第70話 自分の心も体も変身する

文字数 2,023文字

初対面の人から「人の良さそうな顔をしていますね」とよく言われる。
よく言われるといってもたいした人数ではない。善人顔らしい。
自信はないがその顔写真も小さく掲載した。
顔で人は判断できないがこれも利用する事にした。
顔を見てがっかりしてその場で帰ってしまわれるよりいい。
それを承知で来るわけだから顔で判断されたくない。

30年以上も昔になるが卒業論文に「万葉の世界、大和三山の周辺」を提出した。


ゼミの教授に何回提出しても戻された。
「もう少し見直しなさい。これでは卒業させられない」
「どんな所でしょか」
「よく自分で考えてみなさい」
「わかりません」
「ではいいましょう。あなたは誤字脱字が多すぎる」
この教授は辞書の編者で金田一 春彦という日本でも有名な国語学者だった。
「どうしても卒業したいなら、一つ条件を出します」
「なんでしょうか」
「就職の履歴書以外にはこの大学を出た事を人に言わないことです」
「わかりました。学歴で生きようとは思いません」
「私が書いたこの辞書を上げます。いつも傍らに置くようにして下さい」

生意気な事を言ってしまった。馬鹿だったな。たいした人間ではないのにな。
あんなに偉い先生に生意気な事を言ってしまった。
生きていればをとっくに100歳を超えている。もう時効にして下さい。
今まで30年以上この約束を守ってきた。
ほんとに心苦しいがこの学歴をプロフィールの欄に小さく使わせてもらいます。
たいした効果はないと思うがないよりは信用されるだろう。
A4用紙の右下の片隅に3センチ四方の小さな枠を設けた。
そこに私のプロフィールを掲載した。

≪講師プロフィール≫
昭和○○年11月24日生まれ・AB型・射手座
早稲田大学卒業・PCゼミナール○○コース修了
趣味:麻雀・カラオケ・パソコン・ダジャレ

・・・<講師からのメッセージ>
・・・教室のパソコンは壊してもいいですから
・・・安心して操作して下さい。
・・・難しそうでも、聞けば「なるほど」です。
・・・それでもわからない時は
・・・何度でも聞いて下さい。
・・・いつでも笑顔で答えます。


これだけの言葉にするのにどれだけかかったか。
終わってしまえばこんなもんだが、ここにすべての思いが入っている。
あとは学習内容・時間割・料金表・教室の写真や案内図・住所や電話番号
この教室の特長を入れて完成した。
来年1月5日の新聞の朝刊に折込チラシで近隣に2万部配布する。
この日がまた自分の人生の分岐点となる日だろう。
10人入れば、生活が継続できる。
20人入れば、少し楽ができる。
30人入れば、大成功だ。

できた!チラシが完成だ。今晩は缶ビールを1本追加してもらおう。
恐る恐る妻に言ってみた。
「ビールもう1本いい!」
「まだそんな身分じゃないでしょ」
もともと缶ビールは冷蔵庫に1本しか冷やしていない。
私が黙って2本飲んでしまわないようにする為の妻の生活の知恵なんだろう。
苦労かけてるなあ。私の夢と現実の生活はギャップがありすぎる。

9月から始めた自主断食で95kgまでに膨れた体重を75kgまで減量した。
仕事をしながらの減量はかなりきつかった。
教えている時間は夢中で過ごすが、休憩時間には腹が痛い程空腹感を感じる。
食べ物の事で頭の中が一杯になる。3軒隣の食堂からいつもいい匂いがしてくる。
匂いに誘われつい食べたくなってくる。でも食べられない。
そばくらいならいいか?いや、やめとこう。
休憩時間になると食堂と教室の間を行ったり来たり。この休憩時間が一番苦しい。

思い切って休憩時間をやめ1コマ授業時間を増やした。
教室の予約方法は、空いている所に自分で名前を記入する方式だ。
コマを増やせば誰かがそこに予約を入れていく。
腹は減りすぎると食欲がなくなるのは経験済みだ。
恥ずかしい話だがウエストは110cmに膨れていた。。
着るものはイトーヨーカ堂のLLコーナーにしか売っていない。

1日500カロリーを3ヶ月続けた。
何も食べなくても30日は生きられるのは経験済みだ。
死ぬのではないかという不安はない。いかに我慢できるかという事だけだ。
家から教室まで往復5kmを歩いて通った。お風呂には毎日1時間は入り汗を流す。

客商売は外見も大事だ。恰好のいい先生になりたい。
「素敵な先生ね」と恰好だけでもいい。それで何人か入会してくれればいい。
生活のためにはこの体を張ってでも勝負しなければならない。
今まではスーツ姿で教えていた。ちょっと硬すぎるなあとは感じていた。

12月末に予定している忘年会の打ち合わせで久しぶりに寺田が来てくれた。
寺田はたった一人の友人だが、酔った勢いで喧嘩して3ヶ月も来ていなかった。
私のダイエットの結果が体重75kg、ウエスト81cm。この体を見て驚いた。
3ヶ月前に会った時とはまったくの別人になっていたのだ。
寺田の私を見る目が変わった。自分で鏡を見ても別人になったと思えた。
まあるい顔が四角になり目がくっきりと輝いていた。

3か月で心も体も別人に変身できた。
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