第43話 白髪の班長さんの居眠り

文字数 2,040文字

2001年9月17日(月)午後
午後は1時から授業が始まる。といっても午後の予約者は誰もいない。
5分前に白いサニーが教室の前に止まった。夕べの白髪の班長さんが運転している。
白いTシャツに白い短パン。素足に白っぽいサンダルを履いている。
断食道場の白髪の教祖様と似ている。教祖様が姿を変えて様子を見に来ているようだ。
断食道場の教祖様は、自分の魂はいつでもどこにでも飛んでいけると言っていた。
白髪の班長さんは、入り口のガラス戸を恐る恐るあけて入ってきた。


いやにおとなしい。夕べの勢いがない。
「ゆうべはどうも・・・・」
「こちらこそどうも・・・・」
「ご近所ですか・・・・」
「すぐそこの鴨川1丁目です」
「車でどのくらいですか」
「1分か2分です」
「それなら歩いてもこられますね」
「歩くと3分くらいかかりますね」
「では、こちらへどうぞ」
班長さんは紙の袋を持っている。夕べの勢いが嘘のようだ。

教室に入ると事務のケーコがお茶を出す。
「はい、冷たいお茶でもどうぞ」
ケーコは美人とはいえないが、小柄で人懐っこい顔をしている。
「コリャどうも・・・」
班長さんの声が上ずっている。
どうやらケーコが気に入ったようだ。横目でチラリとケーコをうかがう。

「どうぞここへ座って下さい」
「はい、こちらですか・・・」
「パソコンは初めてですか」
「実はこの間、富士通のパソコンを買ったんだけどね」
「デスクトップですか」
「なにそれ?」
「エート、机の上に置くでっかいタイプのやつですか」
「なんだかわからないけど、ちっともいうことを聞かないんだよ」
自治会の書類を作るために買ったようだが、手も足も出ないようだ。
「では、体験学習でスイッチを入れる所からやってみましょう」
「それはわかるんだけど、こういう書類が作りたいんだよ」

紙袋の中から4~5枚の書類を取り出した。
自治会の住所録やお祭りの案内書等を出してきた。
もともと教室へ来たかったのだ。酔っぱらって勢いをつけて偵察に来たのだ。
パソコン教室ってそんなに入りづらいものだろうか。

「じゃあ、それを見本にして始めてみましょうか」
「今度の盆踊り大会の案内書を作りたいんだよ」
「ローマ字でいいですか」
「うん、そうね」
「ワードでやりますね」
「これで、いいのかい」
家で何度か悪戦苦闘したようで、ワードを出すとこまではたどたどしくいける。
ただマウスがうまく動かない。
「マウスは斜めにねじらないでマウスグに動かすといいですよ」
ダジャレは無視された。
「マウスはマウスとだめですよ」
ダメ押しのダジャレを入れる。それも反応がない。
マウスは廻しながら動かすと思った所へいかない。
「こぼれた水を拭くように動かすと良く動きますよ」
「うん、それはいいんだけど」
「持った形のままで、雑巾で机の上を拭くようにね」
聞いているのかいないのか反応がない。
それでもやっとパソコンの画面が「ワード」に切り替わった。

見本となる去年の「盆踊り大会のご案内」は「自治会各位様」で始まっている。
「各位」という言葉自体に「皆様」という意味があるので「様」は特に必要ない。
話がややこしくなるので、ここではこの事は言わないほうがいい。

「う~んとねえ、これが最初からわからないんだよ」
「ローマ字一覧表がありますからこれを見ながらやってみましょう」
「ローマ字は大体だがわかるんだけど」
「じゃあ、見ていますから始めて見ましょう」
たどたどしいが人差し指でキーボードを叩き始めた。
「ほら、やっぱり自治会が出ないよ」

入れているローマ字を見てみた。
自治会を『 Z I Z I K A I 』(じじかい)と入れている。
「あのですね、自治会は “じ”ち“か”い”と入れて下さい」
「ほら入れているよ、さっきから何回もね、ほら出ないよ」

いよいよ楽しくなってきた。年配の方を対象にした教室にして良かった。
なんだか職業訓練時代の東北オヤジを思い出してきた。
「ジジカイ、ババカイじゃなくて、ジ・チ・カ・イと入れるんですよ」
キーボードを指差しながら
「 Z I T I K A I と入れてみて下さい」
『自治会』の漢字がやっと出てきた。
「ああ、じちかいか、これが何度やっても出なかったんだよ」
「ほらね、出たでしょう、続けてやってみましょう」

「自治会」が出て安心したようで次の文章を打ち始めている。
たどたどしいがあとはいけそうだ。
「終わったら、体裁よく仕上げる勉強しますからね」
班長さんが去年の案内書を見ながら文章を作り始めた。

いったん、そこから席を外して、電話予約の入会予定者などをチェックし始めた。
今日は7人の予約が入った。
昨日は1本も電話がなかった。やっぱり日曜日は電話するのも休みなんだな。
あれ、班長さんがピクリとも動いていない。
近づいて様子を見るとキーボードに手を乗せたまま居眠りをしている。

画面には「zzzzzzzzzzzzzz」Zがいっぱい並んでいる。
左手がキーボードの上に置かれたまま居眠りをしていた。

班長さんも『中高年の為のパソコン教室』の看板に救われたようだ。
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