撤収作戦 1

文字数 2,386文字

 再びガダルカナル島に目を転じ、一月下旬頃の勝男を見る。
 敵が全面攻勢に出てアウステン山東部の部隊は全滅した。次はいよいよ勝男たちかもしれない情勢である。糧秣も弾薬もわずかしかなく、敵が来れば壊滅は時間の問題であった。

 そんな頃、よろよろと糧秣と弾薬を担送する者たちが戻ってきた。所定の集積地になく、遠く補給廠まで往復したのだ。三人いるが、一人は手ぶらな代わりに極めて重要な情報を持って来た。撤収命令である。だがそれは「現在ガダルカナル島上にいる日本軍がエスペランス岬に集結し、そこから逆上陸作戦を発起する」との内容だった。
 ちなみに、あとの二人の“みやげ”は小銃弾が一二〇発、米が約三升である。
「班長殿、これで残り全部だそうです。撤収する間をこれで持たせろとのことです」
「何、これでか?」
 今陣地には十名残っており、手持ちは皆無なので一人三合である。
「奴らもないものは出せないの一点張りでした」
 三人の長は五年兵の兵長で軍隊生活の要領は知り尽くしていたが、今回それは通じなかったようだ。相手が将校だったとのことで分が悪い。
「くそ‥‥‥」
 だが実のところ、この時期に米を三升も持っていれば大富豪である。
「カミンボまで行けばもう少しあるらしいんですが、そちらに行った奴と連絡が取れなくて‥‥‥申し訳ありませんでした」
「まあよい、ご苦労さん。では撤収の件、小隊長殿に報告してくれ‥‥‥これはいま直ぐ俺が分配するから貸せ」
 勝男は背嚢を預かり背負った。
 と、そのとき、ヒュルヒュルヒュルと来た。
「迫だ!」
 四人ともそのまま壕の中に体を投げ出した。勝男は着弾点が近い気がして匍匐で移動し、角を曲がった。ヒュルヒュルヒュル、グワン、ズズーンと爆発が続き、次の瞬間グワアアっとひときわ大きな炸裂音とともに、背中を熱風が吹き抜けた。
(くそ! 直撃されたか?)
 しかし次々と弾着が続き、勝男もまったく身動きが取れない。この攻撃は執拗で、三〇分ほど続いてようやく終わった。背嚢を放り出し、さっきの場所に戻ってみると、ばらばらになった人体が散乱していた。辺りは血と硝煙の臭いが充満し、むせ返りそうである。あまりの惨状に、彼の感覚は麻痺してしまった。
「おい、佐藤、竹中、おい、山本!」
 三名の名前を呼ぶが返事はない。と、最前部から小隊長の声。
「おーい、軍曹!」
「小隊長殿、撤収命令がでました。ですが今の攻撃で三名やられました」
「軍曹! 軽機‥‥‥」
「は? ただいま!」
 様子がおかしい。
 急いで駆け付けてみると、銃眼に据え付けた軽機は奇跡的に無事である。だが、その下に血まみれの小隊長が坐っていた。
「しょ、小隊長殿! どこをやられました?」
「見りゃ分かるだろ、腹だ。それより外を見ろ」
 あわてて銃眼から覗くと、向こうのジャングルを出た米兵が多数迫ってくる。一方、小隊長は脇腹をざっくりやられており、腸がはみ出すのを手で抑えている。勝男は手伝って三角巾を腹に巻いた。
「どうやらここも全面攻撃のようだ。‥‥‥今頃撤収か。一日遅かったな‥‥‥お前は生き残った者を連れて下がれ。今すぐだ」
「分かりました、では小隊長殿も早く」
「俺はいい。ここで奴らを食い止める。どのみち助からんからな」
「そんな‥‥‥正式な撤収命令ですよ。俺がおぶります」
「馬鹿野郎! よさんか。もたもたしてると敵が来るぞ」
「‥‥‥‥‥‥」
「早く行け。命令だ! 繰り返す。命令だ!」
 勝男がもう一度銃眼から覗くと、米兵は続々と出てきて百名以上はいる。砲撃でこちらが全滅したと思っているのか、無防備にのそのそと進んでくる。いずれにせよ、ここにいれば百パーセント死である。
 勝男は小隊長と敵兵を見比べた。小隊長の顔色は土気色だが、目だけがらんらんと光っている。
「どうした?」
「‥‥‥は、はい」
 二人の視線が絡まり、勝男は目を伏せた。
「軍曹、世話になった。‥‥‥軽機は持って行け。俺にはこれがある」
 地面に手榴弾が何個かころがっていた。勝男は黙って敬礼すると軽機を外し、もう一度敬礼してその場を後にした。
 だが‥‥‥
(小隊長を置いて行けるわけがないだろうが、この馬鹿者!)
 心の声で足が止まった。
 彼はがばっとUターンし、小隊長のもとに戻った。すでに目をつぶっていて動かない。
「ご免!」
 勝男は文字通り死力を尽くして小隊長を背負った。よたよたと歩き出し、米と弾薬の背嚢を拾う。
 だがそれだけの重量を持てるはずがなく、二〇メートルも行かないうちに倒れ込んでしまった。
「誰かおらんか! 撤収命令が出たぞ。各自後方に下がれ」
 そのまま声を殺して呼び掛けるが、なんの応答もない。
 と。
「う、う‥‥‥」
 痛みで小隊長が目覚めた。
「軍曹‥‥‥、何をしている。早く下がれ。わしは残る」
「だめです。二人で行けるところまで行きます」
「‥‥‥‥‥‥」
 だが小隊長は立ち上がった。とにかく時間がない。
「軍曹、肩を貸せ」
「は!」
 二人はまたよたよたと歩き出した。
 下がっていくと、ジャングルの際で足をやられた兵隊がうつ伏せになっている。
「おい、どうした!」
 助け起こすと本多だ。
 膝が砲弾片でやられ、地獄の苦しみである。勝男は二人を両脇に抱え、ジャングルに入った。
 背後で手榴弾の炸裂に続き、銃を乱射する音。とうとう米軍が陣地内に突入してきたようだ。
「他の者はどうなったか分からんか?」
「分かりません‥‥‥」と本多。
 樹木を透かすと米兵らしき姿が見える。掩体を一つ一つ潰しながら来るようだ。
 結局、戦死した人間を埋めてやることもできなかった。

 三人は沢を渡らずに西に進んだ。しかしそうこうするうちに一人、二人と合流することができ、部隊は全部で六名になった。勝男と小隊長、本多の他、上等兵が二名と兵長が一名である。二人ずつで小隊長を支え、しばらく歩いて一行は大休止した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み