戦いと諍い 2

文字数 2,109文字

 自分の宿舎に入ろうとした権藤は、ある男たちを小道の先に見つけた。距離は少し離れていたが、それは第一小隊の三名だった。
「おい待て、お前ら! こっちへ来い」
 割れんばかりの声である。三名はぎくりと立ち止った。
「なぜ来ないか!」と言いながら権藤は足早に近づいていき、あっという間に三人を殴り倒した。彼はさっきの怒りが再燃し、手加減を忘れていた。ちなみに権藤に殴られて立っていられる者がいるとすれば、市ぐらいであろう。無論、その三人は起き上がれないでいた。
「おい、どうした? 早く立てよ。立って今日はどこをどう飛んでいたか、大先輩たる俺にきちんと教えてくれよ、なあ」
 彼は一人の襟首をつかみ、体を吊り上げて立たせようとした。

 と、また肩をポンと叩かれた。振り向いてみると市だ。
「飛曹長、それぐらいにしておこうよ。この三名も隊長に命じられて飛んでいるわけだから」
「小隊長‥‥‥いや、しかしこいつら‥‥‥」と言いながら権藤が手を離すと、その男・佐川三飛曹はずるずると崩れ落ちた。
「君たちからは、いずれ俺もじっくり話を聞かせてもらうよ」
 市は三人に引導を渡すと、権藤の方を向いた。
「‥‥‥じゃあ飛曹長、明日もきつくなるから早く寝よう」
「はあ、そうですね。‥‥‥だがなお前ら、俺もこのままじゃあ終わらせねぇから覚悟しとけ‥‥‥」
 市が先に歩き出し、権藤もその後に続いた。
 ところが、この件はそれで終わらざるを得なくなったのである。

 この基地では下士官搭乗員の宿舎にも雑用係の水兵を配置していた。その兵はどんな些細なことでも報告するよう、九ノ泉にきつく言い含められていた。要するにスパイである。彼は、三名が誰かに殴られて帰ってきたことを夜のうちに報告した。
「何だと! 殴られて帰ってきただと? 誰がやったか分かるか?」
「いえ」
「ふうむ‥‥‥」
 カンテラの灯りのもとで、九ノ泉の顔は怒りにゆがんだ。
 彼にとってこの出来事は不快そのものだ。自分の直卒する搭乗員を殴るなど、越権行為もはなはだしい。部下が可愛いわけではないが、統率者としての面子が丸つぶれである。
(そんなことをするのはあいつしかおらん)
 下手人はおおよそ見当がついていた。

 彼は翌朝一番に三名を呼びつけ、誰に殴られたか追及した。思った通り、殴ったのは権藤だ。彼は次に権藤を呼びつけて詮議した。
「おい権藤飛曹長、第一小隊の三名を殴ったのはお前か?」
「はい」
「なんということをした。私的制裁は禁止のはずだ。理由を言え」
「自分の質問に答えないので殴りました」
 権藤はしゃあしゃあと答えた。九ノ泉は面と向かって反逆されたように感じ、内心で激怒した。
「ふうむ。貴様‥‥‥、私的制裁禁止の命令を故意に破ったな。‥‥‥貴様を謹慎一日に処す! 不届き者め、目ざわりだ。下がれ!」
「は!」
 権藤は営倉を喰らうと覚悟していたが、意外に処分は軽かった。すぐに従兵を市のもとに走らせ、事情を伝えた。市は驚いて隊長のもとに出頭した。
「自分は権藤飛曹長の私的制裁を止めずに傍観しました。ですから私も同罪です。権藤飛曹長と同じ処分を受けます」
 市が述べると、九ノ泉は内心ニヤリとしながら上辺では渋面を作った。
「貴公も変わった男だな。そんなに権藤が好きか。まあ良い。ならば同罪で謹慎処分を科す。どのみち

の身上書は真赤だからな、今さら謹慎一日など何ほどのこともあるまい。以上だ。分かったら下がれ」
「申し訳ありませんでした」
 市は素直に頭を下げた。
 彼としては、監督不行届きで権藤の経歴に傷をつけたことが悔やまれ、申し訳なく思ったのだ。もちろん隊長にではなく、権藤にだが。

 一方の九ノ泉は、権藤が外れた今日の編成をどうするかで困っていた。第二小隊を市一人で飛ばせると、戦闘詳報などの書類上やや

。かといって、市に第一小隊を指揮させるつもりもない。しかも今日はガダルカナル方面の天候も良好との予測である。つまり本隊の戦爆連合が突入する公算が高く、制空任務も放棄できない。ということで、あっち立てればこっち立たずをどう取り繕うか悩んでいたのだ。
 市の申し出は、本人を“スムーズに”飛行任務から外す口実となり、渡りに船だった。しかも大切な日に非行で制空任務を放棄したとなれば、市に汚点が付き一石二鳥である。なんとなれば、彼の中で市は「小賢しく逆らう()れ者」になっていたのだ。
 九ノ泉もすでに市を見限っていた。あとは、とことん便利に使い捨てるまでだと割り切っている。
(囮に使って酷使すれば、そのうちに戦死するだろう)
 それは権藤についても同じだ。もし二人が撃墜戦果を挙げるなら一石三鳥とも言えた。
 九ノ泉は、部隊で一丸となって(じつ)を挙げようなどとはまったく考えなかった。彼に言わせれば、そんなことは絵空事である。そもそも航空兵力が絶対的に足りないため、無理なことは無理なのだ。この機数でどうすれば勝てるかなど見当もつかなかった。それは来てみて初めて分かったのである。
 言葉には出さないが、ガダルカナルを獲り返せるかどうかも疑念が生じていた。
(もうあんな島はどうでもよい。重要なのは“俺が挙げる戦果”だ‥‥‥)
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