第57話 ご隠居片野さんの驚き

文字数 2,320文字

2003年 12月
毎年12月は忙しくなる。年賀状の時期になるからだ。
今まですでに修了した人もこの時期になると又やってくる。
年賀状だけ知りたいという人も多い。
パソコンには年賀状ソフトが入っている。
筆ぐるめ、筆まめ、筆王等色々種類がある。その使い方を教えて年賀状を作成する。
パソコンを操作するのが初めての人に、基礎から教えていたのでは間に合わない。
基本がわからなくても年賀状はすぐに必要だ。

以前の鴻巣教室ではこれができなかった。
テキストの最後のほうに『年賀状作成講座』があり学習順序が決まっていた。
そこまで進まないと教えられない。1月になって年賀状を作っても間に合わない。
こちらで指示した通りにやれば誰でも1時間もあればできるようになる。

出来上がればそれを1枚印刷してみる。
「うわあ!きれいにできた・・!」と感動する。
この感動が次の学習につながるのだ。
年賀状だけで終わりになる人、年賀状がきっかけで入会して学習を続ける人もいる。
“この先生面白そう”と一通り修了しても継続してくれる人もいる。

クリーニング屋のご隠居片野さん67歳。ローマ字ができないと言っていた。
年賀状の宛名のほうはボールペンで書くといっていた。
裏のデザイン面だけを教えてもらいたいと入ってきた人だ。
ノートパソコンを持ってやってきた。

「せっかくパソコンがあるんで年賀状でもと思って・・・」
「このパソコンには、筆ぐるめが入っていますね」
「・・・・・・????」
「そのソフトを使ってやってみましょう」
「ローマ字が良くできないんですよ」
「できなくても、できますよ」
「・・・・・・・??」
「マウスを使って私の指示通りにキーボードを押していただきマウス」
「・・・・・・・??」ダジャレが通じない

裏面のデザインのほうはソフトを使うと簡単だ。
筆ぐるめを起動し文書の種類を選び裏面を選ぶ。
既成のデザインから気に入ったものを選べば、はい終了。
うしろから必要な場所を指差して指示していく。
あっという間に出来上がってしまった。

「筆ぐるめ」は年賀状の作成ソフトだ。
私は手を出していない。言葉で指示しているだけだ。
本人はただびっくりしてポカンとしている。


「どうですか、片野さんがやったんですよ」
「手品みたいで信じられないですよ」
「自分で作ったんですよ、きれいにできたじゃないですか」
「もう一度やっていいですか・・・」
「何度でもやってみましょう」
もう一度、繰り返す。
片野さんはクリックする場所をメモしている。
2枚目のデザインができた。今度は一人でメモどおりやってみる。
3枚目ができた。パソコンに慣れていないからどこを押していいかわからないのだ。
案内人がいれば誰でもできる。
「せっかくだから、宛名のほうもやってみましょうよ」
「さっき言ったけど、ローマ字ができないんですよ」
「鉛筆で文字は書けますか?」
「それならできますけど」
「パソコンも鉛筆で文字が書けますよ」
「まさか、先生は冗談が好きなんだから」
「ホントですよ」

筆ぐるめで差出人の画面を出した。
さらにその画面の横に“手書きパッド”を配置した。
「その白い画面の所に、漢字を一文字ずつマウスで書きマウス」
またダジャレが通じない。この頃不発が多い。
相手は真剣だ。勝手にふざけている場合じゃない。
最初に私が書いてみた。マウスを鉛筆代わりにして書く操作だ。

片野さんは目を丸くして見ている。
“片・野・桂・司”の4文字を手書きで出した時には口を丸くして驚いていた。
「やってみて下さい」
「できるかなあ・・・・」
「できマウスよ・・・」まだダジャレに気が付かない。
何回かやっているうちにうまくなってきた。

「じゃあ、次は住所ですね」
「1文字1文字住所をマウスで書くんですか?」
「いいえ、数字はわかりますよね」
「えへへ、そらあ 数字ならわかりますよ」
「じゃあ、片野さんちの郵便番号をそこに入れてみて下さい」
「ここですか・・・・」
「350-0121をいれて。はいそれで、変換を押して」
“埼玉県比企郡川島町上八ツ林”と住所の文字がぴょこんと画面に飛び出してきた。
片野さんの驚きは尋常ではなかった。今度は目も口も体も丸くして画面を見ている。
まさか、数字で住所が飛び出してくるとは思っていなかったようだ。
「あと何番地かは数字だから大丈夫ですよね」

片野さんは同じことを何回も繰り返している。
面白くなったようで好きな番号を入れて楽しんでいる。
100-0001で 東京都千代田区千代田がでる。
100-0002は 東京都千代田区皇居外苑
100-0003は 東京都千代田区一ツ橋
103-0014は 東京都中央区日本橋蛎殻町
900-0001は 沖縄県那覇市港町
機関銃のように数字から住所が飛び出してくる。
片野さんは子供がゲームに夢中になるように適当な郵便番号を入れて変換している。
「知らなかったですねえ~~」
「パソコンって、もっと面白いですよ」

片野さんはこれをきっかけでパソコンに嵌まり込んだようだ。
今でも週2回通ってくる。もう5年続いている。
趣味として生活の中に定着したようだ。

今は「パソコンのない人生なんて考えられませんよ」と言っている。
72歳の口から出る言葉には思えない。一瞬の感動で人生が変わった人といえる。
新聞の折り込みに入ってくるチラシのデザイン等も真似して作る。
もう、できないものはなくなっている。
まるでデザイナーが仕上げたように綺麗に完成していく。
裏技、便利技も使い、まるで手品のように作品を作っていく。
まわりの生徒が片野さんの後ろで驚嘆の声を上げていく。

片野さんには孫が3人いる。その孫たちにパソコンを教えているようだ。
今年で74歳になるが、ほんとに楽しい人生を送っているのがわかる。

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