再び最前線 3
文字数 2,163文字
ちなみに彼らの西(左翼)には少し地形の錯綜した沢があり、そのむこうは南西に伸びる高地で別の部隊がいる。そちらは指揮系統が別で連携は取れていない。このあたりは、ややちぐはぐな状況だった。
とはいえ、結局その心配は実現せずに済んだ。勝男たちの陣には地の利があり、比較的元気な頃に念入りに壕や掩体を構築したため、かなりの効力を発揮したのだ。“面倒な陣地”として彼らは後回しにされ、案に相違して年内を守り切ることができた。
小隊は壕の中で新年を迎えた。
一方、市は昭和十八年の元旦をラバウルで迎えた。
いろいろな祝辞のあとで司令の訓示があり、一同はるか北の宮城を遥拝。その後で屠蘇酒が振る舞われた。誰の話題も戦勢挽回、より直接的にはガダルカナル島の奪還である。だが、周囲の連中の勇ましい言説とは裏腹に市は冷めていた。
(すでにガダルカナル島にはいくつもの飛行場が造成され運用されている。機数も十月ごろより遥かに増えている。とてもではないが奪還など無理だろう。いや、むしろ遠のく一方だ。幹部連中はああ言っているけれども、もし本気で言っているなら不誠実だ‥‥‥)
無論、戦術的な中心になるのは市たち航空部隊だ。だが彼らがガダルカナル島攻撃に行っても、敵はスパイ情報とレーダー管制で有利な状況を作って襲い掛かる。あるいは陸攻だけを狙う。そんな、ある意味“楽な空戦”を仕掛け、日本軍に消耗を強いた。ときにはこちらが勝利したが、敵は失敗に学び、修正する能力があった。
そして次第に敵機の数が増えてきた。毎回毎回の空戦が不利になっている。
つまり米軍が持ち前の物量の威力を発揮し、「位攻め」を始めつつあった。こうなると、むしろこれまで拮抗していたのが不思議なぐらいである。
陸軍機の進出でこれが一時的に改善したが、その彼らも未曽有のペースで消耗戦に巻き込まれていく。
また、敵機は夜間攻撃の技術を高めた。おかげで、駆逐艦による艦艇輸送もどんどん困難になっている‥‥‥
(どうも、ぼくたちの腕や努力とは無関係に戦いの決着が付きそうなんだよ、涼ちゃん‥‥‥)
市は折にふれて無線電話による空戦の統制を訴えたが、それが無理なことは分かっていた。何かを根本的に変えねばならないが、変えようがないのだ。
彼は新年早々からもどかしい気分に苛まれた。
ちなみに彼は知らなかったが、中央では年末にガダルカナル島の撤収が決定されていた。
十一月中旬の船団輸送失敗から、事実上同島は撤退の方向で歯車が回り始めた。十一隻もの大型輸送船全滅の衝撃は、やはり決定的だったのである。その後も紆余曲折はあったが方向性は変わらず、ついに大晦日の御前会議でガダルカナル島からの撤退が正式に決定された。そして具体的な撤収計画が一月から動き始めていた。
市の年初の出撃は、東部ニューギニア方面だった。だが、同じ日にブナが陥落した。
次の出撃はガダルカナル島方面だ。文字通り市たちは東奔西走した。しかし彼らはまったく知らされていなかったが、ガダルカナルも東部ニューギニアも撤退支援作戦の一環だったわけである。
一月下旬、市たちに前線基地進出の命令が下った。
こんどの前線基地は十二月に進出したニュージョージア島ではなく、ショートランド泊地に浮かぶ小島(バラレ)である。島はハートを逆さまにしたような形で起伏がなく、中央を南西―北東方向に滑走路が貫いていた。ガダルカナルまで二八〇浬、ラバウルまで二八〇浬のちょうど良い位置にあり、航空基地に特化した島だった。
ここにいち早く基地を作っていればと悔やまれるが、そう上手くはいかないものだ。
ラバウルから編隊を組んで飛んできた市は、例によって着陸掩護に付き、最後になって新たな上空警戒機と交代で着陸した。
(結構いいところだな)
零戦を下りたときに心地良い島風を感じ、市はそう思った。宿舎などの居住環境はムンダ基地のそれよりずっと良かった。
それからはほぼ連日、上空警戒、輸送艦隊の直掩、そしていつものガダルカナル島攻撃と、市たちは忙しく活動した。幸いにこの島は周囲の見晴らしがよく、敵の奇襲を喰らう心配は少なかった。
「お?」
一月の終り頃、駆逐艦の大部隊が泊地に集結しているのが空から見えた。ちょうど二十隻ぐらいいる。
(またガダルカナルに陸軍を送るのか‥‥‥補給は大丈夫なのかな‥‥‥)
まず頭に浮かぶのはこれである。
十一月に船団輸送が失敗し、その後現地は悲惨な状況で、餓死者が出ていると聞いている。だが、この一月には陸軍の航空部隊も大挙して前線基地に進出するほどで、海軍の航空部隊もかなり増援された。おかげでこのところ艦隊の上空支援は大分心強い。
一方で、当然ながら敵の航空部隊も大増強されており、ガダルカナル上空の空戦は熾烈を極めていた。
「今度はどれだけ送るのかな? これはさらに大変な消耗戦になるな‥‥‥」
もちろん市たちには作戦の全体構想などは知らされない。下士官兵や整備員から色々聞かされるが、彼らの話は噂のレベルで不正確だった。
