第30話 思い出の千円ボーナス

文字数 1,853文字

2001年 6月
資料の収集や運営方針もでき始め、教室開業のための具体策に入り始めた。
パソコンからプリントアウトした項目にメモをいれ具体化していく。
頭の中にはいつも鴻巣教室で教えていた情景が思い浮かぶ。
その情景を思い出しながら自分なりに改善修正を加えていく。
実務経験が幸いしてかなり具体的になってきている。
その思い出す情景の一コマに忘れられないエピソードがある。
その時の思い出が浮かんでくる・・・。

まだ鴻巣の教室にいた時だった。ある日、石岡校長から頼もしい一言があった。
「今年は、この教室の成績がよかったので忘年会をします。ボーナスも出します」
「うわ~やった。」
「忘年会の費用は私が出します。早川さん人を集めておいて下さい」


年末の12月29日夕方5時。今年はこれで終了。最後の生徒が帰っていった。
5時半ごろから3教室の講師、パートやアルバイトの人が続々と参加してきた。
15人が鴻巣教室に勢ぞろいした。さあこれから楽しい忘年会だ。
どこの料理屋さんが予約してあるんだろうと石岡校長の様子を見ていた。
あれちょっと様子が変? 石岡校長の動く気配がない。
椅子に座ったままだ。一瞬、校長と目が合ってしまった。
「早川さんちょっと、ビールとおつまみ買ってきてくれる」
「えぇ・・・・?」
「ビールは貰ったのが6本あるからあと10本くらいね」
「今から買ってくるんですか」
「そう、私はお酒飲まないからウーロン茶ね」
「どのくらい買ってくればいいですか」
「適当でいいんじゃない」
「隣のスーパーでいいんですね」
「うん。あとピーナツとか適当なおつまみ買ってきて。」
もうショックで体から力が抜けてしまった。

アルバイトの子を二人連れ、近くのスーパーでおつまみや飲み物を適当に揃えた。
私と金部先生以外は20代から~30代なのでにぎやかに楽しくやっている。
おばちゃん先生はプライドが高い。こういう席には参加しない。
「私は遠慮します。皆さんで仲良く楽しんで下さい」と上から目線で欠席する。
大きなお世話だ。あんたが来ないほうが楽しいよ。
私が雑用係から講師になっても「おじさんエクセルお願いします」だった。
この雑用係のおじさんに多少は助かっているなら、ジュースの1箱も差入しろよ。

忘年会は面白い生徒の話や、世間話や失敗談で賑やかにやっていた。
1時間くらい楽しく過ごしたあとだった。
「今年はごくろうさまでした。今年は皆さんにボーナスを出します」
校長が15人分の封筒をみんなの前に差し出した。
あれ、またなんか変!封筒には名前が書いてない。
「5千円が1人、3千円が2人、2千円が2人、あとは千円が入っています」
若いアルバイトの子たちは嬉しそうに騒いでいた。
「ジャンケンで、勝った人から先に選んでもらいます」

私と金部先生はビールをのみながら様子を眺めていた。
「早川さん、金部さんも参加して下さい」
「え、私もですか」
「はい。参加しないとボーナスなくなっちゃいますよ」
校長が陽気に話しかけてきた。ま、まさか。

何秒か頭が混乱して唖然としていたが、やっと今の自分の立場を理解できた。
よく考えてみると、その時は私も時給1200円のパート社員だった。
この半年間 中高年講師の頑張りでグループのトップクラスになった。
自分たち中高年3人の講師は、アルバイトの子達とは別格だと勘違いしていた。
それなりのボーナスがもらえると勝手に想像していた。
半年間で実績が倍以上になった。その功績で忘年会をしたのだと思っていた。
どっか料理屋でも借りて宴会をするのかなと勝手に思い込んでいたのだ。

パートのおばさんやアルバイトの子は大騒ぎして喜んでいる。
ムードを壊さないように明るくジャンケンに参加した。
ジャンケンに負け年末の「千円のボーナス」を手にした。
茶封筒に「賞与」と書いてある。その千円をうちに帰って妻に渡した。
「忘年会、どうだった?」
「うん・・・・・・・・」
「なにかあったの?」
「うん・・・・・ボーナス千円もらったよ」
「え、千円なの。でも貰えただけよかったね。今日は缶ビール2本飲んでいいよ」


ちょっとだけだが目頭が熱くなった。
あぁ、断食修行の時の心に誓ったことを忘れかけていた。
やろうとしたことはすぐにやって悔いのない毎日を送ろう。
欲望に執着しなければ本当の生き方が出来る。
凡人で小心者の私はすぐに初心を忘れてしまう。
欲をかかない事だ。この先もこの情景を忘れずに生きていこう。
どんな境遇になろうとも生きていくことの基本に戻ろう。
些細な事は気にしない。この日が一生忘れられない思い出となった。
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