前進基地 3

文字数 2,587文字

 すでに五機が発動機を始動していたが、市は第一小隊の三機を見て驚いた。上面全体に濃緑色のぶちで迷彩がほどこされている。陸軍機ではこういう塗装があるが、海軍で見るのは初めてだ。ちなみに、市たちの二機は標準仕様の灰白色である。第一小隊と第二小隊は見た目でもはっきり区別できるようになっていた。
 市の機は富田がやってくれていた。彼は整備員らに手伝ってもらって乗り込み、すべて点検はOKで彼の機を先頭に発進した。

 ガダルカナル島に米軍機が進出したのは八月二十日である。それからまだ日は浅いが、現地からの報告では、日本軍の戦爆連合が到着する前に敵機は離陸して姿を消すという。つまり、ラバウル基地の周辺か途中の島々に敵のスパイがおり、日本軍の行動を通報している疑いがあった。無論、その実態はつかめていない。
 市たちはそれを避けるため、かなりの遠回りだがチョイセル島とサンタイサベル島の外海側を南下することにした。その先はフロリダ島だが北の海上を飛び抜け、変針してガダルカナル島に向けて南下する計画だ。
 ちなみに、さすがの米軍もまだ対空レーダーは稼働していなかった。市は米軍航空隊をやや過大評価していた。彼自身もその手の電子装備にはあまり通じていなかった。

(おや?)
 進撃の途中、サンタイサベル島の中ほどあたりで、権藤が横に来て上を指さした。第一小隊が見当たらない。雲にまぎれて姿を消したのだ。
 市もすでに気づいており、了解した。
「高度を五千にあげる」
 すぐに手信号で権藤に伝える。言うまでもなく三千ではあまりに低い。
 着いてみると、ガダルカナル島周辺も雲が多かった。予め権藤にいろいろ教わったが、市には初めての空域である。この天候は本隊の爆撃には適さないが、戦闘機には有利である。もちろんそれは敵も同じで奇襲を掛けてくる可能性が考えられた。
 二機の単縦陣はフロリダ島の東端あたりに達した。
 市は操縦棹を右に倒し、スっと九〇度旋回する。ガダルカナル島は正面だ。と、同時に彼はバンクした。左前方のやや下方に敵の編隊が雲間から現れたのだ。左から右に移動しており、つまり東から西に向かっている。市たちは速度を上げながら少しずつ左に移動し、敵の後方に回り込もうとした。雲のおかげか、敵機がこちらに気づいた様子はない。二人は念入りに見張りを続けた。
(よし、他に敵機はいない)
 敵は正面下方を横切り、そのまま右に向かっていく。グラマンF4Fの四機編隊で、高度差は約千ある。市はまた右に旋回し、敵と同航になった。続いて二人は横隊に変った。市が右で権藤は左。敵は彼らに気づかず、のほほんと巡航で飛んでいる。依然として他に敵機は見当たらず、絶対有利の状況になった。
 緩降下で二人はぐんぐん距離をつめた。その距離約五百メートル、高度差は約二百。敵は後方の死神に気づかず、その運命はほぼ決まった。

(ちょっとやりにくいかな‥‥‥でも飛曹長なら大丈夫だろう)
 敵編隊は右前の梯形(一列)で飛んでいる。 
 第一撃目に、市は二番機、権藤は四番機をやるよう指示を出した。一旦潜って下から撃ち上げる手筈である。
 距離約二百で市は突撃の合図をした。市はグーンと下にもぐり、それからぐいと突き上げ、二番機の下腹にダダダダっと二〇ミリを撃ち込んだ。距離は約百。効果を確かめるまでもなく、すぐさま右側方に退避。同じく権藤は市とほぼ同時に四番機を撃ち、左側方に退避した。
(敵は上に逃げるか、下に逃げるか、それとも急旋回するか?)
 だが直後に、二番機はブワンっと爆発し、四番機は黒煙を吹いてがくんと頭を下げた。市は思わず首をすくめ、爆風や破片をよけるとグーンと左に切り返し、慌てふためく一番機の後下方に取りつこうとした。権藤も遅れじと切り返し、三番機の後下方に迫る。
 が、ぐらぐらと激しく動揺した敵機は、市たちが射撃する前にくるりと背面になり、真っ逆さまに降下していった。
 二人はすれ違いざま下方に向けて撃った。二〇ミリが一番機の胴体後部に二、三発命中したが、致命傷にはならなかった。それ以上は追わず、突っ込んで機速をつけると左右に上昇旋回しながら下を見る。敵が戦闘を続けるとすればスプリットSからの反撃だが、機体を引き起こさなかった。つまり戦う意志はないのだ。
「まったく逃げ足の速い奴らだ」
 権藤は苦笑した。

 二人はまた横に並び、うなずき合った。もちろん追ったところで追いつけない。
 ここに来るまでは長かったが、空戦自体はほんの数秒で終わった。初めての実戦にしては息がぴったりである。市も権藤も実戦経験が豊富で、深追いするつもりはさらさらなかった。
 ちなみに、落下していく敵の四番機から落下傘は出なかった。
 敵がはるか下方に見えなくなると、二人は再び単縦陣になり、三角に突き出たルンガ半島の上空をぐるぐる十五分ほど示威飛行した。彼らの周囲には怒りに燃えた対空砲火が炸裂した。
 その間、敵機はどこにも現れず、第一小隊も姿を消したままだ。引き上げの予定時刻が来たため、二人は北上すると北西に転針し、帰途についた。
 しかし来るはずの本隊は現れず、天候不良のために引き返したと分かった。

「ふ‥‥‥」
 帰り道、権藤は不思議な感動にとらわれていた。今までいろいろな上官に付いて飛び、また列機を連れて飛んだこともある。
(いままで、これほど簡単に二〇ミリを叩きこんだことはねえよな‥‥‥)
 空戦は一瞬で終わったが、過去のどの空戦よりもスムーズに自分の戦いができたと思うのだ。もちろん状況が有利だったためもあるが、それだけが理由ではなかった。
(おそらく、小隊長はいち早く敵機に気づき、雲に隠れて巧みに接敵したのだ‥‥‥)
 偶然のような必然。
 一見無造作に見えるが、実はそこに技があった。若い者だとそう気づかずに終わったろう。権藤も今にして腑に落ちるのだが、こんな感覚は初めてである。
(「空戦は一撃離脱を上とする」は小隊長の言だが、これがその究極ってわけか)
 これまで、彼はどちらかといえば「格闘でねじ伏せて勝つ」のが気に入っていた。だが、今回の方がはるかに上である‥‥‥
(確かに小隊長と飛ぶかぎり、敗ける気がしねえな。ずっとこの二人で飛びたいもんだぜ‥‥‥)
 彼はやや下方を先行する市の後ろ姿を見ながら思った。

 しかしその感動も基地に着くまでだった。
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