第68話 久しぶりの下田さんの助け

文字数 2,012文字

2005年 11月上旬の日曜日
下田さんが遊びに来てくれた。
下田さん大手の通信産業の会社に勤め始めた。
時々メールのやり取りをしているので、この教室の現状はわかっている。
「たまには食事でもしませんか」とメールがきていた。
教室の前に青い小型車が止まった。黒塗りの車から青い小型車に変えたようだ。
ガラス戸をあけて入ってきた。下田さんは自分から言葉をかけることは少ない。
聞かれれば答える性格のおとなしい青年だ。

何でも凝るタイプでギターはプロ級。何年かプロとしての活動をしていた。
私はよく知らないがV6というグループのバックでギターを弾いた事もあるようだ。
手にはジョージアの缶コーヒーを持っている。
以前のロンゲからこざっぱりした短い髪型に変えている。
少しはサラリーマンらしく見えてきた。

「あ、どうも」
「あ、こんにちは」
「お元気そうですね」
「ええ、まあまあやっています」
「今日はおやすみですか」
「ええ・・・」

私は下田さんに対して今でも敬語を使う。
「お休みのところ、わざわざどうも」
「いいえ、パソコンは順調そうですね」
「ええ、簡単な故障は直せるようになりました」
「早川さんは、勉強熱心ですね」
「みんな下田さんの真似をしているだけですよ」
下田さんはグルリと教室の中を見渡した。テーブルの上の予約一覧表を眺めている。
予約一覧表は殆どがら空き状態だ。常連の人の名前がポツリポツリと目立っている。

「あんまり生徒がいないようですね」
「ええ、一時やめようかと思ったんですよ」
「そうですか、そんな悪いんですか」
「このところ急に少なくなったんです」
「でも、よく6年やってきましたよね」
「ええ、やっとですよ」
「僕の知っている限りでは、6年ももったパソコン教室は見た事ないですよ」
「そうなんですか?」
「みんな2~3年で廃業していますね」
「ああ、そんなもんなんですか」
「早川さんはよくやっているなと思っていたんです」
「今は、チラシを入れても殆ど反応がないんです」
「パソコンは誰でもできますからね」
「そうなんですよね」
「洗濯機を買って、洗濯機教室へ行こうという人がいないのと同じですよね」
「・・・・??」
一所懸命私を慰めようとしているが、時々意味がわからない。
下田さんは私をお父さんのように慕ってくれている。

下田さんのお父さんは10年前に亡くなった。私と同じ年だといっていた。
そのお父さんにパソコンとギターを教えてもらったそうだ。
6ヶ月前にはお母さんが病気でなくなった。

もう半年くらい前だったろうか。深夜12時ごろ下田さんからの電話だった。
「早川さん・・」
「どうしたんですか・・・」
「今、病院なんです・・・・」
「何があったんですか・・」
「僕、寂しいんです・・・」
「しっかりして下さい・・・」
「お母さんが倒れたんです・・・・」
「今どこの病院ですか・・・」
「早川さんちの近くの県央病院です。もうお母さんが動かないんです」
「今行きますから待っていて下さい」
その頃下田さんはまだ会社に勤めていなかった。
友人のやっている小さな会社の仕事を手伝っていた。
ホームページ作成の下請け仕事をしていた。
収入はやっと生活できる程度しかないといっていた。
夜中の1時ごろ、家にあるお金をかき集めて封筒に入れた。
チラシ代に払うお金が10万円あった。それも封筒に入れた。

病院までは車で5分とかからない。家族に事情を話し飛んでいった。


薄暗い病院の玄関を入り受付の当直らしい係りの人に聞いた。
「下田っていいますが、病室わかりますか」
「さっき救急車で運ばれてきた人なら2階ですが」
2階に行くと下田さんは真っ暗に近い廊下の長椅子に座っている。
薄暗い夜中の病院の廊下に下田さんの姿が見えた。
肩を落とし頭をたれて座っていた。
「下田さんだいじょうぶですか・・・・・」
「もうだめみたいです」
「ああそうなんですか」
「もう時間の問題だって・・・・」
「妹は・・・」
「まだ連絡取れないんです・・・」

なんの慰めの言葉もかけられず、二人して廊下で頭をたれているだけだった。。
下田さんには、妹がいる。
何年か前に家を出て行って今は浦和のアパートで一人暮らしをしている。
暗い廊下の長椅子で下田さんはうなだれている。
私はその横で肩に手を当てる事くらいしか出来なかった。

1時間くらいそのまま経過した。
「下田さん、いつでも教室に来てください」
「はい、・・・・」
「下田さんは、私の恩人ですよ。いつでも力になります。」
「ええ・・・・」
「じゃあ今夜はこれで帰りますが、いつでも電話してください」
ひざの上に封筒を置いて帰ってきた。それから2日後お母さんは亡くなった。
確か56歳だった。下田さんは独りぼっちになった。
それからは教室に時々来るようになった。
就職の件や生活の件等、今の状況を話してくれた。
人生では先輩なのでパソコン以外なら相談にのってあげられる。
教室に来るとパソコンの不具合も修理してくれた。

人生は無常だ。でも誰にでも訪れる運命だ。

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