第29話 教室のイメージ作り

文字数 2,367文字

同じ日の夕方、教室のオーナーから電話がかかってきた。
鴻巣教室の運営が思わしくないという。
鴻巣教室の廃業直前の電話だったような気がする
「早川さん、できれば戻っていただけませんか」
「ええ、でも石岡校長とはうまくできませんので」
「石岡は別の所への配属を考えていますよ」
「でも、一度決めたことですから」
「もし、条件があればお聞きしますが」
「条件といいますと?」
「30万くらいの給与は考えています」
「・・・・・」
「教室の責任者としてやってもらえませんか」
「ありがたい話なんですけど・・・・・」
「それと、まだ中高年向けの教室オープンのことは諦めてはないですよ」
「残念ですが、私の力ではお役に立てないと思います」

オーナーは私が断ることを分かっていながら話している。
オーナーは感づいている。何かを口実にこっちの出方をうかがっている。
「そうですか、うちとしては桶川には教室が出せなくなりますね」
「う~ん、どういう事でしょうか」
「わかりました。あなたならできますよ。頑張って下さい」

私の桶川教室開業計画を確認の電話だったようだ。
うわあ、かっこよく言い過ぎたかなあ。
30万円かあ~。もう一度かかってきたら、あぶない、あぶない。
もう誰にも止められない。自分の自由にやってみたい。

夢のような空想に耽っている時、ちゃぶ台のほうから妻のケーコの呼ぶ声がした。
「早く食べないと、ご飯が冷めちゃうよ」
「う~んすぐ行くよ~」
「ビールは1本以上飲んじゃだめよ」
「たまにはいいだろうよ」
ドラマのような電話のあとに平凡な失業者の生活があった。

2001年 6月
たった一人の小さなパソコン教室を開業でも、その本人にとっては大事業になる。
失敗はできない。ただ計画ばかりで何ヶ月も収入のない生活はできない。
ない知恵を絞りあげる。パソコンに向かい考えられる事を打ち込んでいく。
アイデアを忘れないうちに書く。並べ替える。分類する。無駄なものは消去する。

教室の生徒のイメージは職業訓練時代の「東北オヤジ」だった。
自分の隣の席だった。東北なまりが強い50代の年齢のオヤジだ。
「ちち」を「TUTU」といれて、何回やっても「父」と出てこなかった人。
狙いは中高年だ。これが他との差別化になるかもしれない。
その頃はまだ近隣に中高年専門のパソコン教室はなかった。


時々、下田さんや金部先生に連絡し公園で待ち合わせた。
意見を出し合い教室のイメージ作りをしていく。
「中高年専門にしようと思うんだけど」
「おじさん、おばさん達はパソコン習わないですよ」
「中高年だってパソコンを知りたいんじゃない」
「家庭でパソコンなんか使う?」
「これから事務員になるわけじゃないしねえ」
「そうだね・・・」
「例えば、洗濯機の説明書が難しいからって洗濯機教室はないですよね」

仲間に25歳の下田さんがいてよかった。若い人の気持ちがわかる。
「でも、桶川の中高年の人全員を相手にするわけじゃないからね」
「中高年だってなかにはパソコンを知りたいっていう人もいそうだよ」
「指でパソコンを押した旅館のおじさんなぜ来たんだろう」
「子供に聞いても教えてくれないからって、言ってたよ」
「なんか、電車の時刻表が知りたいとか言ってなかった?」
「あのころ、鴻巣教室はおじさんおばさん増えてきてたよね」
確かに鴻巣のパソコン教室では中高年のおじさんおばさんが増えてきていた。
「それは、早川さんがいたからじゃない。早川先生は年増殺しなんだよ」
「そうそう、おばちゃん連中が早川先生のことだいぶ心配してたよ」
金部先生がチャチャを入れて冷やかす。金部先生はまだ鴻巣の教室に行っている。

「自分が中高年だから中高年の生徒ほうが教えやすいよね」
「教えるほうが同年代だから、教わるほうも安心できるんでしょ」
「でも、必要ないのにパソコンする?」
「だけどさ、何で鴻巣の教室あんなに中高年増えたんだろう?」
「早川さんが、ダジャレばっかり言ってたから、面白いんだよ」
「じゃあ、ダジャレ教室のほうがいいってこと?」
「寄席じゃないんだから、たまに言うからいいんだよ」
「結構、みんな楽しそうにしていたよ」
「みんなって、何人くらい?」
「5~6人かな?とにかく楽しんでやっていたよ」
「パソコンを教えながら、みんなを笑わせてやったらいいのかな」
「中高年はボケ防止の目的にもなるんじゃない?」
「ていうと、中高年専用の楽しいパソコン教室という事かな?」
「やっぱり来るわけないよ、中高年に絞っちゃうと」
「中高年に絞るから安心してくるんだよ」

昼過ぎに集まりもう4時間が経つ。
「中高年って、何歳からいうのかなあ?」
「40過ぎたらもう中高年年だよ」
「本人はそう思っていないんじゃない」
「中年講師が教えるパソコン教室っていうのはどう?」
「来てくれるおばちゃんに、ダジャレなんかいって楽しませちゃうなんて?」
「おばちゃん用のホストクラブなんかいいよね」
「あ、それ行けそう・・・・・・・?」
「今、パソコン教室の話だよ!」
「そのくらいの気持ちでやろうって事ですよ」

名前はパソコン教室だが中身は社交クラブ。これもいいかもしれない。
お茶を出し、音楽を流し、ダジャレや面白い話でゲラゲラ笑わせる。
ストレス解消と老化防止になるかもしれない。
今日帰ったら運営方針の中に入れておこう。

「鴻巣教室の様子はどう?」
「もうだめだね。」
「校長も来ていないし、おばちゃん先生は事務的だしさ」
「掃除は誰がやっているの?」
「うん、月、水、金は俺だけど・・・」
「おばちゃん先生は主婦だから時間ぎりぎりにくるんだよ」
「じゃあ、床も結構汚れているんじゃない?」
「だから、自分のスリッパを持ってくる人が多くなったんだよ」

そこで働く人によって、教室が寂しくなったり楽しくなったりする。
それを管理経営する人の裁量によって、その組織の繁栄と没落が左右される。
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