ミッドウェーの海 1

文字数 2,024文字

 市は赤城飛行機隊の戦闘機隊に所属し、この朝、小隊長として列機二機を率いていた。
 彼らはこの日二度目の出撃で、一度目に二機、今もすでに三機を撃墜している。小隊は三人とも二〇ミリを撃ち尽くし、七・七ミリしか残っていなかった。
「む!」
 高度約千五百で『赤城』後方にさしかかったとき、市は反対側の海面に二つの点を認めた。味方の攻撃をどう生き残ったのか、二機のデバステイター雷撃機が『赤城』の左舷側に回り込み、攻撃しようとしている。あっぱれな敵であった。
 周囲に敵も味方もいない。
 彼はバンクし、下を指して列機に合図すると、ぐるっと大きく旋回降下して敵の右側から突っ込んだ。こちらは三機の単縦陣だ。市は奥、列機は手前の敵機をやるように指示する。
 デバステイターと『赤城』の距離は約三千。『赤城』はその前から右に回頭しており、そのまま行けば敵機は大きく後落しそうだ。
 市はすばやく周囲を確認すると、真横わずか後方からデバステイターの二機横隊に迫った。刻々位置が変わるが、射撃の一秒間だけは同じ位置に弾を収束させる。その間は、周囲がまったく目に入らぬ無の境地になる。いや、ならねばならない。
 そして市は機銃発射のレバーを握った。
 このときは七・七を長めに撃ち、奥の機の操縦席付近は蜂の巣である。市は軽く右にバンクし、ぐーんと上に回避した。その機は海面に突っ込み、敵は一機に減った。母艦の危急のためにやむなく操縦席を撃ったのだ。彼は鈍足なデバステイターを気の毒に思い、片手で拝んだ。
 列機はと見ると、二番機はちょうど攻撃を終えて上昇中だが、三番機が後落しながら敵に追いすがろうとしている。その敵機はしきりに旋回銃で反撃する。
(いけないな。あれはやるなと注意したのに‥‥‥)
 三番機の搭乗員は市の小隊に入れられたのが不満で、注意を聞き流していた。
 案の定、彼はデバステイターの旋回銃から命中弾を受けた。敵の機銃手はなかなかの腕前だ。結局三番機は退避して追従してきたが、白煙を引いている。
「母艦に戻れ」
 市は被弾箇所を指さし、指示した。「了解」の合図とともに、そそくさとその機は去っていく。
 やや後落した市と二番機は右に切り返した。敵も右に針路を変え、勇敢にも単機で『赤城』に追いすがっている。『赤城』の動きに合わせ、こんどは右舷側に回り込むつもりなのだ。市たちも右旋回で敵機の上方を横切り、右に回り込んだ。敵機は市たちに惑わされず、ひたすら『赤城』を狙っている。だが、その運命は極まった。
 その右手で少し離れてから左に切り返す。最前と同じ要領でほぼ真横から降下し、市は操縦席を撃った。デバステイターは、もはや『赤城』しか見ていなかったのだろう。あっけなく海面に墜落し、彼はまた片手で拝んだ。これで小隊の戦果は五機確実撃墜となった。
 その後、同様の雷撃機がいないか、あたりの海面を捜索したが、いなかった。
 それならと、二人は母艦の西方で旋回上昇に入った。七・七ミリはまだ半分以上残っている。着艦して二〇ミリを補充したいが、市は高度を取り直すことを選択した。

 このとき三空母(『赤城』『加賀』『蒼龍』)は距離が近く、『飛龍』だけが少し北方に離れていた。上空には敵も味方もおらず、一瞬だが、突如戦闘が中断したような妙な雰囲気になった。
 が‥‥‥その瞬間。
「あ!」
 肌が粟立つ。
 ちょうど『赤城』の直上で、雲間から一列の点々がこぼれ出てきた。
 なんと敵の急降下爆撃機隊である。満を持していたのか、そのアプローチはほぼ理想に近く、もちろん『赤城』にとっては最悪の状況であった。
(これは当たる‥‥‥)
 市は観念した。
 列機にバンクし全速で敵に向かっているが、高度がまったく足りない。敵はあたかも演習のように順番で急降下に入っている。おまけに投弾の軸線まで合っており、万事休すとはこのことであった。
 外れるように願ってはみるが、そう甘いものではなかった。見る間に『赤城』には真赤な火柱が立っていく。一つ、二つ、三つ‥‥‥。

(これは取り返しのつかないことになった‥‥‥)


 市たちはバンクしながら『赤城』後方の上空を横切った。
 爆発の衝撃でがぶられながら海面を見ると、いるわいるわ、小鳥たちの群れが無邪気に背中を晒している。それは勝ち誇って避退するSBD(米海軍の偵察爆撃機ドーントレス)の群れだった。
 彼はせめて仇を取ってやれと列機に合図し、降下に入ろうとした。

 が、その刹那。ズガガーン、バリンっと衝撃に襲われた。
 機体が右に傾きだし、もげた右翼がクルクル回りながら飛んで行く。
 彼の機は制御不能に陥り、ゆるやかな弧を描いて落下し始めた。断端からチロチロと火が出ており、彼はすぐさま発動機のスイッチを切った。
 だが、みるみる海面が迫ってくる。
 急いで風防を開け彼は脱出したが、高度は三百あるかないかだ。
 ガクんと(開傘の)衝撃を感じた瞬間に海面に叩きつけられ、彼の意識は飛んだ。
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