戦いと諍い 3

文字数 2,309文字

 ここで九ノ泉という男について一言触れておこう。

 彼は、兵学校時代は“理論派”で通っていた。彼には“先見の明”があり、航空機を選んだ。行く行くは海軍中央で航空関係の重要なポストに就こうと夢想していた。
 座学は得意で弁も立った。
 一方、運動神経は並以下で、術科の成績は悪かった。何かが組対抗で行われるときは、ちょいちょい彼が足を引っ張り、最悪の場合に全員が罰直を喰らうこともあった。それでも彼を疎んじたり、文句を言う仲間はおらず、それが海兵生徒たちの立派なところだった。
 しかし今の姿を見る限り、彼は海兵本来のシーマンシップをまったく学ばなかったようだ。
 結局、彼の卒業の席次は自己評価に遠く及ばないものだった。
 その後飛行学生に進んだが、やはり操縦の勘は悪かった。「この学生は資質なし」と断じる下士官教員もいた。だが

その所見は握りつぶされ、彼は晴れて士官搭乗員になった。しかもなぜか偵察ではなく操縦だった。
 しかし、理屈は達者でも技量が伴わないのは誤魔化しようもない。
 当人の思惑とは裏腹に、勤務評定はいま一つ良くなかった。おかげで内地や台湾など、後方基地ばかりを転々とした。それは対米英蘭戦争が始まってからも変わらない。もちろんそれでは勲功を挙げられず、出世もおぼつかない。彼は焦り、最前線勤務の希望を出し続けた。その甲斐あって、昭和十七年六月一日付でラバウル航空隊附の辞令を受けた。だが、そこはまさに最前線であり、当然ながら彼の出る幕はほとんどなかった。
 ところが、八月七日に米軍がガダルカナル島に上陸し、状況が変った。
 ガダルカナル島に近いブーゲンビル島南端に、日本軍は飛行場の急速造営を開始した。完成は当分先だったが、とりあえず戦闘機の不時着が可能になった。
 彼は「戦闘機隊を早期に進出させるべき」と声高に主張した。基地設備もほとんどない段階で、無謀にも「自分なら戦える」と手を上げた。これは一種の誇大妄想だったが、他にそんな主張をする者はいない。「ならば一つ君がやってみてくれ」という話になり、少数機を派遣することになった。それが前進基地である。
 しかし彼は肝腎な指揮能力を欠いていた。これまで見てきたように、彼は他人、特に下官を自己の道具にしか考えず、それが相手に伝わるのだ。そのため、部下からの人望がまったくなかった。そう思うのは市たちだけに限らなかった。おまけに戦術も間違っていた。それでは被害ばかり増えるのも当然であり、基地内部も実質はばらばらであった。
 一方で、彼は権威を振りかざし、少しでも意に沿わぬ者は無能よばわりし、挙句に死地に追いやった。結局、彼の支配原理は恐怖であり、部下たちは身を守るために従っているに過ぎなかった。
 行く前の彼は、定数九機でも十分に活躍し全軍の賞賛を浴びられると夢想していた。だが、その甘い見込みはあっさり崩れた。今は折にふれて「航空兵力が少なすぎる」と主張している。それでも全員が市や権藤のような手練れならば、相当に良い戦ができたろう。しかし現実には、せいぜいが平均レベルの搭乗員しか派遣されなかった。それらの男たちは、彼のおかしな指揮のもとで次々に戦死していった。
 彼自身も空戦で死にかけた経験から、自分だけは埒外にいて絶対に生き残ろうと決意した。以来空戦には出ていない。彼が目指すのは最前線から海軍中央への凱旋である。目標はその一点に絞られ、その足掛かりにするために誇大な戦果を送り続けた。
 ところがその戦果は、事情を知らぬラバウルの本隊で事実と受け取られていた。
「前進基地は困難な状況下で成果を挙げているじゃないか」というわけだ。
 一方で、難点は搭乗員がやたらに戦死していることだった。それさえなければ、言うことなし‥‥‥ではなく、本隊も搭乗員の戦死には頭を抱えていた。それを何とかしようと市たちを送ったのだが‥‥‥

 さて、市たちが謹慎になったため、その朝は第一小隊のみ三機が出撃した。
 この三日間は途中からスロットに入り、サンタイサベル島・ガッカイ島(ニュージョージア諸島南端の島)・ラッセル島の中間点付近で周回し、またスロットを戻るというコースを通っている。それが

の実態だった。しかし不運なことに各島の沿岸監視員によってその周回位置が特定されていたのである。

 同じ朝、ガダルカナル島基地のロル少佐は二つの報告を受け取った。
「ラバウルから戦爆連合が発進した」
「前進基地から出た三機編隊がスロットを南進中」。
 前者はいつものルーチーンだが、後者はもっと重要だった。彼の目はぎらりと光った。
(スネークの編隊は二機のはずだ。つまりそいつらはスネークとは違う雑魚だ! 今日も同じコースなら、少なくとも十時頃までは例の空域でうろうろするだろう。片づける絶好のチャンスだ!)
 今は九時前である。当該空域まで百浬もないので、上手く行けばぎりぎり捕捉できる計算だ。かたわらの情報将校に尋ねた。
「スネークの二機について情報はないのか?」
「ありません。どうも今日は出ていないようです」
「よし!」
 彼はマイクに怒鳴った。
「待機の二個小隊は直ちに出撃。Z地点(例の海域のこと)の三機を片付けろ。そいつらはスネークではない。例の雑魚だ!」
 この朝は、前日に味噌をつけたスミス大尉とミート中尉の小隊が待機しており、すぐさま八機が発進した。

 編隊の指揮はスミスが取るが、やや緊張気味である。
(ボスの見立てではその三機は雑魚のはずだが、実はスネークかもしれない‥‥‥)
 彼は無線電話で注意を喚起した。
「みんな、油断するな。三機のうち二機がスネークの可能性もあるからな」
「了解!」
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