第50話 おじいさんのMOUS合格

文字数 1,994文字

2001年 12月
谷川さんが週に2回来るようになった。
ワードの基礎学習から始めた。
教室では学習している方が飽きないように所々に裏技、便利技を取り入れている。
谷川さんに裏技の説明をする。
「それ、私にやらせてください」
目を輝かせて何回もそれをやる。

ある日
谷川さんは将棋3段だというので、将棋のソフトを使って対局してもらった。
将棋ゲームソフトを三段に設定して対局した。
結果はコンピュータの勝ち。谷川さんは悔しがる。
「もう一度お願いします」
「コンピュータは間違えませんから無理ですよ」
「別の手でやって見ますから」
「初段に設定しましょうか」と冷やかしてみた
「ムッ・・・・?」悔しそうだ。
不満そうだが初段でもやってみた。結果は惜しくも谷川さんの負け。
谷川さんは悔しがり、それからコンピュータとは将棋の対戦はしなくなった。
「ほんとに3段ですか・・・?」とからかう。
「去年は地区大会で優勝したんですよ」とむきになってくる。
「1回もコンピュータに勝てないじゃないですか」
「コンピュータにはずるい裏技が効かないんですよ」
「まあ、いいじゃないですか、相手は機械なんですから」
「先生には将棋でも勝てないのか・・・」と嘆く。


コンピュータを私と置き換えているようだ。
谷川さんはテキストを1ページずつしっかりとこなしていく。
家でも復習してくるようでいつも質問から始まる。
「先生、均等割り付けがどうしても家でできないんですが」
「段落記号を入れたでしょう」
「・・・・?」
「この改行マークですよ。文章の最後にある曲がった矢印」
「Enterを押すと出てくるマークですか?」
「そうです。それを入れなければ、均等割り付けが出来ますよ」
私がやってみる。
「あ!それ!それ!やらせてください」
「どうですか?できますか?」
「先生、どうしても段落記号が入ってしまうんですが」
「SHIFTを押しながら、左矢印キー “ ← ” を左に1回押せば外れますよ」
「あ! できた! ありがとうございます」
毎回こんな感じで各ページを丁寧に進んでいく。

40回くらいでワードの基本が終わった。
裏技大好きの谷川さんにあることを話してみた。
「もっと面白い操作がありますよ」
「あそれ、やらせてください」
「マウス(MOUS)と呼ぶんですが」
「・・・・・・?」
「質問と回答形式でいろんな操作が覚えられますよ」
「色々裏技があるんですか?」
「特に裏技というわけじゃないけど、色々な操作が身に付きます」
「師匠もそれをやったんですか?」
「ええ、谷川さんに教えた操作もみんなそこに入っていますよ」
「あ! 師匠それやらせて下さい」
この時から谷川さんは私のことを師匠と呼ぶようになった。
照れくさいがそのままにしておいた。
いよいよその気になってきた。
「ちょっと難しい所があるんで何回も飽きるほどやりましょう」
「ええ!やらせてください」

ここまでくればもう大丈夫。作戦成功。
MOUS模擬試験のテキストを出した。
「ええええ、試験ですか?」
「この問題で、色々面白い操作を学習できますよ」
「私に出来ますか」
「ええ! 大丈夫です」

ワタル君の時と同じように何回も同じ所をやってもらう。
何回も何回もミスがなくなるまでやってもらう。
最初は手も足も出なかったが谷川さんは根性がある。
あきらめずにこつこつと進んでいく。
何回やっても出来ない所がある。
「師匠、ここが何回やっても、×になるんですが」
「その数字を半角で入れて下さい」
「半角と全角で違うんですか?」
「そうです。試験では英数記号は半角(直接)入力が基本です」
回答が○になった。又、例の尊敬の目で見つめる。
週2回それを40回くらい繰り返しただろうか。

年が明け西暦2002年
1月、2月、3月と月日が過ぎた。ちょっと不安だが、何とかなるだろう。
その時、谷川さんは71歳になっていた。
「もう大丈夫です。試験を受けてみましょう」
「・・・大丈夫でしょうか?」
「谷川さんなら合格しマウス」(MOUSは当時マウス試験と呼んでいた)
「・・・・・・・?」ダジャレは不発に終わった。
その場でインターネットをつなぎ、気の変わらないうちに申込みを済ませた。

1週間後、感激の声で入ってきた。
「師匠、合格しました。ありがとうございました」
「何点取れました」
「780点です。ぎりぎりでした」
「りっぱですよ。おそらく最高年齢ですよ」
「嬉しかったです。今までの人生の中で一番感激しました」
「良かったですね」
「こんな嬉しいことは生まれて初めてです」


電話で主催側の担当者に聞いた。
「70歳以上の方でMOUSに合格した方はどの位いますか」
「公表はしていませんが、70歳以上の方はかなりいますよ」
これについては谷川さんに話さなかった。

「師匠、うちの子供も入門させてください」
将棋道場と勘違いしている。
「谷川さんの息子さんなら、喜んで引き受けます」

次の日に42歳の谷川さんの息子さんがやってきた。
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