第16話 教室のオーナーの出現

文字数 1,792文字

5時の休憩時間に色々と思いを走らせた。
今の自分の力ではまだパソコン教室は開業できない。
だからといって新教室の話が進んでしまったら後には引けなくなってしまう。
悶々としていたらパソコンの修理に下田さんが来てくれた。
下田さんは石岡校長に辞めさせられ、今は失業の身だ。

私の元気のない姿を見て声をかけてくれた。
大事なところには触れないようにして石岡校長とのいきさつを話した。
「早川さんは、こんな所でくすぶっている器じゃないですよ」
「すみません。私が原因で下田さんにまで迷惑をかけて」
 石岡校長は私が一人前に教えられるようになった状況を見て
下田さんをローテーションから外してしまったのだ。

「もしその気があるなら私もお手伝いしますよ」
下田さんはわかっていたのだ。私には教室開業の企てがあることを見抜いていた。
「ありがとうございます、そのときにはお願いします」
それから下田さんは2台のパソコンを直し始めた。

6時前にアルバイトの学生がやってきた。
6時からはそのアルバイトの学生と二人で6人の生徒を相手に授業を始めた。
傍らでは故障したパソコンを下田さんが手際よく直している。
下田さんは修理状況を自分に報告してくれた。
「じゃあいつでも呼んで下さい」と1時間くらいで帰って行った。
アルバイトの学生も今日は私に明るく話しかけてこない。
顔色と雰囲気でわかるのだろう。
重苦しい中で授業は終了し、6人の生徒とアルバイトの学生が帰っていった。

校長と約束した8時が近づいてくる。緊張感が増してくる。
8時5分ごろ。運命のドアが開いた。
入ってきた人間は石岡校長ではなかった。ドアの前には見知らぬ紳士が立っていた。
見知らぬ紳士は私に名刺を差し出した。
「こんばんは、石岡から話は聞いています。早川さんですね」
この教室のオーナーが東京からやってきたのだ。
「はい早川といいます。社員にして頂いてありがとうございました」
「ちょっと近くの喫茶店でも行きませんか」
「はい、お願い致します」
教室を閉めオーナーの後をついていった。
道すがらオーナーから今までの苦労をねぎらう言葉をかけて頂いた。

薄暗い喫茶店で話が始まった。


「石岡から聞いていると思いますけど、奥さんの件はどうですか」
「はい、私には何とも言えませんが」と渋い顔をしてしまった。
「ここは実績もよく、忙しそうだし。一人でも講師が増えれば楽になるでしょう」
「そうなんですが、石岡校長の奥さんがいますと、少しやりづらいかなって」
やはり、石岡校長は奥さんがパソコンができない事をオーナーに言っていない。
「そうですか。やりづらいですか。はい。この件は何とかなると思います」
「それと、新しい教室の計画は聞いていますね」
「はい、石岡校長から聞いています」
「この教室をモデルにして少し広げたいと思っているのですがご協力頂けませんか」
「石岡校長がもう少し教室の運営や講師の立場を理解して頂けたらいいのですが」
オーナーが来る事は知らなかった。あせって思わず本音が出てしまった。
「石岡はこの教室を立案した人間ですから、外すわけには行かないんですよ」
「それに、新人講師の教育なんて私では力量不足と思います」
「そんな事はありませんよ。あなたなら今のやり方で十分できますよ」
「言いづらいんですが、石岡校長とは基本的な所で合わない気がします」
「そうですか・・・。早川さん、今まで通りこの教室で働く訳には行きませんか」

アレ! まだ辞めるって言っていないのに辞めると思っている。
石岡校長が「早川は、辞めたいといっている」と報告したようだ。
それで、急きょ東京から出向いてきたようだ。
今のまま、同じようにこの仕事ができるならしばらくここで働きたい。
25万の給料は何も取柄のない50歳の人間にはできすぎた給料だ。

「この教室だけなら責任を持って頑張っていくつもりです」
「そうですか、それではこのあと石岡に会いますので相談してみます」
「どうか、宜しくお願いいたします」
それからありきたりの世間話をしたあと、帰り際にオーナーがつぶやいた。
「早川さん、石岡ともう少しうまくやってもらうとありがたいんですがね」

やっと手にした25万円の給料。このオーナーの気持ち一つでどうにでもなる。
悔しいけれど使われる身はつらい。
小さな所でもいいから自分で思い切り好きなように経営してみたい。
下田さんの「いつでも手伝いますよ」の言葉が頭をよぎった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み