戦いと諍い 1

文字数 2,188文字

 同じ日の夜、市と権藤はジャングルの整備場で富田たちと酒を飲んでいた。
 カンテラの灯りに照らされ、各自の顔がぼーっと浮いている。整備科特製の大きな蚊帳を吊り、缶詰をつまみに車座になっているが、権藤はやや荒れ気味である。

——昼間の攻撃では、華麗な回避機動と雲のおかげで四機を撃墜したが、かなり際どい空戦だった。米軍側はゼロ敗と考えていたが、実は市も権藤も被弾があったのだ。生死は紙一重で、手放しで喜べるような結果ではない。もちろん、あれだけの数を相手にしたから、撃たれるのは当然と言えば当然だが。
 おまけに帰路に権藤の機体の発動機が不調になり、午後いっぱいは修理と整備でつぶれた。本来ならば市たちが一升瓶でも持って整備員たちに振舞うところだが、あいにくここではそんなものは手に入らない。逆にここで御馳走になっている。

 市も権藤もいける口だが、疲労のためか権藤が酔っていた。富田は話の内容を察し、特に信頼の置ける者だけを残してあとを遠ざけた。
「一小隊の奴ら、今日もトンズラこきやがって。許せねえな‥‥‥」
 権藤の話はぐるぐる回って結局ここに戻る。
 富田によると今日も第一小隊の機体はきれいそのものらしい。若い整備員たちも機体の謎が解けて、驚き呆れている。
 隊長によると第一小隊は雲で市たちを見失ったが、そのあと三機でガダルカナル島上空に突入し、ルンガ上空で示威飛行を行ったという。しかし市たちは彼らの姿をまったく見ていない。今日は“SBDの撃墜”はなかったようだが、おそらくその示威飛行とやらもデタラメなのだろう。
「でもさ、飛曹長。今日のような修羅場にもし彼らがいたら全滅だったと思うよ、多分」
 市が言い、富田たちもなるほどとうなずく。
「思うんだけど、むしろ足手まといがいない方がやりやすいんじゃないかな。‥‥‥まあ、それこそ牽制ぐらいはしてもらわんと困るがね」
 普通なら市と権藤がそれぞれ列機を連れて戦闘するはずだが、それでも結果は同じ(若手だけ全滅)かもしれない。権藤も市の言う通りだろうと分かっているが、機嫌は直らない。

「はあ‥‥‥、しかし小隊長、二対多では俺たちもいつかはやられますよ」
「うん、それは確かにそう思う。同じ手は何度も通用しないだろうし‥‥‥なので明日は作戦をがらりと変えるつもりだよ」
「ふうむ、それなら何とかなりますかね‥‥‥」
 権藤が少し得心する。
「空戦のことはよく分かりませんが、敵もバカではないですからね。是非、斬新な作戦を考えてください」と富田。
「ええ。今日は敵の連携が良くないのでまあまあ攪乱できましたが、何しろ十機以上で掛かって来ましたからね。われわれを何がなんでも仕留めようという明確な意図を感じました。明日は何をしてくるか分かりません」
「そうですよね‥‥‥濠さんも、権藤さんもやられないでください、本当に。心から願っております」
「ええ、もちろんやられませんよ。ありがとうございます」
 市が柔和な表情で応え、それを潮に二人は立ち上がった。

 月明かりの滑走路をぶらぶらと歩き、二人はいつもの海岸に出ると腰を下ろした。権藤も少し酔いが醒めたようだ。
「小隊長‥‥‥、それで明日はどういう作戦で行きますか」
「うん、まずはコースを変えよう。今度は南回りで、ニュージョージア島の南方を東進しよう」
「なるほど」
「それでガダルカナル島突入時の高度は八千とする」
「了解しました。今日は五千でも被られましたからね。ですが、隊長の命令はどうします? おそらくまた三千でしょう」
「うん、当然われわれで変更することになるね。はるか上空に敵編隊を見つけたので高度を取ったでいいよ」
「へへ、そうですね。どうせ一小隊の奴らも見てないでしょうし」
「うん。しかし三千なんて本当に実情に合わないね。今日も三千だったらイチコロだったろう」
「はい」
「雲がなければ、五千でも危なかったよね‥‥‥」
「ええ、まったく‥‥‥」

 二人は午前の空戦について再検討した。市は全ての機動を記憶しており、頭の中で動画のように再現できる。
 彼が権藤との交叉に向かったとき、権藤はまだ回り終わっていなかった。後方には三百メートルほどの距離でF4Fが追尾しており、もう一機がその後上方にいた。市は追尾機の前に七・七で弾幕を張り、多分それは命中した。その機の態勢が乱れると同時に市は右に上昇し、敵支援機の下方に潜り込もうとした。権藤は市とすれ違った後で左に急旋回して市と同航する形になり、二人は雲に入った。その寸前に、市の射撃を喰らった敵機と市を追尾していた敵機が空中衝突した。その次に雲から出て行った奇襲は、やや棚ぼただった。

「F4Fは横の空戦では結構ついてくるから、今日のように適宜交叉しながら互いに後方をクリアする必要があるね」
「はい。俺もあのときは危なかったです」
「俺もだよ‥‥‥思ったんだけど、俺たちも向こうさんのように上下に展開した方がいいかな? 飛曹長が後上方に付く形で」
「初動で左右に分かれずにってことですか?」
「うん」
「それは状況によりけりじゃないですか」
「う~ん、そうかな」
 市は少し考えると言った。
「‥‥‥了解。じゃあ進入時は横隊で、上下に展開する場合は適宜合図するよ」
「了解しました」
「ならばそろそろ戻ろうか」
「はい」
 士官宿舎の前で権藤は一礼して別れた。

 そのすぐあとである。
「おっ?」
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