
年配になると覚えが悪くなるし物忘れも多くなっていく。
それも年齢に相応しているのだから無理もない事なのだ。

何回か基本操作を練習した後は練習問題に入る。
「あれ、ここやりましたっけ?」
「どこですか」
「この文字を24ポイントにして、中央揃えってやつ?」
「ああこれですね。前のページに書いてあるんですが」
「まだそこ、習ってないよね・・・・?」
「ああ、私がそこ抜かしちゃったみたいですね・・・」
「そうだよね・・・やってないよね」
「すいませんちょっと戻りますね」
又安心して学習する。

予約の時間に来ない人も多い。班長さんなんかその常連だ。
「班長さん、この間は忙しかったでしょう」
「えぇ?いつのこと?」
「おとといの、金曜日の1時ごろ」
「ああ、女房と上尾まで買い物に行った時かな。なんで・・・?」
予約したこと自体を忘れている。
班長さんが帰りがけに次の予約を入れていく。
「あれ、おととい1時から予約がしてあったんだっけ?」
気がついたようだ。
「すっかり予約していたことを忘れていたよ。悪かったね。えへへへへ」
「いいですよ、気にしなくったって」

そういう私も歯医者の予約を忘れてしまうこともある。
「今度の日曜日、5時に予約取れますか」
「今度の日曜日は3時に入っていますよ」
ああ、すっかり忘れていた。

予約を取り消しても気持ちの負担を感じさせない。
直前の予約の取り消しで申し訳なさそうに電話をかけてくる人もいる。
「いいんですよ気にしなくて、予約をした事を忘れた人もいるんですから」
これで相手が笑って安心する。

雨の日、風の日、寒い日、暑い日。予約の変更は予約の取り消しが多くなる。
来る人が少なくなる。教室は暇になる。天候に左右される職業だ。
天候に左右され、景気に左右され、生徒の気持ちに左右される不安定な職業だ。

なんだか水商売みたいになってきた。
そうだ、パソコン教室は水商売なんだ。
そして私はホストになって世話をする。
お客様が気楽な気持ちで学習できて、それで楽しく癒されて帰っていく。

何でもありのそんな教室を目指そう。
これからはホストの気持ちで来る人に接してみよう。
この思いがこれまで20年間も生き残れる原点になった。
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