ブカ基地 5

文字数 2,000文字

 市は他人の感情を読み取れないが、何か疑問に思っていることは分かる。
(自爆禁止は軍人らしくないということか?)
 だが市の考えでは、自爆というのは一種、死を飾る思想を含んでいる。要は軍人というよりは武人、あるいは武士の発想・心得に基づくのであろう。それはそれで否定しないが、市の信念は「あくまで生きて戦うことが勝利につながる」であり、若干方向性が違う。しかし、そのような「武人の心」は海軍全体を覆っており(もちろん陸軍も)、市の信念も伝え方を誤ると厄介なことになるのが現実であった。
 例えば、「〇〇しないと負ける」などと言うと、相手によっては敗戦思想と受け取られ、市は面食らう破目になる。「死ぬな」も実はかなり危ない。なので、基本的に「〇×すれば勝てる」と言わねばならないのだ。市も軍人との付き合いは長いので、そのあたりの呼吸はまあまあ心得ていた。
 一方、杉本と梁田は市に絶大な信頼を寄せるようになっていた。一緒の空戦で死線を超えれば一気に距離が縮まる。無論、市の卓越した技倆も分かる。ここは編成が固定なので尚更だった。故に、市の言葉も、よりすんなりと受け入れられる。
「君たちも実感しているだろうが、敵の物量は無尽蔵に近い。例えば俺たちは前進基地から今まで軽く十機は墜としている。同じ期間に本隊はその何倍も墜としているはずだ。しかし、一向に敵機の減る様子がないだろう? 陸攻隊も大量の敵機を地上破壊していると思うが、いったいどうなっているのか。俺は敵さんの補充能力に脅威を感じているよ」
「確かにそう考えると妙ですね」と杉本。
「うん。それゆえに一人十機、いや二十機なのだ。簡単に自爆してはそれを達成できないからな。それではこの戦は負けなのだ。我々は勝たねばならん。皆川、分かったな」
「はい‥‥‥」
「二機と二機で四機の飛び方だが、二機をペアと呼ぶぞ。ペアの二機は必ず相互支援すること。絶対に二人は離れるな。明日は皆川が俺と飛んでくれ。杉本は梁田とペアだ。それから二つのペアは互いを視界内に留めること。二つのペアが互いを支援するのだ。戦闘の機動は俺がやるから、皆川はもちろん杉本のペアもしっかり付いてきてくれ。万一、二つのペアがはぐれても、ペアの二人は離れないこと。その場合の集合場所はガッカイ島(ニュージョージア諸島最南端の島)沖合とする。高度は三千だ。良いな」
「はい」
「何か質問はあるかな?」
「あの、分隊士はこれまで何機ぐらい撃墜されているのですか?」と皆川。
「それは数えてないよ。五十近いと思うが。だがな皆川、さっきは十機と言ったがあまり撃墜にこだわるな。執着しすぎるとやられるからな。とにかく死なないことを第一義としてくれ。みんなも良いか」
「はい」
 あとは細かいことを確認して打ち合わせは終わった。その後は皆で整備場に向かう。

 だがその夜、市は心に引っかかるものを感じていた。
 それはいつものことだが、今日は新しい搭乗員に注意を与えたので余計に引っかかっている。
(ああは言ったが、前進基地進出以来、ガダルカナルでは常に少数対多数で空戦を戦っている‥‥‥これではどんな手練れでも、そのうちに必ずやられてしまう。現に俺も飛曹長も一度は撃墜されているのだ‥‥‥若い者は一人十機どころではないだろう)
 本当を言えば、一人十殺など絵空事もいいところなのだ。それは市も分かって言っている。
 そんな状況を変えたいが、今の兵力と作戦で飛ぶかぎり変えられそうにない。むしろ、もっと不利な状況を強いられるかもしれない。
 市の言う「自爆するな」も、救難の仕組みがなければ実は意味がない。不時着や落下傘降下をしても、餓死や衰弱死、あるいは捕虜になってしまうのでは、搭乗員を苦痛や汚辱に曝すだけかもしれない。
(結局のところ、最低限はとにかくやられないことだが‥‥‥それは現状維持でしかない。仮に俺が飛行隊長だったとしても、この状況は変えられないだろう‥‥‥)
 それでも彼らは出撃しなければならないのである。しかも毎日。
 市は堂々巡りするのをやめ、蚊帳の中で目を閉じた。

 翌日も市たち四機は出撃した。
 いつも通り戦爆連合の直掩。陸軍の総攻撃が近いため、連日の出撃である。
 このとき敵機ははるか上空で待ち伏せており、市たちが機首を向けると避けるように降下していった。市たちも反転して弾幕を張ったが効果は不明。その翌日も似たような状況になり、敵が戦術を変更したように思われた。つまり陸攻隊のみを狙っているのだ。
 さらにその翌日も市たちは無視されたが、下方で空戦が起こっていた。二つのペアはチャンスを窺い、攻撃しては上に引き上げる機動を繰り返し、“楽な空戦”をした。高度も三千から五千ぐらいで、F4Fに対する二号零戦の理想的戦闘と言えた。皮肉なことに、否、幸いなことに、心配とは逆な状況が起こった。
(たまにはこういうこともある‥‥‥)
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