実は、いよいよガダルカナル島の撤退作戦が実施されるのだが、作戦は増援作戦と言い換えられ、例の駆逐艦隊も増援部隊と呼ばれていた。この作戦は保秘が徹底しており、まさか撤退だとは搭乗員たちも気づかなかった。
とはいえ、結局その心配は実現せずに済んだ。勝男たちの陣には地の利があり、比較的元気な頃に念入りに壕や掩体を構築したため、かなりの効力を発揮したのだ。“面倒な陣地”として彼らは後回しにされ、案に相違して年内を守り切ることができた。
小隊は壕の中で新年を迎えた。
一方、市は昭和十八年の元旦をラバウルで迎えた。
いろいろな祝辞のあとで司令の訓示があり、一同はるか北の宮城を遥拝。その後で屠蘇酒が振る舞われた。誰の話題も戦勢挽回、より直接的にはガダルカナル島の奪還である。だが、周囲の連中の勇ましい言説とは裏腹に市は冷めていた。
(すでにガダルカナル島にはいくつもの飛行場が造成され運用されている。機数も十月ごろより遥かに増えている。とてもではないが奪還など無理だろう。いや、むしろ遠のく一方だ。幹部連中はああ言っているけれども、もし本気で言っているなら不誠実だ‥‥‥)
無論、戦術的な中心になるのは市たち航空部隊だ。だが彼らがガダルカナル島攻撃に行っても、敵はスパイ情報とレーダー管制で有利な状況を作って襲い掛かる。あるいは陸攻だけを狙う。そんな、ある意味“楽な空戦”を仕掛け、日本軍に消耗を強いた。ときにはこちらが勝利したが、敵は失敗に学び、修正する能力があった。
そして次第に敵機の数が増えてきた。毎回毎回の空戦が不利になっている。
つまり米軍が持ち前の物量の威力を発揮し、「位攻め」を始めつつあった。こうなると、むしろこれまで拮抗していたのが不思議なぐらいである。
陸軍機の進出でこれが一時的に改善したが、その彼らも未曽有のペースで消耗戦に巻き込まれていく。
また、敵機は夜間攻撃の技術を高めた。おかげで、駆逐艦による艦艇輸送もどんどん困難になっている‥‥‥
(どうも、ぼくたちの腕や努力とは無関係に戦いの決着が付きそうなんだよ、涼ちゃん‥‥‥)
市は折にふれて無線電話による空戦の統制を訴えたが、それが無理なことは分かっていた。何かを根本的に変えねばならないが、変えようがないのだ。
彼は新年早々からもどかしい気分に苛まれた。
ちなみに彼は知らなかったが、中央では年末にガダルカナル島の撤収が決定されていた。
十一月中旬の船団輸送失敗から、事実上同島は撤退の方向で歯車が回り始めた。十一隻もの大型輸送船全滅の衝撃は、やはり決定的だったのである。その後も紆余曲折はあったが方向性は変わらず、ついに大晦日の御前会議でガダルカナル島からの撤退が正式に決定された。そして具体的な撤収計画が一月から動き始めていた。
市の年初の出撃は、東部ニューギニア方面だった。だが、同じ日にブナが陥落した。
次の出撃はガダルカナル島方面だ。文字通り市たちは東奔西走した。しかし彼らはまったく知らされていなかったが、ガダルカナルも東部ニューギニアも撤退支援作戦の一環だったわけである。
一月下旬、市たちに前線基地進出の命令が下った。
こんどの前線基地は十二月に進出したニュージョージア島ではなく、ショートランド泊地に浮かぶ小島(バラレ)である。島はハートを逆さまにしたような形で起伏がなく、中央を南西―北東方向に滑走路が貫いていた。ガダルカナルまで二八〇浬、ラバウルまで二八〇浬のちょうど良い位置にあり、航空基地に特化した島だった。
ここにいち早く基地を作っていればと悔やまれるが、そう上手くはいかないものだ。
ラバウルから編隊を組んで飛んできた市は、例によって着陸掩護に付き、最後になって新たな上空警戒機と交代で着陸した。
(結構いいところだな)
零戦を下りたときに心地良い島風を感じ、市はそう思った。宿舎などの居住環境はムンダ基地のそれよりずっと良かった。
それからはほぼ連日、上空警戒、輸送艦隊の直掩、そしていつものガダルカナル島攻撃と、市たちは忙しく活動した。幸いにこの島は周囲の見晴らしがよく、敵の奇襲を喰らう心配は少なかった。
「お?」
一月の終り頃、駆逐艦の大部隊が泊地に集結しているのが空から見えた。ちょうど二十隻ぐらいいる。
(またガダルカナルに陸軍を送るのか‥‥‥補給は大丈夫なのかな‥‥‥)
まず頭に浮かぶのはこれである。
十一月に船団輸送が失敗し、その後現地は悲惨な状況で、餓死者が出ていると聞いている。だが、この一月には陸軍の航空部隊も大挙して前線基地に進出するほどで、海軍の航空部隊もかなり増援された。おかげでこのところ艦隊の上空支援は大分心強い。
一方で、当然ながら敵の航空部隊も大増強されており、ガダルカナル上空の空戦は熾烈を極めていた。
「今度はどれだけ送るのかな? これはさらに大変な消耗戦になるな‥‥‥」
もちろん市たちには作戦の全体構想などは知らされない。下士官兵や整備員から色々聞かされるが、彼らの話は噂のレベルで不正確だった。
実は、いよいよガダルカナル島の撤退作戦が実施されるのだが、作戦は増援作戦と言い換えられ、例の駆逐艦隊も増援部隊と呼ばれていた。この作戦は保秘が徹底しており、まさか撤退だとは搭乗員たちも気づかなかった。