ラバウルの出会い 1

文字数 1,767文字

 昭和十七年八月下旬のある朝。晴れ、雲量五。

(なんだよ、大仏さんかよ‥‥‥いかにもトロそうだぜ)
 これが、権藤(ごんどう)が生涯敬愛することになる(ほり)市之助(いちのすけ)予備少尉((いち))の第一印象だった。まるで縦と横が同じ幅なのだ。要は背が低く横幅があるのだが、生き馬の目を抜くラバウルで、こんな鈍重そうな男が使い物になるのか疑問に思えた。
 彼は“飛行時間三千時間の予備学生”について聞いたことはあった。しかしこれまではずっとすれ違い、手合わせをしたことはなかった。ちなみに彼の階級は飛曹長(飛行兵曹長)で、飛行時間は二千時間程度である。

 飛行長が濠少尉を紹介しながらいろいろ御託を並べている。今日は天候不良で攻撃が中止になり、戦闘機隊はややゆったりしていた。
(‥‥‥あのオヤジは話が長くていかん)
 権藤は上の空で、まったく聞いていない。
(そんなことより問題は、分遣隊に補充で送られる搭乗員の人選だわ‥‥‥)

 分遣隊として最前線に進出し、ガダルカナル島(ガ島、餓島ともいう)までの飛行時間が半分に短縮するのは大歓迎だが、基地の居住環境が劣悪との噂だった。しかも部隊が進出してまだ間もないのに、搭乗員が六名も戦死した。定数九の小世帯なのに同じ期間のこちら(本隊)よりも多いのだ。いったいなぜ、そんなに戦死しているのか?

 補充を送っては戦死し、今も現地からは「搭乗員五名を送れ」と矢の催促だ。分遣隊は日本軍全体としても極めて重要な前進航空基地であり、本隊であるこの航空隊が対処しないわけにいかなかった。
(あの飛行長が手練れの俺を手放すわけねぇんだがな)
 彼はそう高をくくっており、これまであまり真剣に考えていなかった。
 しかし‥‥‥である。
 往復の飛行時間が短くて済むことから、比較的経験の浅い者が送られていたが、どうもそれでは回らないと分かってきた。なにしろ、ばたばた搭乗員が死んでいるのである。つまり、場合によっては、権藤のような事変以来のベテランにお鉢が回って来る可能性がでてきた‥‥‥

「...ところで早速だが、濠少尉が模擬空戦をしたいと申し出ている。誰か腕に覚えのある者はいないか?」
 このとき、三〇名以上いる搭乗員は、誰もが内心で思った。突然現れたどこの馬の骨とも分からん予備少尉の相手など、ご免蒙ると。しかも多くの仲間の面前だ。万一敗けでもしたら、最前線で腕利きを名乗る面子が丸つぶれである。
 ここに市を知る者は誰もいなかった。いや、いても黙っていた。
 搭乗員たちの間には微妙な雰囲気が漂った。
「なんだ、いないのか? ならばこちらから指名するぞ。権藤飛曹長! 君が上がれ」
「‥‥‥は?」
 彼はよく聞いていなかった。
 皆が一斉に振り向き、腕は良いが文句の多いこのベテランがどう戦うのか、早くも興味津々の表情である。
「おい、嫌なのか?」
「いえ。ええと、あの、濠少尉と空戦すればよろしいのですか?」
 このやり取りに、くすくす忍び笑いが漏れる。これはどっちが勝っても面白い見物になるぞ‥‥‥
「そうだ」
「かしこまりました」

 外に出ると早くも日差しが強い。
 先に出ていた少尉が、ザッザッと近づいてきて手を出した。
「よろしく」
 こんなときに士官が握手を求めるのもめずらしいが、予備士官だからだろうか? 
「はっ、こちらこそよろしくお願いします」
 権藤があわてて敬礼し、手を出すとえらくがっちりした手だった。
 彼らが待機線に向かうと、あらかじめ命令されていたのか、二機の零戦(零式艦上戦闘機・ゼロ戦)が準備されている。ぞろぞろと見物人も出てきた。
 翼の上で権藤の同年兵が親しそうに手を上げた。徳永一整曹(一等整備兵曹)だ。
「よう先任、世話になるな」
 そう言いながら、権藤はひょいと身軽な動作で翼に飛び乗ると、機上の人になった。肩バンドその他、徳永たちが手早く支度を手伝う。
「権ちゃん、整備は完璧だ。一発お見舞いしてこいや」
「了解」
 いろいろ確認した後、彼らは降りていった。
 いったん止めてあった発動機を再始動し、発進前の点検を終えて右を見ると、少尉が手を上げている。チョークを払い、少尉の一秒後に権藤もスロットルを上げ、定位置に着くとするすると滑走を開始した。二機で同時に離陸である。
 ブワーっと土ぼこりを舞い上げながら、二機は空に上がり、ぐんぐん上昇していった。

「おや?」
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